九十九屋さんた(さかなや)
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2014年06月07日(土)
漆原健@形而上学とエゾテリスム @urushiharaken
実際、これらの技術が、「固体化」に直接向かう傾向を持つこと、そしてわれわれに対して現れているような物体的世界においては「固体化」は実際に鉱物そのものにおいてその最も顕著な形に到達するということは明白である。
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posted at 07:01:43
漆原健@形而上学とエゾテリスム @urushiharaken
更に鉱物は、それらのもっともありふれた形である石において、固定された建築物の建設において特に使用される(89)。都市を作り上げている建築物の集合体として考えられた都市は、とりわけ、諸鉱物の人為的な集積体のようなものとして現れる。
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posted at 07:02:45
漆原健@形而上学とエゾテリスム @urushiharaken
そういうわけで、建築における鉱物類の使用は常に、言葉のあらゆる意味における「固体性」のより高い段階を含意する。
ルネ・ゲノン「量の支配と時の徴」第二十二章「冶金術の意味」
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posted at 07:06:02
漆原健@形而上学とエゾテリスム @urushiharaken
そして、われわれがすでに述べたように、都市における生活は、農耕生活よりもより完全な定住性に対応している。鉱物が植物よりも、より固定され、より「固い」のとちょうど同様に。
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posted at 07:07:14
漆原健@形而上学とエゾテリスム @urushiharaken
しかしそれ以上のことがある。鉱物を対象とする技術は、そのあらゆる形態における冶金術をも含む。
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posted at 07:07:55
漆原健@形而上学とエゾテリスム @urushiharaken
さて、かつて石が木にとって代わったように金属が今日においてますます建築において石にとって代わるようになっているという事実を観察すれば、そこにはサイクルの下降的運動における、より「進行」した相の一つの兆候が存在しているに違いないと考えたくなる。
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posted at 07:08:45