大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年07月03日(日)
カント書のダヴォス討論に対するフリードマン史観。www.shayashi.jp/courses/2013/s... それに凌駕するものとしての田辺元は宗教哲学ではなく数理哲学だ、という話なのね。林晋 田辺元の「数理哲学」www.shayashi.jp/sisou201201a.pdf
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posted at 02:36:21
「日本とフリードマン史観との相違。ドイツを中心とした欧米での、左(英米分析系)と右(ヨーロッパ大陸)に地政学的に分離していく二つの哲学の流れが、日本では、第二次世界大戦の敗北という契機を隔てて、左右ではなく、前後でわかれているようなところがある。」
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posted at 02:40:50
「これは左右分裂が、ドイツの第一次世界大戦敗戦が契機であったが、日本はそれにほとんど無縁であったという点が大きい。そのため、新カント派の伝統が、日本の京都という地で、第2次世界大戦終結までは、特に田辺元の思想の中に生き残っていた。日本の分析系は、欧米以上に形骸化」
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posted at 02:41:03
この前某氏に、続・ハイデガー読本のカント書論はわからないが(否定神学にみえるが)、カルナップ論 bit.ly/28XLHWy が面白いと言ってきたが、これをフリードマン史観というなら、それを宗教哲学と捉えることに対して田辺元だけ数理哲学と捉えていたとなるのかな?
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posted at 02:47:38
ところで、ダヴォス討論という単行本翻訳があるのね。高くて入手できないが。www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%8... ハイデガーのカント書付録で討論自体は読んでいるが。bit.ly/1FQnACj
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posted at 02:51:36
なお、林晋の『田辺元の「数理哲学」』 www.shayashi.jp/sisou201201a.pdf でのフリードマン史観の紹介は、このページ。 pic.twitter.com/dwjiO2vhbe
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posted at 02:57:53
哲学プロパーではないので、一般向けにどういうことかと翻訳するとおそらく、とくに戦後の日本だけ特異に、いわゆる無宗教や無数学という、狂乱状態にあって、それが哲学史的にはどういう事態なのか、ということが問題にされているのだ。
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posted at 03:03:53
なお、東はこれ(カルナップに対するハイデガー)を物象化 twitter.com/sunamajiri/sta... とし、ラカンを語るが、そうした物象化は誤読だろうと言うのが、先日のこれ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 03:18:49
私から見ると、東が物象化というラカンの問題も、単に性同一性は認識論的ではなく存在論的だという、これにしかみえないのだが。twitter.com/sunamajiri/sta... twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 03:22:03