大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年06月16日(火)
さて、ハイデガーの存在論は、カントの時間を超越論の規定としても、キリスト教のような形而上学の法螺話を払拭できないという話だが、マルレーヌザラデルが戦後フランスのユダヤ哲学、レヴィナスやデリダ以上にハイデガーにヘブライズムを見出すのだが。井上克人は~ @LitoSnowfield
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posted at 16:51:12
(承前)マルレーヌザラデルが戦後フランスのデリダやレヴィナスよりも強烈に、ハイデガーのヘブライズム、つまり固有性を見出すのだが、それ以上に、井上克人は日本思想との対比で、ハイデガーの脱形而上学に、ヘブライズムを喝破しようとしているね。@LitoSnowfield
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posted at 16:53:21
固有名は固有性からは明らかにならない。ザラデルはデリダがハイデガーをルアッハにする精神となったというが、戦後ヘブライズムからは、ハイデガーの固有性、ヘブライズムが明確化できない。井上克人は日本思想から、同じ問題に取り組むが、より鋭く感じられる。@LitoSnowfield
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posted at 17:02:24
そこで重要なのはやはり、時間を対象の超越論的規定とした時のみに、固有性の中から固有名が明らかになる、というハイデガーのカント書の超越論的時間規定、つまり超越論的構想力の問題だろう。それだけが歴史を記述しうるということなのだが。井上克人では~ @LitoSnowfield
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posted at 17:04:58
井上克人では、アリストテレスのト・ティ・エーン・エイナイを「我々にとって先なるもの」(無限遡行に対する通用性)から、ハイデガーだけが「それ自体で先なるもの」と解釈できた、という点というのが、主著のテンポラリテート、カント書の超越論的時間規定なのだろう。@LitoSnowfield
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posted at 17:14:25
ちなみに、転回の遂行上、カント書論では、規定の是非が問題になるのだが、主著のテンポラリテートのように、是非を問題にしない場合、転回は規定の超越論性によって遂行されているので、通用問題あるいは権利問題を脱却し、転回、つまりメタボレーしているのだ。@LitoSnowfield
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posted at 17:17:13
簡単に言うと、アリストテレスのウーシアを、無限遡行に対する通用問題とすると、対象を与える超越論性に時間的規定がないことになる。それに対してハイデガーのように「それ自体で先なるもの」と、時間的規定を、いわば施すと、無限遡行の問題が解決されるのだ。@LitoSnowfield
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posted at 17:18:46
この、無限遡行に対しては通用問題、あるいは権利問題を持ち出さないこと。というのがカント書の超越論的時間規定の転回必然性や、存在と時間のテンポラリテートなのであって、それを固有性というのだ。この固有性をどれだけ確実に抽出できるかだけが問題になる。@LitoSnowfield
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posted at 17:20:45
そこで、フランスのマルレーヌザラデルでは、訳者の合田正人がフーコーを度外視していると批判するが、レヴィナスを度外視し、デリダがハイデガーにルアッハを虚構する精神性、つまり固有性以上に、井上克人は固有性、つまりヘブライの問題に直接言及できるのだろう。@LitoSnowfield
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posted at 17:28:08
井上克人の絶唱部分は数件あるが、きのうアップ twitter.com/sunamajiri/sta... したのでよければ、これである。より先なるものとしての超越論的時間規定のことなのだが。つまり遡行できない固有性。@LitoSnowfield pic.twitter.com/pGvubm2bdJ
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posted at 17:31:48
固有名というのは、無限遡行に対して通用する権利のことではなく、絶対的にそれ以上遡行ができない規定の名前のことなのだ。それをハイデガーはカントを援用し、時間という規定名として明らかにしたのだ。したがって、そこからさらなる遡行ができるという柄谷行人は誤謬。@LitoSnowfield
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posted at 17:33:09
このように無限遡行に対する通用名・権利名ではなく、絶対的規定の名称を明らかにすること、というのがハイデガーの転回の遂行であって、TLではひどく不評の柄谷行人の遡行論は、端的に誤謬推論なのだ。超越論にとっての固有名は絶対無二に自我ではなく時間である。@LitoSnowfield
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posted at 17:43:25
端的に、無限遡行を食い止める絶対的名称は神ではなく、名義的に時間だというハイデガーの転回の問題を、さらに遡行できるという戦後のフランス思想の喧騒は、我々にとっては度外視できることなのだ。というのは~ @LitoSnowfield
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posted at 17:54:48
戦後フランス哲学の絶唱部分は、ハイデガーの時間規定は、ルアッハに遡行できるヘブライの固有性だ、という思想なのだが、むしろ逆なのであって、端的にハイデガーの時間が、無限遡行に唯一対抗する超越論の名称、つまり固有名なのだ。それ以外の名前探しは誤謬推論。@LitoSnowfield
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posted at 17:55:04
その意味で、コギトエルゴスムを通用名としたスピノザのエゴサムコギタンス twitter.com/sunamajiri/sta... を、時間性だとしたカントの超越論的感性論だけが、権利問題を超えて事実的な固有名を明らかにしているという、ハイデガーだけが正しいのだ。@LitoSnowfield
