大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年01月21日(水)
蓮實はフィクションでそれをやるから晦渋なだけで、何が問題かは意外と単純。コペルニクス的転回で地動説になったけれど、フッサール論でメルロとデリダは、言葉の故郷=大地にこだわる(再転回させる)。なぜなら神に保証されたコギトなど、もう言葉を生まないからです。@mallarmean
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posted at 11:39:01
私たちが西欧=キリスト教圏というのは的確で、コギトでは神が要請されている。それによってカントのような主観性、コペルニクス的転回(地動説)から、代数学や宇宙論まで可能になった。ところが神が死んだので、どうするかという話をしてるんですよ、信じられないだろうけど。@mallarmean
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posted at 11:39:28
ハイデガーのナチズム結審の本を書いた中田光雄の去年のフッサール論は、コギト(地動説)に代わってハイデガーのゾルゲに目覚めた晩年のフッサールとデリダなどが対話する本だが、大地と方舟の概念は意外と重要。bit.ly/15sXXet @mallarmean
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posted at 11:40:08
コギトを却下するハイデガーのゾルゲに目覚めると、フッサールが「コペルニクス説の転覆」「科学上の地動説に哲学的に反立する」という意味論になり、それに呼応して後期メルロ、前期デリダが台頭してくる。いわば反地動説。@mallarmean pic.twitter.com/4hooga3VKh
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posted at 11:40:35
このように、存在論の問題を、物語論やフィクションの問題で片付けようとすると、晦渋どころか不可能になってしまう、というのはハイデガーが『存在と時間』の序論で論じているとおりなのです。だから物語論など、そんな郵便的にもならない話は、やめた方がいい。@mallarmean
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posted at 11:41:53