大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年09月29日(火)
教えなければ食い扶持にならないことをアカデミズムというのだが、哲学で、実存というのは主に、講壇哲学(教えるのを食い扶持にする哲学)を批判するために生じた、形式的告示である。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 10:07:20
ちなみに、形式的告示というハイデガーの方法は、先理解などという概念以前の段階を、概念という形式に齎すための過程のこと。つまり気分のことなのだが、概念化できていないことが、気分的にもやもやするのを、概念という形式にするよ、という宣言のことだ。
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posted at 10:07:57
実存とは客体視しないこと、つまり自分をモノのように科学的に対象化しないことだが、講壇哲学はそれを対象化してきた。ヤスパースとハイデガーの有名な論争というのは、ハイデガーがその気分(先理解)までも、概念化(理解)しようとしてるではないか、という問題なのだが、そう単純ではない。
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posted at 10:13:13
というのは、気分(先理解)を概念(理解)にもたらすハイデガーの形式的告示だけが、永遠時間の問題を解決しているからなのだ。ヤスパースはハイデガーを批判したが、しかし気分は概念化できない、先理解は理解できない、という立場では、時間が永遠時間に退却するのだ。
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posted at 10:15:02
これはどういうことかというと、自分をモノのように対象化しない実存は、気分でしかないのだから、それは概念(理解)ではなく、先理解(境地)だというだけでは(ヤスパース)、時間が永遠時間という先理解のままに留まる、ということなのだろう。
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posted at 10:18:44
気分(自分を対象化や概念化できない、モヤモヤとしたもの)を、気づくだけで十分なのか、概念(理解)にもたらすことが重要なのか。この気分=先理解は、ヤスパースでは気づき、ハイデガーでは理解(時間は永遠でないという理解)となるのだ。
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posted at 10:24:09
つまり、概念化できない先理解(モヤモヤとした気分)に気づくだけでは、時間が永遠でないという理解の以前ということなのだ。端的に気づくだけでは、気づかないでいることと左程どかわらず、ハイデガーがヤスパースを批判したように、それは時間規定という理解に至らなければならないのだ。
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posted at 10:26:43
ところで、ジャズというと実存哲学の気分を表現する音楽と語られたことがかつてあったのだが、ジャズもいまでは教える音楽、アカデミズムになった。哲学もハイデガーのように、気分を概念化することが権威になったのだ、この転回が極めて重要なのだ。
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posted at 10:28:25
どのぐらい重要かというと、教えることが食い扶持というのが、アカデミズムということなのだが、今日本にあるのは、教師稼業への風当たりなのだ。なぜそのような気分(先理解)になるのか、ということを概念化(理解)に齎す、形式的告示が不在である、ということが極めて危機的なことなのだ。
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posted at 10:32:41
ところで、日本ではデカルトの思惟、対象化されない思い=気分の覚醒ばかりが語られる。しかしハイデガーがヤスパースを批判するように、覚醒した気分だけでは、永遠時間という気分=先理解を払拭することはできない。それどころか、却ってそこへ逆行してしまう、ということなのだろう。
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posted at 11:05:14
デカルトの我を先理解として、それに覚醒する実存(ヤスパース)というだけでは、講壇哲学の轍を踏むだけだ、というのがハイデガーの主張のはずだが、自我が対象ではないという先理解は、日本の悪しき本覚思想を持ち出すまでもなく、単に自明であり、先理解=気分ではない、ということになる。
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posted at 11:15:59
対象化できない自我(実存)に覚醒することだけが気分であるなら、そうした先理解(実存論)では、気分それ自体を先把握(存在論)できない。先行する気分は、単に実存論的問題ではなく、そうした先行関係自体の時間論だ。こうした反論が、冒頭で言えば最近ではアカデミズムを構成している。
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posted at 11:32:52