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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2017年01月25日
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2017年01月25日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

音楽は記憶なのか、記憶でないのか。記憶であるなら書き留めて置かなければ、掻き消えてしまうだろう。だから西欧的な音楽教育では読譜のメソッドになっているのだ。読譜ができれば暗譜する必要がない。なぜなら音楽は記憶だからだ。しかし果たしてそうなのだろうか?@PiyoMegtan

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posted at 03:54:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

じつはこれが、プラトン以来の西欧哲学の問いなのだ。人間は記憶を想起しているだけなのか? もしそうなら忘れないうちに外部記憶装置であるノートでもHDDでも書き留めておき、それを読み出すスキルだけを問題にすれば良い。しかし、人間は暗記だけが仕事ではない。@PiyoMegtan

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posted at 03:57:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

プラトンというとイデア論だが、それは近代以後は、人間は記憶を想起しているだけだ、という説。それに対してアリストテレスは、人間は想起しているのではなく、想像力が想起をも含め人間の主要な活力だ、というような説。このことは音楽には非常に大きな問題になる。@PiyoMegtan

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posted at 04:08:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

想起ではなく想像力だ、というのが現代哲学で文字通りの主題になるのだが、それは音楽とは記憶であり、それは書き留めておき、それを読み出す作業だ、とした近代の音楽教育に対する批判性としてあるからなのだ。@PiyoMegtan

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posted at 04:09:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

想起=読譜から、想像力になるとは、意識とは常に志向意識だが、もし間違った志向対象を抱けば、その意識は先走って、音楽的には決して調和しない。それに対して、音楽的に正しい志向対象を把捉していると、意識は極めて自然に音楽を表現してしまう。それが例の音感の問題だ。@PiyoMegtan

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posted at 04:38:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

意識は何かを追い越して勝手に先走っている。そこではもはや記憶を想起するだけで精一杯で、明日どころか今日を過ごすのも這々の体だ。ところが実際には何ら先走りなど起こっていない。それは何を意識しているからか。そういう話をしたのはハイデガーがはじめてだろう。@PiyoMegtan

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posted at 05:21:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

意識が先走ってしまえば、死の病としての終末論なのだが、音楽的には終止形かもしれない。しかし実は人間の意識はそんなものに囚われてはおらず、もっと活力のある有能なものだ。それは何を意識化している時に、活性化されるのか。それが不明では挙動不審だろう。@PiyoMegtan

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posted at 05:24:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

デリダがハイデガーの形而上学批判期(カント書→メタ存在論(退屈論・動物論)→イデア批判)を、いわば逆順で辿るのは、ソシュール~ラカンの記号論=現前性のプラトニズムを批判するためで、ハイデガーはカント書で、こうした現前性=存在者性を免れているのでしょう。@BeTakada

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posted at 08:45:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

記号論は記号と記号の差異性に意味を見出してしまうが、エクリチュール論では文字と音声の差異、そして原エクリチュール論では、音声と音声の差異も、抹消されてしまう。それは記号論的差異=現前性とは存在者であり、そこにイデアを求めることはできないからです。@BeTakada

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posted at 08:55:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

たとえば、デカルトはすべてを疑ったのに、私という単語のイデア性を疑わなかった。それでは、他人の話すコトバと、自分の話すコトバの同一性、イデア性は問えない。つまり、疑うべきはこの単語(記号)の存在者性なのです。@BeTakada

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posted at 08:58:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

ハイデガーが問うているのは、現前した存在者=記号からは、意味=存在を読み取れないよというようなことなのだが、記号論ではこのことができない。つまり記号論とはプラトニズムなのです。だからデリダはハイデガーの形而上学期の後ろ(GA40)から、逆順に語り始めたのです。@BeTakada

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posted at 09:07:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

蛇足すると、日本では柄谷をはじめ、なぜかハイデガーをラカンに重ねて、ハイデガーを否定神学システムと見做しがちだが、デリダはラカン批判であり、ハイデガーが批判しているのも、そうした現前した存在者としての記号のプラトニズム性なのでしょう。@BeTakada

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posted at 09:36:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

存在者(実在物)というと、つい非記号的な現物のことと考えがちだが、ここが躓きの石。じつは彼らが問うているのは、現前した記号の存在者性から意味を読み込むプラトニズム。GA40のシャイン論と、カント書のビルド論によって、記号論が乗り越えられるというわけでしょう。@BeTakada

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posted at 09:56:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

つかれたので、また後日です。今日は音楽論の方でエネルギーをそがれて、ハイデガー読解のバッテリーがまったくなくなってしまったw @BeTakada

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posted at 09:57:25

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

ここでのデリダの記号論批判は、さすがに周期表は問題視=否定しないね。twitter.com/sunamajiri/sta... のように、二元論として受け止めないというのは、形而上学が形而下との二元論ではないという話だから。@BeTakada bit.ly/2jptlEU

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posted at 23:47:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

大雑把にいうと、デリダのハイデガー読解は、ハイデガーが存在者(現前性)から存在の意味(非現前)を読み込むのはプラトニズム=存在忘却だという批判に、記号論の言う記号もそうした存在者=現前性だ、という批判なわけです。したがってどちらも二元論ではない。@BeTakada

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posted at 23:54:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月25日

それは、現前した存在者は、自存在の原因ではない、というような意味です。自分では自分が産めないわけです。そこに音声に至る記号も、現前性=存在者だから、何ら原因ではなく、記号論こそがプラトニズムだ、というデリダの読みが、ハイデガーのGA40シャイン論読解です。@BeTakada

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posted at 23:59:08

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