大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年07月07日(月)
実践的になれるのも、近代の学問がカントがタブラ・ラサをどう捉えたか、という注解になっているだけで、論点しらないとつまらないんですが、人間は真っさら(タブラ・ラサ)か?と議論してるだけなので、子供にでも分かる話なのです。子供でも音楽はできるのです。@sei_ongakukouko
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posted at 00:35:05
時間は感覚ではないので錯覚ではないのですが、それ以上に、私達が格闘する近代という世界観は、その時間が私達がいなければ存在しない、という証明に基づいて社会を運営するということに過ぎないので、それが妥当かどうかは、その記憶だけが頼りなのです。@sei_ongakukouko
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posted at 01:42:32
そう、真っさら(タブラ・ラサ)で、読めば読んだことから情報を得て問題を解ける、というのは現代文で一番陥りやすい罠である。twitter.com/bot_yoshiki_n/...
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posted at 02:29:52
バロックではなく、ロマン派のメロディーという概念を葬る快楽です。しかしそれだけだと、フルートはアティキレーションの問題からバロックそのものに戻ります。ジャズがバロックと異なるのは、リズムのフォームがあるからです。それでラインというものになります。@sei_ongakukouko
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posted at 04:12:39
バロックは、今ではロマン派以降のメソッドで、譜面に書かれた楽曲の解釈という奏法ですが、当時は通奏低音に対する即興でした。即興ができなければバロック奏者ではない。しかし通奏低音はあったけれど、バロックになかったのはリズムを主体にすることです。@sei_ongakukouko
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posted at 04:15:18
西欧音楽ではリズムは、バロック以降にメロディーとともに意識化されると思いますが、ジャズのアドリブがバロックと異なるのは、単旋律の前にビートが存在してることなんです。単旋律がビートを生むのではなく、ビートが単旋律を生むという感覚でしょうか。@sei_ongakukouko
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posted at 04:16:53
日本の西欧音楽教育は、すべてロマン派で解釈しているようなもので、なぜメロディーという概念になるのかとか、なぜリズムという概念が意識されるようになったのかとか、モーツァルトがどう和音を意識化したか、という発生の問題が軽視されがちなんです。@sei_ongakukouko
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posted at 04:20:59
もちろん、それはありますね。世界内存在は世界をメロディーにできるんですが、先程問われたのは聴覚を共感覚にできるのか、という問でしたね、そういえば。@aoinatsunosora 音もそうですよ。雨音の中にメロディーを見つけることもよくあります。
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posted at 04:22:31
それは面白い。たとえば、モダンジャズのセッションがなぜ生き生きしたものかというと、ドラムの雨の中から、インタープレイをして、継起するフレーズを造形するような営為だからなんです。雨の中から浮かび上がってくるんですね。自分の中からというより、世界から。@aoinatsunosora
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posted at 04:26:05
ですね。自然の音色からの喚起、環境音から世界を引き出す能力という点で、日本人は音楽よりオノマトペというか、言葉になりやすい気がします。しかも言葉であるので、意味を帯びやすい。日本人にジャズ教育が難しいという点を問題にしていますが(続く) @aoinatsunosora
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posted at 04:41:39
ジャズのような無意味なフレージングは、統語脳だけの状態だという研究news.ameba.jp/20140306-615/ がありました。しかし、どうしても意味に聴こえてしまう。悲しいとか楽しいとか。日本人は音から意味を短絡してるようですね。@aoinatsunosora
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posted at 04:43:11
ドイツ人はアドルノの時代などはインスパイアされなかったみたいですが、日本人はジャズからインスパイアされてそうな気がします。@aoinatsunosora そういういみで、昔から美術学生にはJazzファンが多いんでしょうね。絵を描くという行為は、音を選び出す行為と同じですから。
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posted at 04:46:54
愛し合った人達が、愛の無い人達に犠牲を払わせ生贄にする。日本人がまさかそんな欺瞞を言い出す時代が来るとは思わなかったが、アメリカ人の馬鹿なんか、平気でそういう白々しいことをいうよ。それが新自由主義の精神。よく覚えておきなさい。(^-^)/
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posted at 09:18:07
取り留めもないのだが、もし要約するなら、聴覚が諸感官を分解させない統覚以上の何かであるのは、西欧の唯一の命題、タブラ・ラサ(生まれたら白紙状態)なのか?という命題に少しは肉薄できるのか?という現象学。 togetter.com/li/689601 @LitoSnowfield
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posted at 20:13:32
その捉え方が日本的twitter.com/sunamajiri/sta... 。テアイテトスのように、感覚しか信じられないなら多様な意見しかなくなってしまう。それはおかしいので、タブラ・ラサのようなものは疑われる、と積極と消去の関係が、そもそも反転してるのです。@LitoSnowfield
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posted at 23:06:39
いや、だれがそうだという決めつけの存在論もどうでもいい訳です。言い方だけが問題。霊魂なんて疑われるんじゃないの?という言い方と、知覚を突き詰めるとアポリアになるからタブラ・ラサが疑われるんじゃないの?という言い方では、後者が正しい、という問題。@LitoSnowfield
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posted at 23:23:34
いや、対話篇というものはそういう具合なのです。もし対話篇にならないとすると、この二者の言い方を比較検討することが、そもそもできない、という具合なのでしょう。アポリアを疑わないのか、アポリアだから疑えるのか。ちなみに存在論と認識論が対になるのです。@LitoSnowfield
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posted at 23:33:05
すごく、分かりづらい言い方になるので、外野のフォロワーさん向けに要約すると、霊魂なんて疑うという姿勢と、全てを疑ったら霊魂しかなくなちゃった、という姿勢では、後者のほうが優っていた、という事柄なんですけどねこれ。非常に端的な問題。@LitoSnowfield
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posted at 23:42:09