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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2016年04月01日
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2016年04月01日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年4月1日

パパハイデガーといったのは、帰りにブックオフで、文庫化された東のパパ、高橋哲哉のデリダをみつけて、セントリズムの現前性の形而上学のところを再読してたからだが。つまりなぜハイデガーは非現前の形而上学なのかという。bit.ly/1SrJOQ9 @BeTakada

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posted at 22:52:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年4月1日

ハイデガーが現前性=真実在の形而上学を、存在了解していない存在忘却といえたのは、カント書で、カントは時間が感性論の絶対時間であり、弁証論の理念=形而上学の全体性となっていない、という図式論を的中させるからで、細川亮一によるとアインシュタインの時間論と同じ。@BeTakada

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posted at 22:55:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年4月1日

ハイデガーが言いたいのはシンプルで、イデアでも絶対神でも自我(コギト)でも、真実在という無規定性から実体的に語られる時間は静態(時間の非実在や存在忘却)であり、それは形而上学の全体(メタ存在論)ではないという図式性だけが、超越論に対する地平全体だというもの。@BeTakada

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posted at 23:18:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年4月1日

細川龍一のカント書論『ハイデガーと形而上学の問題』bit.ly/1q9r69B に少し触れると、カント書最終節 bit.ly/22V5Mpq が、なぜアリストテレスの「存在とは何か」という問いで終わるのか、という解釈なのだが @BeTakada

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posted at 23:28:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年4月1日

「存在とは何か」という単一の問いが、一般形而上学と特殊形而上学に二重化したのは、感性論的時間という絶対時間を踏まえたカントで極大化した存在忘却で、カントでは弁証論 bit.ly/1RC7LVc にその理性批判の全体がある、という問題全体の話。@BeTakada

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posted at 23:31:14

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