大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年03月03日(火)
永井氏の西田論の割注が気になっていたが、黒沢さんの哲学観も面白いね。どうしても素朴に始めたくなるが、二契約
twitter.com/sunamajiri/sta... ぐらいしかなくなるね。@nckrx970 哲学者でも @hitoshinagai1 前者がヘブライズム後者がヘレニズム?
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posted at 09:53:18
カントのアンセルムス批判から始まる『現象学の根本諸問題』はカントの「存在者の全体」から様相性を尽く非本来性に移し替え『カント書』の「全体における存在者」twitter.com/sunamajiri/sta... で神からやっと自由になりますな。@nckrx970 @hitoshinagai1
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posted at 09:54:52
ナトルプ報告の高田珠樹氏が端的にハイデガーでは様相は非本来性、とどこかで書いていたが、神から自由になる『カント書』へ至る『~根本諸問題』では、様相を非本来へ移し替える作業が続きますね。@nckrx970 @hitoshinagai1 pic.twitter.com/AURxkzUjCT
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posted at 09:59:09
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 二契約の話、つまり神から自由になる話は、自然から素朴に着手することができない。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 10:20:00
余談だが、東が最近のインタビューで親の様相に対する子の偶然、ハイデガーが『カント書』のカッシーラーとの論争でひたすら人間の自由とは偶然性のことだ、といっていたのを彷彿とさせ爆笑してしまったのだが、どうしても必然性に囚われるからね。@nckrx970 @hitoshinagai1
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posted at 11:41:44
ほら、カント先生なんて、脳みそが爆発的に肥大化しちゃってるのよ。もうね、ヘルダーリン~三島『潮騒』~あまちゃんの『潮騒のメモリー』の「その火を飛び越えて」来て欲しいのに、めんどくさいのよ(^-^)/ twitter.com/Kantbot/status... @J_J_Kant
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posted at 11:47:29
やっと創文社版で、ダヴォース論争 bit.ly/1FQnACj 読めたが、その自由、科学の守護神、新カント派のカッシーラーが、ハイデガーに突きつける機能主義的な自由とオーバーラップして仕方がない。@jeanbeauty2 自由は、ないのか。
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posted at 16:08:21
神による自由(決定論)か、神からの自由(偶然性)か、という歴史的な論争なのだが、カッシーラーがカントに逃げ込むと、その自由も背理とハイデガーに斥けられてしまう。カッシーラーは神話に逃げるが、そりゃ単なる文化論だと、ハイデガーは手厳しい。@jeanbeauty2
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posted at 16:09:09
いや、表面上はカッシーラーの口調のほうが、ハイデガーを告発するように手厳しいのだが、眼前性も手許性も見いだせないカッシーラーの動揺を、ハイデガーは労るように、やんわりと、定立的な文化哲学でもやってなさい、と引導を渡してしまう。さすがだ。@jeanbeauty2
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posted at 16:12:46
端的に、カッシーラーは恒常的時間=永遠の中で、人間が神を創造する自由の必然性と、カントの構想力を捉えてしまう。それに対して、ハイデガーは瞬間の偶然性が、構想力の無限性、つまり時間によって与えられた自由として語るのだが、カッシーラーはまるで理解できない。@jeanbeauty2
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posted at 16:23:10
より端的に、カッシーラーはカントの構想力を、神を創造する人間の必然性、と捉えている。それを彼は自由といっているのだが、ハイデガーはそんなものが自由であるはずがない、と応じている。単にカッシーラーにないのは敬虔さだけだろう。さすがユダヤ系だ。@jeanbeauty2
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posted at 16:25:39
そこで重要なのが、門脇が初めて概念的に邦訳した「全体における存在者」。ハイデガーはカッシーラーに反論して、全体における存在者へ投げ入れる構想力だけが世界観を齎すのであり、カッシーラーのいう自由は背理であり、神話こそ単なる文化だと斥ける。@jeanbeauty2
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posted at 16:29:44
伊豆の旅館で、ダヴォース論争 bit.ly/1FQnACj 読みながらDMチャットしたのを、一部以下に転載するね。(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 20:23:23
DM: カント書が痛快なのもそこ。医者とか威張るでしょ。ハイデガーそういう権威を骨抜きにしちゃってるのよ。たとえば、付録の論争、科学者の権威側の新カント派のカッシーラー、タジタジ。しかも何が分かってないのか、最後まで掴めてない。ただ威張るだけ。笑(^-^)/
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posted at 20:25:13
DM: ハイデガー、端的に科学者が単なる信仰者と暴露してるのに、科学の番人新カント派の親分カッシーラー、ハイデガーに反論しまくるのだが、全く噛み合わない。ハイデガー全く動じてなくて痛快。笑(^-^)/