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posted at 17:58:37
時間だけが固有の規定名で、無限に対する規定名だけが固有名だ、というハイデガーの言い方の前では、時間より自我が深層的な規定名だといった問題は、普通名ないしは通用名の問題にすぎないことになる。時間という概念を、他の名称にしたところで、意味がないのだ。@LitoSnowfield
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posted at 18:01:13
それゆえ重要なのは、時間→エゴサムコギタンス→コギトエルゴスムという遡行であって、その点では柄谷行人は正しい。しかしそれはハイデガーに依拠しているに過ぎないのであって、ハイデガーの世界内存在の外部に他者を認めるという柄谷行人は、単なる誤謬推論である。@LitoSnowfield
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posted at 18:04:30
Hegel Japan ヘーゲル・ヤパン @GWF_Hegel_Japan
最高の存在 Wesen があるという。それが神を意味する場合、「ある」というのは有限なものを指示する言葉である。あれこれの山があり、あれこれの植物がある。神は絶対に無限なものだから、それ以外に「ある」とかそれと並んで「ある」というようなものではない。
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posted at 18:12:17
ところで、私はまだ井上克人批評をしてないのだが、井上はヘーゲリアンなのか、ハイデガーを単なる有論、有神論として、ヘブライの固有性に直結させようとしている。それでカント書を度外視するのだろう。ハイデガーはヘブライに対する固有性だと井上は言えていない。@LitoSnowfield
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posted at 18:20:41
ハイデガーでは確かに無神論のような形而上学や神学は払拭されているが、だからといって有神論ではない。それをいうなら有時論なのであって、その点でヘブライズムに対してこそ固有性を発揮していると読まなければ、井上のように単なるヘーゲル的な言い方になるのだろう。@LitoSnowfield
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posted at 18:23:19
このヘーゲルとハイデガーの極端な差異ということだけが、おそらく問題なのであって、ハイデガーは弁証法的に超越論的時間規定にたどり着いてはいない。つまり悟性ではなく、アリストテレス的な構想力というのは、カント弁証論に対する弁証法の問題ではないのだろう。@LitoSnowfield
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posted at 18:28:14
それほど、ハイデガーの有論はヘーゲルの有論と混同されるのだが、そうした混乱が日本では渦巻くね。それでみんな弁証法とか止揚とかはじめてしまうという。(^-^)/ @LitoSnowfield あら〜大事なところなのに〜(・o・)> <無神論でも有神論ではなく有時論
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posted at 18:29:40
@sunamajiri まぁ…(*^o^)> 素人の私がいうのもなんですが弁証論からではハイデガーさんは無理筋かと(笑) それこそ止揚がないという…(;uou)>←ツマンナイ ダジャレヲ イッタヒト
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posted at 18:32:59
それ昨日指摘した大本教の精神性、日本語の地口。これは笑えないのであって、柄谷行人から見ると、ハイデガーのヘーゲル否定というのは、全部いかがわしい語源遊びと、柄谷にいわれてしまうのだ。しかし柄谷は昨日言ったように、大本教の名前探しと同じ。@LitoSnowfield
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posted at 18:37:07
ハイデガーは、なんといってもヘーゲル大論理学によるカント解釈を誤謬推論に追いやるために、フッサールからアリストテレスのウーシアに言及してるのであって、こうしたアンチ弁証法のようなものを、日本人が読めていないということが最大の問題なのだろう。@LitoSnowfield
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posted at 18:38:40
柄谷行人は、ハイデガーの世界内存在には他者という外部、神がないから独我論だ、つまり無神論だという神学に陥っているのだ。そこで柄谷が批判するのはハイデガーが語源学的であって、文法学を無視しているといった話なのだが~、@LitoSnowfield
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posted at 18:41:20
~、柄谷にとっては、無限遡行を終わらせる名前はカントの時間=構想力ではなく、ヘーゲルの弁証法=悟性やコギトであって、コギトだけが名前探しができるからで、時間や語源に、真の名前=固有名は探求できない、という語り方をしているね。トランスクリティークね。@LitoSnowfield
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posted at 18:43:38
柄谷はカント書を読めずに思弁に陥ってるよ。単純な話で、ハイデガーは弁証法では、カントの時間を超越論の規定にできず、神に止揚する論理学に頽落するといっているんだが、思惟や悟性では超越論的な規定、時間を固有名とできないだけの話だよ。柄谷は理解してないよ。@LitoSnowfield
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posted at 18:49:00
ないねー。なぜかというと、柄谷は遡行が無限遡行だと有論的理解していない。底が無限遡行だから、止揚する神の論理学、つまり神学ではなく、弁証法以上に超越論亭には規定が必要で、それが時間という規定名だ、というハイデガーの論旨を、柄谷はまるで理解していないよ。@LitoSnowfield
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posted at 19:00:41
ハイデガーというか、メタボレーあるいは転回以降、名前の問題、固有名論になるのは、時間が固有名か、はたまた時間に相対する固有名が別途あって、それはヘブライが固有名か、ヘブル性は普遍的であって、それは時間が超越論的な規定名=固有名か、という話だけだよ。@LitoSnowfield
