大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年02月04日(水)
読書メモをツイートするのは、一重に現代文において読みとは何かtwitter.com/sunamajiri/sta... という関心から、読めないということをひたすら浮き彫りにさせようとしているだけで、それを個人攻撃とか何かの誤解をする人が湧くのでは、商売上がったりというだけ。
タグ:
posted at 00:20:54
ところで、リトさんが、フルートの世界を外面的にみていたときには、まるで誤解していたが、いざフルートの世界に飛び込んでみると、その世界の癖のようなものが、言わずと知れるようになった、といっていたが、これが被投。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 12:57:24
実践では前ハイデガー的なのだ。被投twitter.com/sunamajiri/sta... というのは、飛び込むまでは分からないということだが、ハイデガーに飛び込まない人が多い。にも関わらず、みんな飛び込んでいる。投げ入れられているという言い方もするほど。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 13:10:17
ハイデガーは読まずとも、地で行ってしまっているというところが、西欧の他の著述家にはない面白さがあるのだが、要するに自由意志で何かを経験する話ではない。そんな実践的な主体性では、とてもじゃないが飛び込めない。それどころか投げ入れられていたりするのだ。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 13:12:31
しかも、こうした被投性について、他の誰よりも理路整然と言い当てている。だから投げ入れられた世界について、その世界の中心で何か経験談をしようものなら、誰でもハイデガーの言葉を使っている。ザラデルが旧約よりも威力がある、というほど誰も逃れられない。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 13:16:09
つまり、投げ入れられているにも係わらず、その世界について語れないというのは、ただ単にハイデガーの論理を熟知していない、というだけになるのだ。もちろん、独力で、同じようにその投げ入れられた世界について語る天才ならよいのだが、たいてい出来ない。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 13:21:21
そうやって、言い当てられないことで、神を生み出してきたらね。しかし、ハイデガーが言い当てるのは、企投に対する被投でも、存在者の全体に対する全体における存在者でも極めて論理的。別にハイデガーでなくても条件さえあれば可能だが、誰も条件を備えていなかった。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 13:26:17
むしろ問題は、ハイデガーにしか語れないことでもあるので、みんな投げ入れられた世界について語ることを避けてしまい、たとえばツイッターなどでも挨拶ぐらいしか交流がなくなるような事態なのだ。それについて東の最新インタビューは的確すぎて笑ってしまうほどだ。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 13:27:35
東のインタビュー後半はもっと痛快だ。要約して紹介したくてうずうずするほどだが、きっかけがないとなかなか言及しずらい。それでハイデガーの話から導入しているのだが、投げ入れられてきたかしらね?(笑)@LitoSnowfield
タグ:
posted at 13:31:55
東のインタビュー前半は、固有名の訂正可能性=歴史修正主義としてのハイデガー~デリダに投げ飛ばされるのだが、後半は身近なネットの話題で、ツイッターで挨拶だけになることや、「反自民」という大合唱、「公共性」を抽象化するリベラリスト、への批判だよ。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 13:39:31
私が日本はロマン主義過ぎると批判する時によく引き合いに出す、アリストテレス用語の「タブララサ」からインタビュー後半になる。人間は白紙で、学校は公共性を教育するというロマン主義が、どんなものを生み出したか。@LitoSnowfield pic.twitter.com/TvkT4HoCLw
タグ:
posted at 13:58:56
簡単に要約すると、人間をタブララサ(白紙)と前提し、公共性を教育するという曖昧なリベラルが、知識は白紙ではないが公共性のないオタクの歴史修正主義や陰謀論を必然化し、逆に知識が白紙で公共性だけの政治家が跋扈する時代になった、ということ。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 14:02:42
デリダは公共性がないという話からだが、ハイデガーのナチズムを批判したハーバーマス、アーレントは公共性だけを曖昧化してしまった。そのために、新たに公共的タブララサが強いられた、ということなのだ。そもそもタブララサは前世の記憶=イデアの否定でしかない。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 14:11:39
前半の歴史修正主義=創造性が、後半で非公共的オタクに対するタブララサの政治家の公共性。ネットが真面目な挨拶になり、アーレントのスペクテーター(観客)が幽霊(スペクトル)に、という話。@LitoSnowfield 挨拶だけ現象(笑) pic.twitter.com/yhS3VfQPon
タグ:
posted at 14:40:55