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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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Favolog ホーム » @sunamajiri » 2015年10月20日
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2015年10月20日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

先日の「始まりのハイデガーシンポ」のことについて、考えている。twitter.com/sunamajiri/sta... 初期ハイデガー(つまり『存在と時間』において解消するハイデガー)はセムや旧約への言及を回避するのだが、それはこれによって、新約的な歴史性が完全に払拭出来たのかという論点。

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posted at 13:53:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

先日のシンポは、第一部第二部とも、書籍『始まりのハイデガー』を、大御所が批判的に論評するという形になったのだが、まず第一部の神崎繁先生は、古典哲学からハイデガーのストア派~セム回避の意味を問うていた。bit.ly/1OPs9DD

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posted at 13:58:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

私は最近、ハイデガーのカント書の時間規定を話題にするとき、カントまでを潜勢的霊魂規定(心身二元論)、ハイデガーからを現勢的霊魂規定(一元論)と術語化しているが、神崎繁先生は「分裂型葛藤」と「振幅型葛藤」(一元論)という術語を使う。 pic.twitter.com/qd9ozrcPkt

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posted at 14:05:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

要するにこういうことだ。初期ハイデガーには、カイロス(好機)が本来・非本来に分裂する形式的告示があるのだが、それはストア派やスピノザを回避することで可能になっているのであり、存在と時間~カント書での時間の規定化とは、ストア派~セム的な一元論を歴史的に扱わない、という態度なのだ。

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posted at 14:09:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

ここで、ギリシャ古典哲学者の神崎繁先生が、初期ハイデガーが回避したものは、ストア派であるばかりか、セム的一元論だと、ハイデガーの形式的告示(フッサールのエポケーに相当する方法的懐疑)に疑問を呈したのは、極めて鋭い。 pic.twitter.com/CiWccDy8Zf

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posted at 14:11:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

神崎繁先生は、このセム~ストア派~スピノザ、つまり一元論の回避を「ハイデガーにおける不在の現前」、つまり潜勢的二元論(=形式的告示)と指摘しているのだが、それならばなおのこと初期問題を解決する時間規定は一元論(=現勢的形式)なのである。

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posted at 14:19:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

これ(規定的時間)は、レヴィナスの弟子でデリダのハイデガー理解を骨抜きにしたマルレーヌ・ザラデル twitter.com/sunamajiri/sta... ではないが、歴史=キリストの新約を制圧し、旧約の一元論性を回復する、唯一の方法なのだろう。それが神崎繁氏が表題化する「制圧」だ。

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posted at 14:23:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

この「制圧」とは、振幅的葛藤(一元論)による、分裂的葛藤(心身・主客二元論)の制圧のことだ。ハイデガーは分裂的葛藤(二元論)を形式的告示することで、振幅的葛藤(一元論)の形式性を、規定的時間として述定しようとしているのだ。 pic.twitter.com/fOcRsIc0Ou

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posted at 14:29:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

もっと簡単に言うと、主客や心身のように二元論を規定として前提すると、分裂的な葛藤(シンポで神崎繁氏は、ハムレットのような独白と表現していた)になってしまうが、それを形式の告示とハイデガーのように前提すると、一元論(振幅的葛藤する時間の規定性)を形式化できる、ということなのだ。

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posted at 14:32:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

ハムレットのような分裂型葛藤は英米文学的な脱構築派、たとえばハロルド・ブルームなどがハイデガーを批判する際に引き合いに出すのだが、明らかに振幅型葛藤(一元論)を形式性として規定できるか、というハイデガーの方が重要なのだ。一元論を形式化しない二元論は形式的告示ではない。

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posted at 14:38:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

アメリカの脱構築派でユダヤ文学者のハロルド・ブルームでは、このことでハイデガーを脱構築しフロイトを(唯一の)形式性とするのだが、単純に二元論性を形式性と勘違いしているだけで、形式性は一元論的にしかない、とハイデガーは言っていることになる。

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posted at 14:42:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

マルレーヌ・ザラデル的なハイデガーに引き寄せて言うと、ハイデガーは一元論的な旧約文学に言及せずに、二元論的な新約を形式的告示とすることで、一元論的旧約の非歴史性、つまり(契約の)形式に言及していることになるのだ。

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posted at 14:46:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

二元論を形式と捉えるのか、形式的告示として捉えるのか。この差分が問題になっているだけなのだが、しかし前者では一元論の形式性に到ることが出来ないのである。ハイデガーの規定的時間という問題は、この二元論は形式の告示に過ぎず、一元論が形式だという命題を、新約的な歴史から回復している。

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posted at 14:57:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

新約文学(心身・主客へ分裂する葛藤、つまり哲学のサブカテゴリーである心理学的素朴実在論)というのは、二元論を形式化=歴史化するための、文学的営為である。それに対してハイデガーは、二元論は形式ではなく形式の告示だと捉えることで、本来の形式性である一元論を回復しているのだ。

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posted at 15:00:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

二元論を形式的自明性と捉えるのか、自覚的に二元論を形式の告示に過ぎず、現象学的還元ができるのか、というのは大違いである。二元論的形式性を得るためには、一元論的形式性が規定されなければならないが、自明性からはそれが明らかにならない。

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posted at 15:05:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

ハイデガーには形式的告示(二元論を自明的形式としない自覚)があるので、結論もありきなのだ。形式を告示させる二元論は、一元論を自動的に形式化してしまう。その自動化された形式が、規定的時間という公理なのであって、それ以外の根源的規定は恣意的で非形式的な根源であるに過ぎない。

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posted at 15:08:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

ハイデガーのテクストに引き寄せれば、それが『存在と時間』で、空間と時間を止揚あるいは幾何学的交点とする弁証法を形式的告示として、点性を「時間とは何か」と問うことへ一点化させることであり、その問いに「時間とは根源規定である」という形式を与えるのが『カント書』の叙述といえるのだろう。

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posted at 15:11:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

これはいうまでもなく、神崎繁氏が、初期ハイデガーが言及を回避したストア派、つまりゼノンのパラドックスのことであり、点とは無であり、だから時間は弁証法的な交点としては無であり、時間は眼前ではなく根源の規定だ、と表明的になるべき問題なのだ。点は語れず、語れるものを形式的告示するのだ。

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posted at 15:14:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

問題は、それを神崎繁氏のいうように「始まりの制圧」 bit.ly/1OPs9DD として語れるか、である。初期ハイデガーはカイロスを本来的とも非本来的とも振幅的に語る。それが形式性なのだが、その始まり(形式的告示)が制圧されるわけではないからだ。

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posted at 15:16:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

先日の『始まりのハイデガー』シンポジウムについて、レジュメが論文として提出された第一部の神崎繁氏 twitter.com/sunamajiri/sta... … については、形式的告示を制圧できるのか、という問として考えることが出来たのだが、第二部については録音しかないため、また後日。

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posted at 15:29:11

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