大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年03月06日(日)
存在はレアールな述語ではない、つまり超越論上の述語であるにもかかわらず、述語論理学はそれを領域存在論と誤解し、語りえないものを語らない。これが超自我なのだが、それでは政治が不可能になってしまう。東には、そうした批判性があると捉えればどうか? ハイデガーにはその図式性があるからだ。
タグ:
posted at 06:34:23
タカ基地さんが GA24 bit.ly/1RuzaaK の「存在はレアールな述語でないのはなぜか」という議論を踏まえずに、いきなり「存在者の全体」を列挙して、それに対して私が応答していたのを見て、いきなり汎神論から噛み付いてきた人がいたでしょ?@BeTakada
タグ:
posted at 08:47:18
重要なのは、超越論的論理学が一般形而上学だ、という超越論的図式性=存在論なのです。スアレス形而上学が、カントの超越論的論理学の源泉なので、なぜ図式は概念ではないのか、というハイデガーの知見が必要なのです。bit.ly/1ps7gpx @BeTakada
タグ:
posted at 08:48:49
特殊形而上学VS一般形而上学に対して、領域存在論VS全体存在論という図式性があるということですが、東大レポジトリの井上氏 bit.ly/21OdvFr より、ハイデガーのカント書の方が、より図式的だという点で、私が留保しているということです。@BeTakada
タグ:
posted at 08:55:56
ハイデガーのカント書というのは、超越論的論理学の概念論は全体ではなく(領域的)で、図式論が全体(領域存在論に対する超越論的批判)で、人間は概念である以前に、如何にかという方法的懐疑だ、というものなので。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
タグ:
posted at 09:02:52
ヒュポケイメノンを先言的措定とする井上忠という話を以前したが、井上忠の『プラトン分有論からドゥンス・スコトゥスのこのもの性論」がネットにあった。何でもあるなネットは。jsmp.jpn.org/jsmp_wp/wp-con... @BeTakada
タグ:
posted at 12:37:27