大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年07月16日(木)
内田樹『反知性主義の日本』。ホフスタッターの『アメリカの反知性主義』のように、反知性主義者とは大衆ではなく知識人のことだ、という話なのだが、反知性主義的知識人とは無時間性のことだとか直言するので購入した。 pic.twitter.com/gSPoS9EtIF
タグ:
posted at 23:27:15
知性というと、スピノザの知性改善論のデカルト批判を想起するが、アメリカの反知性主義のように、知識人の病。知性とは協同的で、反知性とは無時間的という。その辺りの混乱が整理されていないだけの話に見える。知識人が固定観念に陥るのを反知性というのであって、非知識人の問題ではない。
タグ:
posted at 23:31:51
ここが一番端的。知性とは知ったかぶりのことではなく、共同性を時間とするような方法(マナー)のことだ、という態度のようなもの。國分さんのスピノザの方法ではないが、教えるというのは、必ずしも教師が正解をもっていることではない。 pic.twitter.com/c6hJ5HVn4Q
タグ:
posted at 23:35:33
つまり、教師だけが正解を知っていて、無知な生徒に教える、というのが反知性主義なのであって、生徒のほうが正解を持ってるかもしれない、という可能性が知性主義。日本では詰め込み教育の弊害があるからね。アメリカも一時期この反知性主義に陥ったのだ。これが先駆的時間の話から語られている。
タグ:
posted at 23:39:11
反知性的というのは、いわば知識人の凝り固まった固定観念のようなものなのだが、知性改善論からのスピノザのデカルト批判は、神などという観念を要請して、無限遡行に対する通用問題を説いただけのデカルトの固定観念が俎上に載せられる。
タグ:
posted at 23:46:41
この通用問題に対して固定的な神のような観念を要請しただけで、実は協同的な知性に何ら寄与していない、というスピノザの批判=方法は、教師だけが真理を知っている、という教育の弊害に直結してしまう。そういう話が國分氏の『スピノザの方法』と読書案内できるが、しかしまだ時間の話が出てこない。
タグ:
posted at 23:48:47
内田樹『反知性主義の日本』は、この知識人の固定観念こそが、ハイデガーが解くような時間性に抗う「無時間性」であって、そうした無時間性=反知性主義が、陰謀論から修正主義まで、現在日本に顕在化している様々な動揺を引き起こしている、といった話題を提供している。仏文学者の焦りが感じられた。
タグ:
posted at 23:52:37