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posted at 19:00:54
できてないね、むしろ柄谷の単独者論は本覚思想に近いだろう。それは井上克人が、西田が超出しようとした明治までの現象即実在、覆蔵的超越性とどこか似ている。柄谷はそこに遡行したいだけだろうな。@LitoSnowfield あ〜無限遡行を捉えていないからなのですか〜
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posted at 19:12:49
理解というのは、先学問的・先存在論的理解、つまり「我々にとって先なるもの」より、「それ自体で先なるもの」twitter.com/sunamajiri/sta... のこと、つまり漠然と有るという直感の純粋性で、それには時間という名前があるということだけよ。@LitoSnowfield
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posted at 19:14:17
この先学問的理解が、時間という規定を要請する、という問題が、カント書なのであって、丸山文隆のカント書論 heideggerforum.main.jp/ej8data/maruya... でも、理解とはなにか、という話よ。その点から柄谷は全く理解しておらず、本覚しているだけね。@LitoSnowfield
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posted at 19:17:12
そりゃそうよ、柄谷というのは、戦後の出版ジャーナリズムというだけよ。twitter.com/sunamajiri/sta... あのいい加減さというのは日本の出版物が、どれだけいい加減、恣意的なものかということなのだが。@LitoSnowfield
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posted at 19:23:57
柄谷が読者の岩波文庫も、かなり編集がいい加減、つまり恣意的。ブックオフがそういう人文図書を無価値化したり、自民党が日本の人文学部を粉砕したがる気持ちが痛いほど分かる。それほど日本の出版は恣意的。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 19:26:24
そうそう、ハイデガーの講義は、哲学史思想史という点で、最も読みやすい書物だよね。さすがにカント書や存在と時間は講義でないから、読みづらいのだが。カント講義は読みやすいよね。読めないのはバカよ。@LitoSnowfield これからは家庭に一冊カント講義(*uou)b …とか(笑)
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posted at 19:33:11
ハイデガーの口頭、講義は、どんな哲学史より分かりやすいのに、日本では言文一致の問題があるからか、どうしても原稿として書き言葉で思弁しなきゃ、という柄谷みたいなことになって、ハイデガーと正反対な、弁証法に呑み込まれてしまうという。ww(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 19:35:28
でもハイデガーは口頭的な講義録ばかりか、カント書と存在と時間という主著も、語りよね。日本では言文一致の問題が有り、語りの超越論化、つまり神の視点で語り始めるけど、ハイデガーの語りは人間臭いよね。だから弁証法などしない。神ではなく時間があるよね。@LitoSnowfield
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posted at 19:41:10
そうだよ、語りであることの純粋性だけが問題なのだが、これはまるで口承トーラーと書記トーラーの違いみたいね。日本では言文一致という屈折からか、どうしてもトーラーの伝承性という問題で躓くね。それで時間でなく神の名前探し、固有名論や様相論に頽落していくよ。@LitoSnowfield
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posted at 19:46:12
ビバリーヒルズで公立中学 www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... なんかいくと、教師は全員イスラエル人なので、口承トーラーと記紀トーラーの同一性の話しか授業をしない。つまり語りの超越論性の話だが、ハイデガーの言ってることがよくわかるのであった。@LitoSnowfield
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posted at 19:50:35
冗談はさておき、伝承の問題、語りの超越論性ということに、郵便的な問題を見出し、時間とは別の、あるいはヘブルとは別の固有名を語ること、というのが日本では人気なのだが、それは日本の独我論であって、固有名論としては有意な話ではない。@LitoSnowfield
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posted at 20:17:32
ザラデルが言うとおり、ハイデガーが語ったカントの時間は固有名である、という定式化を、ルアッハのようなヘブライの固有性に還元するデリダによって、日本では時間の固有性とは別の固有名があり、それは伝承の問題だという郵便論が突出しているだけなのだが。@LitoSnowfield
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posted at 20:21:57
しかし、ハイデガーの存在論、つまり時間を固有名と定式化する語りを、郵便論は伝承の誤謬とし、ヘブライのような民族の固有性を超越論の規定とする、という語りを強いられることには、どうみても無理があるのだろう。@LitoSnowfield
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posted at 20:29:18
固有名が超越論的規定である、というハイデガー的な問題というのは、名前の伝承の問題ではなく、伝承のアプリオリの超越論的な規定性、つまり時間という名前に過ぎないからだ。それをヘブライの民族の固有性、と郵便論的に語らされているのでしかない。@LitoSnowfield
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posted at 20:31:50
ここからは、現存する郵便論なるテクストに忠実でなく、私の霊感だが、郵便論というのは、超越論的時間規定に対する、別な超越論的規定という誤謬の問題を、名称化する論議なのであって、それ自体、超越論的時間規定という名称によるものでしかない。@LitoSnowfield
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posted at 20:33:18