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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2015年08月04日
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2015年08月04日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

カントの一なる時間という深淵から、通俗的時間に退却する混乱という問題を、アリストテレスの表象=構想力に戻って再考する話、彼やってますよ。bit.ly/1SzfVDk ただしハイデガーでは、部分と全体なら、全体の一性を根源規定にするというものです。@BeTakada

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posted at 01:31:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

先行してある自然は、自己の死後も不滅だ、という不滅の規定性のことなんですけどね。一文にするとこんななっちゃうんですが、どうしても人は自分の方が不滅だと思えてしまうものなんですよ。まあ不滅ですが(笑)。@BeTakada 自然が自己に先行しているという理解では、自然は終末化しない

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posted at 01:54:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

小林秀雄というと、ベルクソンによるアインシュタイン相対論の時間規定批判の話を、ずっと評論しようとして崩壊してる点かな。ドゥルーズがスピノザ回帰する要で、ベルクソンは相対論を時間規定の混同と批判した、としてますね。www.geocities.jp/taka19602001/b... @estei_st

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posted at 07:31:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

ベルクソンはシェラー通じてフッサールに紹介され、ハイデガーはシェラーを生の哲学として斥ける形で、存在と時間の完成版としてのカント書で、時間が超越論的規定だと断定するに至ったようですね。ベルクソンの空間的時間は通俗的という。しかし小林秀雄がそれで動揺する。@estei_st

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posted at 07:45:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

ベルクソンのアインシュタイン批判『持続と同時性』、同時性のパラドックスは、非現前の時間を規定とすることで解消される、つまり時間とは存在論の根源規定だ、というドゥルーズの『ベルクソニスム』は、小林よりこれがスッキリね。www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf... @estei_st

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posted at 07:58:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

ハイデガーが時間規定のヒントを得るときに、ベルクソンの時間は空間だという通俗的時間規定があって、ベルクソンがそのことでアインシュタインを批判したことが、後の小林秀雄の動揺だという辺り、ツイートしといたよーtwitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 08:02:16

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri 『存在と時間』でも確か同様のベルクソン批判をしていたと記憶しています。明示的に批判しているわけではないですが、つまり、私らの死を考慮しない立場からの時間観念の構築は不徹底であるということだと思います(『存在と時間』の時点では)。

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posted at 12:36:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

端的にそうですね。非西欧人にとっては自明なこと twitter.com/sunamajiri/sta... なんですけどね。彼らは持続とか不滅とか永遠ということで、死ぬに死ねないという。@estei_st 私らの死を考慮しない立場からの時間観念の構築は不徹底であるということだと思います

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posted at 12:41:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

おお、すばらしい。存在と時間の一文要約きたー (^-^)/ twitter.com/estei_st/statu... @LitoSnowfield

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posted at 12:45:04

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri 後のカント書ではすでに本来性・非本来性の議論は廃されているのでしょうけれども、なるほど通俗的時間観念への批判は受け継がれているわけですね。『存在と時間』よりもそちらのほうが分かり易そうですね。

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posted at 12:45:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

25年の『時間概念の歴史への序説』も、『存在と時間』と同様、序文で通俗的時間への批判まで行くよと予告して、結局、主著の習作で挫折。しかし、主著以後の『カント講義書』『カント書』は、死を顧慮した有限な時間から、通俗的時間への批判を、表明しきれていますね。@estei_st

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posted at 12:53:06

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri なるほど有限性ということですね。やはり「カント書」の方が分かり易そうだなあ(笑)。『存在と時間』は妙な怨念?が渦巻いているようで読むのに骨が折れます。

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posted at 12:58:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

有限性が明確に出てくるのは『カント書』ですね。『カント講義書』では、まだ多様と一性。『存在と時間』と同じような頓挫の仕方をする『時間疑念の歴史~』は、ベルクソンを紹介するシェラーとフッサールの違いから、イデア視、カテゴリー的直感、アプリオリを分析してますね。@estei_st

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posted at 13:02:20

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri 西欧では時間を考察する際に自然に「歴史」をも考察することになるようですね。手前味噌ですが以前evernoteにレジュメをアップした『存在と時間』での歴史的存在への考察は実に面白いです。博物館に保存されている歴史的遺物の時間的意味とか。

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posted at 13:04:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

そのEvernoteはどれでしょう? 存在と時間の習作のような『時間概念の歴史への序説』では、序文で自然と歴史の時間現実を、数学のような外時間性、神学と形而上学や永遠の超時間性との、ある種の統一として語ると狼少年みたいに予告し、主著より手前で頓挫してます。@estei_st

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posted at 13:09:04

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri >持続とか不滅とか永遠ということで、死ぬに死ねない そこで個人の死を歴史として意味づけたのが『存在と時間』なのでしょうね(そこで結構危険な思想として扱われてしまうという)。

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posted at 13:09:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

