大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年07月02日(土)
「神は今を識別できない。」という永井均の近刊「存在と時間」は、誰もこの独在性を取り上げない、という問題提起 bit.ly/298MBzw だが、勿論、ハイデガーは神という言葉を使わずに、カントこそ、その神の無能力を暴露した、というデカルトの徹底を遂行するわけ。
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posted at 00:41:27
今を識別できない創造主に対して、造物主が今を識別してしまうこと。後者が従来の哲学的な読みになっていて、それは哲学ではないという永井氏の批判の仕方は、この問題を取り上げない哲学者が、ハイデガーを従来の観点で誤読してしまい、カントのこの問題を隠蔽している、というふうに聴こえる。
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posted at 00:49:43
ハイデガーのカント論は、神という語彙を使わずとも、神が識別しない今が在る、という永井氏の独今論になっているように聴こえる。永井氏はそれを、神が今を識別できないこと、というのだが、ハイデガーによれば、カントはそう言わずに、それと同じことに言及していることになる。
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posted at 00:51:16
面白いのは、永井均氏のスタイルで、彼はカントもハイデガーも論じるつもりはないと常に言い続けるところなのだが、しかし逆説的に、そのことによって、それ(独今性)を、今を識別できない神、と言ってしまう点なのだ。
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posted at 00:54:38
端的には、認識論的と存在論的の差異に思える。造物主が今を識別するという真理前提は認識論的で、今を識別しない造物主という真理前提が、おそらく存在論的なのだ。しかし、この差異、つまり二重襞からは、それは神という一重襞にならない。
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posted at 01:11:58
カントでは、造物主が直感だけで物の産出原因となる根源的直感と、直感者が物の原因とはならない派生的直感の二重性が、一環して問われるが、それを認識論的とすると、造物主が識別できない今を問題にできない、ということがあるのだと思える。
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posted at 01:13:58
ところで、パパムスはポスト同級生で、同級生(入替り譚)が、欧米ではSFの原物語にならない、という点から、そのことを考えるのも面白い。永井氏は、入替り譚は中島義道がいうような霊魂の輪廻という二元論ではなく、独在性を相対化させる装置だ、と前提しているからだ。
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posted at 01:14:50
どちらを問題にするか。私達はつい、二重襞を問題にしてしまう。しかし、彼らが問題にするのは、たとえば悟りは終末論か、それとも今のことなのか、というような時間論なのだ。おそらく二重襞からは、それは見えてこないように思える。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 01:17:59
先日、買われることで価値になるのではなく、売られるものが熱力学的に矛盾律だからこそ、それは価値になるという、形而上学の問題がでていたが、おそらくこうした問題に入り込めないのも、二重襞のせいだろう。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 01:22:43
ゆえにこれは余談ではなく、力の大きさより性別の方がより根源的な言語の規定なのでしょう。先日ラカン研究者が「性別は認識できない、それはハイデガーの言う存在だ」と連投 bit.ly/29kqMgS していたが、そこをすり替えるのがマッチョです。@J_J_Kant
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posted at 15:14:47
切断主義と連続・・・アインシュタイン・・・ロマンティシズム・・・田辺は現代的観点から見てもいい線行っているのだが、二転三転するのと西田と違って「内包」にこだわりすぎるのとでやや残念。
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posted at 15:55:27