エリン最後のゴーレム使い
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2015年12月26日(土)

『銀河漂流バイファム』は『十五少年漂流記』モチーフの企画という意味では、ガンダムの双子の弟のような作品ですが、モチーフどおり、子供達だけで宇宙船で漂流するまでの過程がかなり印象的だった記憶がある。作品として設定や状況の違いは前提としてあるけれど、ガンダムと対比しても面白いと思う。
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posted at 12:04:19

『銀河漂流バイファム』は植民星が異星人の軍隊に襲われるところから始まるのだけど、そこから逃れて、練習艦ジェイナス号で宇宙で漂流する過程で、大人が次々に死んでいき最後に子供だけが残る。その死んでいく順番があまりに正しいことが、子供の頃の私には印象的だった。
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posted at 12:07:06

まず軍人たちが民間人を守るために順番に死んでいく。次いで民間人から年配の男性(メルビン教授)がいなくなり、最後に唯一の大人になったケイトさんを失って、子供達だけになる。死ぬ順番としては正し過ぎるぐらい正しいが、それゆえの段階的な絶望感というのを、子供の頃に見ていてすごく感じた。
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posted at 12:09:03

で何がいいって、頼れる存在であり愛してもいたメルビン教授を失って、ただ一人の大人になってしまったケイトさんが酒に溺れるところ。大人たちが正し過ぎる順番で死んでいったあとの孤独なケイトさんが見せる圧倒的な弱さ。酒は大人のもので、彼女の酒に付き合える人間はジェイナス号には存在しない。
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posted at 12:15:38

その後、酔いどれケイトさんの部屋に来たロディとあんなことになるわけですが、このあたりがすごく好き。子供時代の私に与えた影響は大きい気がする。葛城ミサトさんも「加持くーん……」って言いながら、べろべろに酔っぱらえる程に弱ければ、シンちゃんに逃げられることも無かったかも知れない。
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posted at 12:21:50

以前ブログ記事にも書いたけど、ジェイナス号との対比という意味で行くと、ホワイトベースはもちろんそうなんだけど、ZZの「大人によってつくられた子供だけの船」ネェル・アーガマが印象的ですね。宇宙船をひとつもらえるなら、ネェル・アーガマより確実にジェイナス号の方がいい。
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posted at 12:28:41

ちなみにホワイトベースの場合は、ジェイナス号とはそもそもの設定が違うので、あくまで物語ではなく、大人たちの描き方としていえば、軍人も立派なのとダメなの(パオロとリード)を出して、民間人の大人たちも、やむをえなく兵器に乗って戦っている子供たちにわがままを言って困らせたりする。
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posted at 12:46:06

ジェイナス号の「大人たちは順番に全員立派に死んだ。次は私たちがやるしかない」という感覚と、ホワイトベースの「大人たちはアテになるとは限らない。生きるためにとにかく動こう」といった感覚は、良し悪しではなく単に世界の違いだと思うけど、子供を戦わせるための前提条件の違いが見えて面白い。
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posted at 12:54:15

ジェイナス号の場合「大人がまずやることやるので、子供が兵器で戦争するのは、その後のどうしてもやむを得ない事態」で、ホワイトベースは「大人はアテにすんな。死ぬぞ!」という、君は生き残ることができるかメソッド。世界の違いであるけれど、制作者の世界の捉え方の違いでもあるんだろうな。
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posted at 12:59:32