有限だといってるのだから彼らには危険思想でしょうね。しかし、意外と非西欧では現実的と受け止められてしまうという。昨日、五輪開会式の歴史観の話で、仏教圏では歴史は物語ではないからな、という話になったんですけどね。twitter.com/sunamajiri/sta... @estei_st

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posted at 13:13:53

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri これですね。これでもかなり要約されているのです(笑)『存在と時間』第73節~第74節 twitter.com/estei_st/statu... このあたり『存在と時間』を語る際にあまり注目されないので残念です。面白いのに。

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posted at 13:18:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

最近ツイートしてたんですね。意外と高田珠樹氏のハイデガー翻訳のシンポジウムは、歴史に向かうゾルゲの話とすれば、ハイデガーが村上春樹のように読みやすくなるという話だったんですよ。後ほど精読します(^-^)/ twitter.com/estei_st/statu... @estei_st

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posted at 13:23:36

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri そちらですか。どちらかというと皇国史観?というか、歴史や共同体に殉ずる死、のような受容をされた時代があったのではないかと思ったのですけれども。

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posted at 13:24:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

そうなるのもそれゆえである気がする。無化されるというか。@estei_st そちらですか。どちらかというと皇国史観?というか、歴史や共同体に殉ずる死、のような受容をされた時代があったのではないかと思ったのですけれども。

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posted at 13:26:14

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri ハイデガーとベルクソンの話に戻せば、ハイデガーの言う「現象学的」とは、人間にとってのそれの意味を言葉によって規定せよ、ということだと思うんですね。過去や未来を座標軸をもってして定義するのではなく、人間(わたし)にとってそれらがどのように現われてくるか、

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posted at 13:29:53

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri もしくはそれらがわったしにとってどのような意味を帯びて現われてくるか、ということなんでしょう。未来は現在の「目前に」あるように表象され、待望されたり不安の源泉であったりする、といったような。

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posted at 13:32:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

まさにそうですね。@estei_st ハイデガーとベルクソンの話に戻せば、ハイデガーの言う「現象学的」とは、人間にとってのそれの意味を言葉によって規定せよ、ということだと思うんですね。過去や未来を座標軸をもってして定義するのではなく、人間(わたし)にとってそれらがどのように現われ

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posted at 13:32:42

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri ベルクソンへの批判は、時間が人間にとって持つ「意味」を語らない、ということで、いまだ「事物的」観点である、ということでもあるんだと思います。どこか物理科学的観点の残滓がある。

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posted at 13:33:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

カント講義書~カント書では、カントの規則に対する規定という術語に、やたらと意識的ですね。規定があるから規則があるのだという。カントも図式論で、規則と規定の違いに触れている。それをなおざりにすると、規定のない規則だけで、わたし(現存在)にならないという。@estei_st

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posted at 13:34:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

もっというと、カントが第二版で退却してしまう図式論にある、アリストテレスのような表象=構想力という規定を根源とすることで、やっと規則があるのだという。その規定によって、多様と一性の統一規則が明らかになり、現存在の有限性が確定する、そういう規則性に触れてますね。@estei_st

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posted at 13:39:37

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri やはり「カント書」はいずれ読んでおきたい(笑)。カントもちゃんと読まなければ駄目だ(笑)。今はシュタイナーの西洋哲学観に興味が傾きつつあるので、その辺りからカントに戻れると良いのですけれど。(ブレンターノとか面白いですね)

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posted at 13:43:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

カント講義書と併読しないと、カント書は読みづらいですけどね。ハイデガーに比べれば、シュタイナーのほうがよほど、ストレートにカントに行きますね。新カント派などという仮想敵がハイデガーのようにはないからなんでしょう。私もシュタイナーを読みたくなる。@estei_st

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posted at 13:47:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

その語り方をハイデガーが模索してるわけです。時間を定義しようとしてベルクソンのように空間化した、いわば領域には無しかない。現象とは、時間を規定とすることで、有限が自由になるものとして、現れてくるものだ、といった。@estei_st twitter.com/estei_st/statu...

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posted at 13:55:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

そうですね。ベルクソンが通俗的時間とハイデガーに言われるのは、仮に生でも生命でも生物でも、モノのように人間を時間に規定してしまうと、神の視点で人間を一般化、普遍化しかねない。そこに自由があるのかというと、もちろん無でしかない、という。@estei_st いまだ「事物的」観点

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posted at 14:39:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年8月4日

だから、端的に神の視点で人間を普遍化、無限化するのではなく、有限な人間は生でも生命でも生物でもなく、時間と規定=呼ばれなければ、単なる無規定か、矛盾になるという。カント講義書~カント書は、カントがこの無規定性といかに戦ったかのかを克明に取り出していますね。@estei_st

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posted at 14:41:31

estei @estei_st

15年8月4日

@sunamajiri なるほど、わかります。『存在と時間』でもそれは道具的存在、事物的存在に対する現存在の優位という形で語られていますね。

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posted at 19:04:16

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