大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年02月14日(土)
カントはそういう風に第二版で、統御することにしてしまうのだが、ハイデガーの『カント書』では、その統御が余計だtwitter.com/sunamajiri/sta... といった按配。それを時間=自己というのだ。受け身でも自発的でもなくありのままの。@LitoSnowfield
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posted at 02:29:14
もちろん、統覚はデカルトが要請する神観念が、直感より悟性の優位のことだからだが、ハイデガーが言うように、それでは自我が永遠=無限になってしまう。だから統御のない直感力=構想力を純粋時間=自己というのだ。@LitoSnowfield pic.twitter.com/iovA3fGZ2N
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posted at 02:36:51
このデカルトの神観念要請によって直感より悟性を優位にすることで書き加えられた「統覚」が一人歩きし、心理学などで意識が魂のように客体に戻されてしまう。それを解決するために〈統御しないこと〉を明らかにしたのが『カント書』。いわば神要請が不要になるのだ。@LitoSnowfield
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posted at 02:43:51
これが何で分かりづらいかというと、デカルトのコギト~カントの統覚が、欺く神がいて真の神が保証するという、神観念の要請=悟性のことだと日本人は理解していないから。ハイデガーになるとそれが解体されたので、いわば日本人にとっての当たり前が訪れたようなもの。@LitoSnowfield
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posted at 02:53:51
というだけだと、とくに日本人には見えづらいみたいですねー。その斎藤慶典のフッサール教養書が端的だが、(カントは)怖気づいて「純粋悟性概念の超越論的演繹」の構想力を第二版で葬ったんですよ。つまり神に縋った。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/eVYy4n4RJw
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posted at 21:36:22
ちなみに、そのフッサール教養書では、構想力を想像力と統一していますね。同じことですが、これを読んでおくといいですよ。シュネーデルバッハ『認識論』構想力について。bit.ly/1Er1BRG @jeanbeauty2
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posted at 22:25:23