大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年10月25日(日)
そうですよ。デカルトの方法的懐疑というのは、本来はそのループから離脱する態度のことであるはずなのに、なぜか偏向しないこと、というループをもたらしてしまう。そこから離脱すること、と端的に理解すればよいだけなのに。@inja650rr 皮肉な循環を感じますね。@J_J_Kant
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posted at 16:23:54
超越的な力というものに対して信仰してしまうからこそ
無限循環に陥るのでしょう。仏教の神通力にしてもそうですよね。
「解脱」とは浄土に行くことだと一般的には読まれていますが
正に無限循環からの解脱を指している様に思えてなりません
@sunamajiri @J_J_Kant
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posted at 16:31:22
その通りです。西欧では方法的懐疑であるフッサールの様相還元、ハイデガーの形式還元によって、心的実在という認識論の形而上学(無限後退)が根絶されたのに、日本では戦後の三島由紀夫まで、永劫回帰を輪廻転生と語ることを模索して失敗してるのです。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 19:55:34
つまり、それは端的に無限後退と輪廻転生は別物だという問題です。三島由紀夫がその混同や実体視に陥ったのが日本では戦後の動揺を雄弁に語っているのだが、西欧哲学では、そうした混同、つまり実体視という問題は、遠の昔に根絶された亡霊です。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 19:59:19
空は無でないというのが上手く言えていないというのは、動力学とか動態とか、時間を根源に規定して語る方法を得る現象学となっていない、静態的な発言だからというように見える。@inja650rr bit.ly/1LP0Dle
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posted at 22:40:58
ハイデガーは神の要請も、神の有無(論理学や神学)である無神論も語らないどころか、動的に、あるいは時間的に語ると神が不要になるという方法について、単に語っているだけだからね。空も仮象のようなものだが、空も必要とせず、さらに否定神学ですらない。@inja650rr
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posted at 22:45:59
2015年10月26日(月)
思考実験してみるべきなのだが、方法を空として語り、時間と語らない仏教は、ハイデガーからはデカルトが懐疑した静態性=形而上学の一つの源流に見えているかもしれない。ハイデガーの方法からは、空という方法は単に非時間的・非本来的な語り方なのだ。@inja650rr
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posted at 00:24:06
時間は、空間との交点や、ゼノンのパラドックスのように、無としての点や、停止でありえないばかりか、方法としての空ですらなく、方法そのものと規定されているのだ。@inja650rr
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posted at 00:25:59
つまり、言ってみれば、端的に方法を、何と名付けるか(呼称するか)ということだけが問われているのだが、懐疑的方法とは空と名付けるよりも、時間と名付けたほうが、より方法的で根源的だ、ということが問題になるのだ。@inja650rr
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posted at 00:28:17
空は時間と名付けられないが、時間は空でもある。だからより根源的な名称(根源規定)は、空ではなく時間である、と受け取らなければならないのだ。時間から見ると空は方法的ではないということなのだろう。@inja650rr
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posted at 00:30:00
はい、輪廻の解脱を目的とする教えであったとするのであれば、
本来的な人間の在り方とは、活きながら輪廻を解脱する事であり、
その見方からすると漏神通とは、形而上学を見抜く力であると考えます。
この考えではハイデガーと同様だと考えます。 twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 17:34:12
そうだと思います。迷いというのは、二元論的に潜勢して、死後の解脱を証明しようとして苦しむようなことです。そこでは解脱は境地のように目的化されている。それに対して、ハイデガーが現勢的規定から潜勢的規定を批判するのは、迷わないということです。@inja650rr
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posted at 17:37:21
ハイデガーでは、実践=当為、つまり今とは目的そのもなのです。今の後に目的があるのではない。目的が今の後に来るのであれば、それは潜勢的であって、現勢的今は苦であることになってしまう。それをハイデガーは実践的ではない、といっているんです。@inja650rr
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posted at 17:37:33
それを言い直すと、解脱という境地が目的となる今の苦というのは、目的が今に一致していない因果律に過ぎず、その先には決定論しかないので、本来的な現勢的時間規定ではない、というのがハイデガーです。だから解脱のように非本来的時間で物語ることが、批判されているのです。@inja650rr
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posted at 17:42:59
@sunamajiri 現代の人間とはもしかしたら、本来的な人間の在り方を見失っているのかもしれませんね。
だとしたら、解脱とは本来的な人間に回帰する事であるというようにも思えます。
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posted at 17:46:32
たしかに、主著というだけあって『存在と時間』に出揃っているのだが、まだ決意性のままで、現勢的時間根源そのものが書かれていなかったり、脱超越論性である転回後が形式的告示されていなかったりするので、一冊では不十分。一冊でまとめておいてくれないと、持ち歩きに不便。
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posted at 18:01:55
カントの動揺(図式性である超越論的構想力から弁証論への墜落)も、潜勢=動揺があるからですよ。つまり迷いとかパニックをハイデガーは現勢的=実践的でないと問題化する地平を記述しようとしているだけです。別に誰でも出来ることなんだが。@inja650rr 葛藤をしている
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posted at 18:15:47
それが、この前のシンポで登壇した古代哲学者の神崎繁氏のいう、葛藤から実践へ、という問題ですよ。フォアゾクラティカ以来、ハイデガーが初めて、実践と良心を時間的に一致させた、というのはそういうことです。twitter.com/sunamajiri/sta... @inja650rr
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posted at 18:20:14
良心が実践の目的(因果律)ではなく、時間的な現勢になるというのは、迷いがなくなることでしかないが、その誰にでも自明なことが、哲学的にはハイデガーが史上初だ、ということの意味だけが厳密に問題になるのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @inja650rr
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posted at 18:27:08
空間と時間の止揚という交点は論理的に無でしかないが、良心と実践を一致させる好機=時間というのが有=言明性(言明すべきこと)なのでしょう。それは、あるものとしてのあるもの、あるいは、ありてある、という契約の記述の仕方に携わること、だからなのでしょう。@inja650rr
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posted at 18:34:15
@sunamajiri 要するに記述が曖昧であったのだと思います。
神の存在証明にしても曖昧であったからこそ、批判され。だからこそ教会から隠れる事が出来た。
非言明にこそ真意を隠す事ができ、故によく生きる事が出来るのかもしれません。
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posted at 18:39:29
まさにそれね。曖昧な言明なら黙するしかないということ。@inja650rr 要するに記述が曖昧であったのだと思います。神の存在証明にしても曖昧であったからこそ、批判され。だからこそ教会から隠れる事が出来た。非言明にこそ真意を隠す事ができ、故によく生きる事が出来るのかもしれません。
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posted at 18:49:27
2015年10月31日(土)
デカルトでは幾何学的延長を齎す点=死力で、カントでは自由運動を記述する動力学に過ぎず、根源規定が潜勢的な点性=否定性のままで、時間自体=点でないことに現勢化していないという話なのだが。www.evernote.com/shard/s157/sh/... pic.twitter.com/dURXAc8BES
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posted at 17:07:38
夜中病院ベッドで眠くなるまでiPhoneに入れてたNスペ神の数式2の超弦理論みてたが、とにかく点だけは明証的でないのだ。デカルトが点性であることが問題。 pic.twitter.com/OswqmgdQbE
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posted at 17:14:06