大本薫 Kaoru Ohmoto
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- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年05月05日(木)
タカ基地さん、ここやりましょうね。GA24の第21節のテンポラリテートとプレゼンツにおける、別の存在了解=別の学的企投の可能性の問い。そっちの方がカントが言うようにレアールだという。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 00:50:00
アインシュタインが形而上学というわけよね。ハイデガーではあれば、存在者とは何何である(存在者としての存在者)では、存在が無であり、存在者とは何かの答えは、存在(有)でなければならない、という存在論的差異をいうのだが、同じこと。twitter.com/pitimuxicele/s...
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posted at 20:12:36
存在者とは水である(存在者としての存在者)に対して、存在者とは存在である。これによって、存在者とは存在であり、存在とは時間であり、時間とは脱自態であり、という主導的問い=別の存在了解=レアールな学的企投が起る、と言いたいのだろう。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 20:16:27
しかし、問題なのは、現存在とは存在であると同時に存在者である点だ。現存在を《存在者としての存在者》として捉えられない時に、(彼は)存在者を《存在者としての存在者》として捉えておらず、彼は無限遡行してしまう。つまりその現存在は存在していない、非現存在である。
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posted at 20:23:43
ハイデガーは、こうした図式性にアリストテレス以来初めてカントが接近したが、仕上げなかったと非難する。「図式機能とは、純粋悟性概念(カテゴリー)が感性の形式である時間を限定する際に、超越論的構想力(想像力)の産物である図式が両者を媒介するその働きのことである」(木田元)。
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posted at 20:31:30
そして、図式性からの退却は、カントがデカルトの思惟する自我に対する考える自我(超越論的自我)を、デカルトに倣って被造物と絶対措定し、先措定を失った定立を来したことにあるという。縮約すると、被造物と措定しなければ、こうした図式性からの退却が起こらない。
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posted at 20:36:53