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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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Favolog ホーム » @sunamajiri » 2016年03月11日
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2016年03月11日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

レヴィナスにいきましたね。山口は斎藤のカント書解釈に依存してますね。しかし、ハイデガーの纏め方=語りから、あまり離れないほうが良い。ハイデガーが散逸的だからこそ、フッサールもレヴィナスも暗中模索で、時間の持続を語ってしまう。問題は語りえないことです。@BeTakada

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posted at 03:27:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

もしかして、時間とは何か?と問おうとしてません? 時間を問うのは、神や自我を問わないための身代わりです。それが時間論が脱自態(語りえないこと)だという意味です。@BeTakada

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posted at 03:30:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

Uさんも、タカ基地さんも、なぜか中嶋さんのような、日本の危機を問題にするのだが、それはハイデガーが言うように、何ということを問う危機のことです。神とは何か、自己とは何か、時間とは何か、言語という領域は何か、そういう語り方(存在論)をすることが危機的なのです。@BeTakada

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posted at 03:38:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

部分(概念)とは何かではなく、全体(図式)とは何か、と問うこと。それがハイデガーの遂行していることです。それを概念とは何かと読むと、まず転倒してしまう。ハイデガーの遂行している転回とは、そういう転回です。後述するように、形式性とはそのことでしかない。@BeTakada

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posted at 03:39:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

それゆえ、ハイデガーを時間が何で有るかが分かれば、自己や神の実在の証明という語りえないものが解決する、などと読むべきではない。そういう定義では語りえないことがある、という図式が語られているのだから。それを捉え違うことが危機的なのです。@BeTakada

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posted at 03:39:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

上記の山口美和氏は、斎藤慶典に依拠し、斎藤はハイデガーのGA25~GA3の図式論(概念的に語りえないこと)に依拠しているのです。なので素直に、ハイデガーを読めば、引っかかりなく了解できるのです。@BeTakada pic.twitter.com/Bp6HiygURs

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posted at 03:47:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

ところで、創文社のハイデッガー全集はこの数年、全く続巻刊行をストップしているのは経営難なのだろうか? そのせいかしらないが、非常に問題的な全集GA60の邦訳がなされず、私たちは脱自的時間という形式性が、いかに宗教的かという問題の蚊帳の外です。@BeTakada

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posted at 03:51:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

上述したエックハルトの神秘主義についての講義がキャンセルされた経緯、そして脱自的瞬間の時間性というハイデガーの形式性が、いかに神学を領域化するものであるのか、という全てを語り尽くす巻だそうで、それをめぐって近年の日本のハイデガリアンは議論しているのです。@BeTakada

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posted at 03:57:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

このGA60巻問題が先日のハイデガーシンポの主題で、『はじまりのハイデガー』所収の森秀樹氏の論考が、GA60のあらましとなっています。末尾でザラデルからレヴィナスとデリダが相対化されています。bit.ly/1YCFP8i @BeTakada

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posted at 04:01:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

この、語りえないことの形式性が、ハイデガーにおいて十分開陳されていないためか、日本では形式性がフロイディアンに屈折しているのだが、形式性が如何にパウロ~アウグスティヌスを総括したものか、というGA60の詳細な研究が斎藤元紀氏の博論の脱自的瞬間の時間性の章です。@BeTakada

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posted at 04:05:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

今日は奇しくも3.11だが、ハイデガーの語っている形式性というのは、日常的に予期せぬことが起こった時、信仰心を捨てないこと、というパウロの形式性が、アウグスティヌスにおいて価値の序列に頽落したことへの批判です。それがハイデガーの言う脱自的時間の現象学なのです。@BeTakada

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posted at 04:07:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

私たちはつい、形式性というと概念という部分の定義に思いを馳せるのだが、ハイデガーのいう形式性とは、そうした宗教的生の全体、つまり信仰の問題という、いわゆる語りえないことを、語る方法的懐疑なのです。概念とは何か、と問うのが、仰るような日本の危機です。@BeTakada

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posted at 04:12:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

神秘主義というと、語りえないことのようだが、しかし信仰を語ることは、単なる告白ではない。存在証明が形式的なのではなく、告白自体が形式的なのだ、というGA60における時間論こそが、ハイデガーの枢軸のようです。@BeTakada

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posted at 04:14:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

語ること=存在論を領域に頽落させずに、信仰そのものを解決すること。そうしたGA60における本来の時間論の方法については、森秀樹 bit.ly/1YCFP8i や齋藤元基 www.amazon.co.jp/%E5%AD%98%E5%9... を参照すべきです。@BeTakada

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posted at 04:17:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

なお、未邦訳のGA60『宗教的生の現象学』は1920年。時間論は領域存在論ではなく全体か、というのが現代の論点ですが、それが集中する『存在と時間』27年~カント書29年より、はるか前のパースペクティブです。
@BeTakada pic.twitter.com/asX7caVZ5d

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posted at 04:30:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

ハイデガーは、全体=存在論から語るので、それを宗教的アプリオリにしてしまう新カント派や、述語論理学の探究的な語りから転回に突破するのではなく、あらかじめ突破した地点、つまり転回後から語っているので、探求などしていないという点に注目すべきなのです。@BeTakada

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posted at 04:34:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

日本の文脈では、サルトルやサルトル批判から、ハイデガーに遡行するため、こうした図式性が歪み、最近では形式性というとフロイト~ラカンの実体性批判の話になる、しかしハイデガーがそれでは不十分としていることが、端的に日本思想の危機といえるのです。@BeTakada

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posted at 04:36:03

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