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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2014年07月09日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

【精読メモ】継続。~70p 判断(する思惟)に反省を齎す概念が、数多に比量しない一である時間によって空間をもそこに含むがゆえに、判断・思惟は一性なのであり、カントが依拠するアリストテレスの範疇表が、概念の一性を述定したり、空間が延長として齎されるわけではない。

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posted at 03:49:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

~70p 時間が一であり空間を含むがゆえに、概念が反省させる判断する思惟が数多に比量しない一として延長ではない空間をも有する。いわば一なる時間があるが故に思惟は空間を一性として反省する。時間があるが故に空間的にも一なる反省がある。 pic.twitter.com/oznxmgsnz6

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posted at 04:00:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

~70p 時間が不可比量的な一であると反省するが故に空間化しうる判断が悟性だ、という言い方をやってるようなんだが、たしかにこのハイデガーの言い方だと、カントのような古典的な範疇表の踏襲は不要になるのかもしれない。ここで範疇の範疇性を、実存範疇に本来化する、ということなのだろうが。

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posted at 04:46:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

ちなみに、直前の節までは、つまり空間から時間に言及するまでは、一を無限と呼称していたのだが、時間は無限ではなく、無限以上に一と呼称することで、有限な認識が、一なる悟性、純粋思惟と命名されただけなのだが、ここでも範疇表の中身の入れ替えだけが行われている。解釈学的には可能だ。

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posted at 04:50:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

この単一性は無限では有限(という対比)を生むから齎されず、時間の一性だけが齎し、範疇表をカントが無批判に借用したアリストテレスの4つの判断から、実存カテゴリーに入れ替える、という構想は、解釈学的な問題だ。ちなみに、端的に霊魂の単一化の話をしている。

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posted at 05:03:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

もちろん、無限から時間の単一化によって、範疇表を実存範疇へ書き換える解釈学は、延長や対象を生じていた現象自体の厳密化のことで、たとえば対象と物自体と呼ぶコギトや統覚の代わりに、存在者と呼ぶための布石なのだが、この呼称とか呼称し直すということだけに、着目しなければならない。

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posted at 05:09:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

無限から、単一性としての時間に、観点を移行するというのは、いうまでもなく、いわゆる神的に漠然と想定されたようなことを、アニマ(霊魂)的なものへ、単一性という概念を、シフトさせることなのだろう。非常に端的だ。

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posted at 05:14:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

続)無限と呼べば、一性は積極的に語られず、だからこそ時間という単一性で呼べば、必ずしもアリストテレス的な四つの範疇を要請されず、範疇性を実存範疇に転回できる。無限ではなく時間だから判断としての思惟は単独的だ、というハイデガーの解釈。 pic.twitter.com/R9Z9U6eKFx

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posted at 16:44:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

明示的な対立項ではないが、有限という比量的な実体に対比される無限という呼称を破棄し、時間という単一性にリネームを遂行すること。『存在と時間』の名前空間を補完する『カントと形而上学の問題』の演繹論、すなわち第二版のコギト=ラテン語化された統覚を解消する立論はこのような仕方のようだ。

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posted at 16:52:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

しかし、この無限から時間への名前空間の転回が明示的かどうかは微妙。それは時間に対して無限という呼び名が、有限という実体を孕むために、ただ呼び名を変えたよという言明では有意ではないからだろう。しかし、超訳するなら、無限という実体的呼称を破棄すれば、範疇が実存的になる、という遂行。

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posted at 17:22:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

簡単に言えば、呼び名には実体性がなく、名前は自由だが、文によっては実体的な有限性をはらむ無限のような概念は、呼び名として不適当ということ。そのために無限という呼び名の代わりに、時間という呼び名の要請が重視される。このことは神という呼び名より、霊魂という呼び名の方が適切という命題。

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posted at 17:32:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

ハイデガーが、ここtwitter.com/sunamajiri/sta... で「無ではない」と強調するように、コギトや統覚を認識論の命題とすると、時間のような呼び名に至らず、霊魂を神と呼ぶ根拠を与えてしまう、ということに思える。存在論を認識論と錯誤すると、呼び名を実体的に捉えてしまう。

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posted at 18:09:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

すぼめると、「無限はないが、時間はある」ということだな。呼び名の有無という範疇なのだが。アリストテレスのいうような霊魂が有るとすると、キリスト教の言うような神は無い、神が死んだんだから仕方がない。

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posted at 18:23:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年7月9日

このように、ハイデガー『カントと形而上学の問題』の演繹論解釈は、無限という実体的呼び名の不可能性から、時間という呼び名の可能性へ、明示的(それ自体を単文で言明すること)にならないようにしながら、立論されていく。

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posted at 18:27:33

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