大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2017年01月20日(金)
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デカルトやカントを、科学と宗教の二文法という認識論へと矮小化すると、現実=世界内存在でなくなるよ、というのがハイデガーだが、あの語り口に辟易しているドイツ人が多いからね。エンデは実作家なのに、その二文法を作品外的に語りすぎるから惜しい。@BeTakada pic.twitter.com/qPf8hpzwTm
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posted at 02:32:52
科学的というと味気ない無機質な、というイメージが語られるからね。それでいきおい、科学的か否かに気を取られてしまうと、前近代だ、というのが現代文の先生の教え twitter.com/sunamajiri/sta... なのだが、どうしてもイメージ(先入見)だけで捉えてしまう。@BeTakada
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posted at 02:38:11
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デカルト以来の個人主義というのは、汝に愛を語れる我になった、という程度のことだからね。それを科学か宗教かとか、科学は質のない無機質だ、とかイメージで語ると、語りとして弱いのよ。エンデは愛ありきで語ってるけどね。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 02:43:24
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思う我と存在する我の分裂が通俗的に心身二元論的になると、科学だ宗教だと発狂的になるが、それ以上に厄介なデカルトの思うだけの我と、考える我の自我分裂 twitter.com/sunamajiri/sta... で、これもカントは一元論で捉えていた、というのがハイデガーですね。@BeTakada
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posted at 03:13:16
それがデカルトは漠然と思考するだけで、神に縋るが(神観念要請)、カントの観念論批判においては、厳然と時間が思考されているので我は存在する、というような論旨ですね。もはや神という観念が不要になったわけです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 03:26:08
さて、もう一度鈴木英明のカント書論 bit.ly/2jgQbNp twitter.com/sunamajiri/sta... から、ハイデガーのカント書の枢軸に肉薄してみましょう。@BeTakada
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posted at 03:31:19
鈴木英明カント書論 bit.ly/2jgQbNp の要諦は、悟性=一般と感性=個別という二分法に引き裂いたものが、ハイデガーが批判したカントの不安(退却)であり、また一般と個別を統合する構想力が、戦後アメリカの比較文学的実践だというものだ。@BeTakada
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posted at 03:31:47
このように引き裂かれているのは心身ではなく、個別と一般であり、鈴木英明が引き合いに出すのは、カッシーラーがハイデガーに対する書評で批判した、カント書第31節のカントの「感性的理性」GA3-173の箇所です。bit.ly/2jobT2g @BeTakada pic.twitter.com/r97pXgPTNU
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posted at 03:49:34
ハイデガーの転回というのは、こうした新カント派的な転回観、つまりカントを科学的認識とすることでオイディプス・コンプレックスを孕むこと、そこからの転回だというのが、私の見立てです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 04:16:56
デリダの動物論的ハイデガー批判がこれ。ハイデガーは、動物は選択できる世界が貧しいので、エッチする他者に開かれているという豊かさを語っただけだが、デリダはハイデガーの動物の貧しさという言葉に躓き、価値の優劣の話に終始し、他者に出会えない。
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posted at 22:34:46
それは如実に、進学校と教育困難校という貧しい二分法では、他者に出会えない非リア充を量産するだけで、教育はあらゆる二元論という貧しい思考を乗り越えるためにこそ目的づけられている、という議論だともいえる。世界を選択肢と思うと世界に出会えない。
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posted at 22:43:13