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posted at 20:26:04
DM: ルネサンス以降スコラ神学の権威を代替するようになった科学=新カント派をいかに無効化するかというハイデガーの論争だから、普通の人が読んでもわからんと思う。まあ存在者の全体でなく、全体における存在者というのが新カント派には理解できないだけだが。
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posted at 20:28:27
DM: みんなこれがわからん。カントの質問してくる人もカッシーラーと同じで、科学だけでは中世神学と同じ、というのが理解できない。つまり宗教をハイデガーのように文学とみることができない。中世の人たち。(^-^)/
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posted at 20:29:58
DM: そうそう、存在者の全体とは宇宙の総体のこと。ハイデガーはなんでそんなもんが分かるんだ?神じゃあるまいし、と言ってるだけだよ。じつにまっとうなことを言っている。しかも分かりやすい。
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posted at 20:34:57
DM: カント書は序文から、存在者の全体でなく全体における存在者という話ばかり。その違いがわからんのが新カント派。ちなみに理想社版の木場旧約ではその訳し分けが曖昧なのを確認した。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 20:37:24
というより、ハイデガー読んでると、他の現代的な書き手の本が読めなくるね。さっきフランス人の書いたライプニッツのデカルト批判を、再読してたら、根本を曖昧にして書いてるから、歯がゆくてよんでいられなくなる。それほど力が違う。@LitoSnowfield
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posted at 20:44:25
@sunamajiri ちょっとスピードが早く息切れしましたが(*^o^)> “人間は決して有るものそのものの創造において無限的で絶対的であるのではなく有の理解の意味において無限的なのである…”などゲラゲラ笑いながら頷いておりました(*^o^)>あはは
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posted at 21:10:11
そうそう。さっき twitter.com/sunamajiri/sta... と要約したが、端的にハイデガーは、カッシーラーが人間が無限な神の造り手だと思っている欺瞞性を暴露してしまうね。付録ではカッシーラーの神話論への痛烈なハイデガーの書評も載ってるんだが。@LitoSnowfield
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posted at 21:23:51
「人間中心主義」というお座なりな用語がでてくるが、カッシーラーは人間が無限や神の造り手だ、と思っている自覚が乏しくて、ハイデガーこそ無神論者だと告発しようとしているよね。ところが自分のほうが人間中心主義だと突きつけられている。@LitoSnowfield 寄り切られて
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posted at 21:29:50
そうそう。神は死んだとしても、人間が神の造り手だと思おうとしている人達に対して、おいおいどこまで誇大妄想なんだ、無限は人間が創るものじゃないだろう、といっているようなものだからね。@LitoSnowfield
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posted at 21:36:23
反地動説は、昨日触れたような大地論のようなものだよ。ちなみにカント書の時点では、カント用語、コペルニクス的転回用語でしゃべってるから、反地動説用語へは転回していない。その論争末尾にコペルニクス的転回が出てくるし、カッシーラーへの書評でもそれが出てくる。@LitoSnowfield
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posted at 21:53:45
カント書付録のカッシーラーの象徴論(神話論)へのハイデガーの書評も自炊した。 bit.ly/1zDZOVB スレから見えなくなっているので、もう一度ダヴォース論争のURLは bit.ly/1FQnACj @LitoSnowfield
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posted at 21:57:16
その書評も、カッシーラーこてんぱんね。最後はコロンビア大学にいたのよ、いやーねーww WIKIみたら、ダヴォース論争は一般的にカッシーラーの敗北とみられてるって書いてあるけど、誰が見ても完敗じゃないね。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8... @LitoSnowfield
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posted at 22:09:09
そうそう、ナチの前よ。戦前。日本で紹介されてたのも戦前。戦後はなぜかあまり触れられない。あの論争のあと、ハイデガーが学長へ、というナチズムの時代がww(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 22:14:37
ハイデガー読本では、『カント書』はこの短い文で紹介されるだけだが、スキーウェアー姿で、神様には存在論はいらないのよ、って言ってたらしい。www.evernote.com/l/AJ0ExOs3axdB... @LitoSnowfield
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posted at 22:18:36
それはっきりいえた西欧人ハイデガーだけね。それ以前も以後も、ウヤムヤにされるww(^-^)/ @LitoSnowfield 存在論を必要とするのは我々有限なものだけ”…有限だから構想力がある…先の討論でもありましたね〜(*^o^)>しびれました(笑)
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posted at 22:26:56