地に足をつけたい
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- 自己紹介 女の園の星 / 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト / Slay the Spire
2011年05月16日(月)
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アニメは「音」だなあ、と思うのはたとえば山村浩二『頭山』、あの優れた現代性と言葉のイリュージョンをもって精緻に構成された迷宮譚の決定版とも言うべき傑作は、しかし全編にわたって鳴り響くさくらんぼの種を噛み砕く禍々しい音なしには原作の摩訶不思議さに到底及ばなかったのではないだろうか。
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posted at 20:56:49
あ、先日書いたファンタジーの省略可能性というのを測る指針でいいのがあった。「被害のリセットがモヤモヤするかどうか」。破壊された物の修復、死者の復活などは起点と終点の直結で「心に起こったことだけを残す(夢見の目覚めの良し悪しだけを残す)」ということなんだけど(→)
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posted at 19:27:34
本当にある一つの作品がある時代の集大成なら後世において「これ一つ見とけばアレやコレが押さえられるよ」になる気がする。「○○を語るならアレ見れコレ見れ」が出てくるのはむしろ色々欠けてるゆえかもしれん。果たしてまどマギがどちらかは年月でどう磨かれるか(あるいは擦り切れるか)を待ちたい
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posted at 19:21:22
「土俵に上がる気がないけど一言チクっと刺しておこう」みたいな根性はなるべく沸かせないようにしたいものではあるが、なかなか意地悪心というやつは御しがたく己の唇を殴りつける日々です>まだ見てない・見るつもりがない作品に対する態度のもちかた
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posted at 18:37:38
なので言えることがあるとすると、「普遍的な良さについて語る」というのは険しい道ではあるしそれ自体に落とし穴も多いのですが、そういう欲求をもし抱えている人がいるならぜひがんばってほしい、ということですね。「語りたいから語るだけだ」みたいな安易な逃げ口上に流されることはないので。
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posted at 16:59:05
一般論としてまとめると「思い入れがあるからこの作品やジャンルについて語りたい」という、語りが自己目的化してる姿勢も無目的で不健康だし、一方で敬虔さに欠けた「自分が思うことを言えれば幸せ」のように客観性をなんとも思ってない人も(研究者的な立場からすると)目にあまる部分を生みうる
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posted at 16:54:06
自分の場合、精神構造が人と比べて特殊な部分から「誰も認識しないようなことを認識する」みたいな固有性が生じるのだけど、こういうときに「わかってほしい」のは自分の精神構造であったり、だからこそ見えてくる作品の魅力だったり、「自分みたいな人のためにこの作品を知らせたい」だったりと様々だ
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posted at 16:34:08
「あの作品が好きな人といえばいずみのさん」もしくは「あの作品を本気で語っているのはいずみのさんくらい」という状況ができる可能性が高かった。最近も、ネットで書いたことから立て続けに「これについて語るならいずみのさんに」という依頼が入ることがあって、実際に、
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posted at 16:24:11
それで自己分析だけど、過去に自分がやってきた作品語りというのは、「サイレントマジョリティの多い娯楽作品の普遍的魅力を語りたい」という類のものが多くて、畢竟、いかに自分自信を「殺す」かという方向性が無意識に行われると同時に、
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posted at 16:22:09
寝る前の話を敷衍すると、ぼくも自己分析は好きだし、内観を経た自己表現と承認欲求は強い方のはずだけど、その欲を作品と結びつけることには相当慎重かつ抑制的にならざるをえない、という感覚がある。それが敬意にあたると思うからだ。敬虔さが足りない作品語りはすぐに見抜く神がいるのだと思う
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posted at 16:18:38
[B!] asahi.com(朝日新聞社):ぼやき漫才 IKKI&ビーム - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能 www.asahi.com/showbiz/column...
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posted at 13:57:28
ウチは三番目と二番目の間を揺れ動いているような感じだけど、「三番目のタイプの人が一番目の気持ちをまったく理解できない」とか「一番目や二番目の人が三番目を同類だと思い込む」といった、あまり笑えない相互不理解はあるなあと。ひとめ見て理解できれば苦労はしないけど
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posted at 12:15:07
語り口の良し悪しは個人差の問題だとはいえ、「自分が好きなこの作品を語りたい」のか、「この作品の良さを通して自分を語りたい」のか、「この作品の良さを語るには自分についても語らざるをえない」のか。
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posted at 12:09:57
自分も参加して、いつもの言いたい放題やってます。 RT @getnewsfeed: [ガ] 『T京マンガ』座談会(1/5) 「本当にマンガを描いたことのない人たちが入学してるの?」 bit.ly/m5RZ62 の巻 #getnews
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posted at 11:26:31
[ガ] 『T京マンガ』座談会(1/5) 「本当にマンガを描いたことのない人たちが入学してるの?」 bit.ly/m5RZ62 の巻 #getnews
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posted at 11:20:27
ぼくがマンガ学会第10回大会でパネリスト参加したシンポジウムの文字起こしが収録された『マンガ研究』Vol.17がさっき届きました。司会が伊藤剛さん、一緒のパネラーが宇野常寛さんと南信長さんです。けっこうガッツリ語っていたので、興味があれば検索して手に入れてみてください
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posted at 11:14:27
松田未来 「夜光雲のサリッサ」第10巻7 @macchiMC72
『なぜ日本のマンガは暴力・性表現を描かねばならないか』bit.ly/lB0mf9 世界基準に合わせるのなら、日本の漫画の特性を捨てるのと同義、というお話。
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posted at 09:32:36
おまじないや占いとループもの(ゲーム的リアリズム)は心理現象としては似ていて、「もし本当にそうなったらどうしよう」という、予想を客観視してシミュレーションするためのものなんですね
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posted at 09:04:22
今朝のキッズステーションのジュエルペット てぃんくる☆を観ると、おまじないとか占いにおける「自分の心の外部化(良い自問自答の援助)」を戯画化した世界観の作り方を考える。タロットカードとかで応用できないかなあ
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posted at 08:56:22
諫山創の「地」の部分が『進撃の巨人』という作品内において多分に滲み出しているのだとしたら、じゃあ諫山創という作家の自意識に深く根を下ろしているものを探ってゆこうとアプローチすることになり、するとそれは何かというとPRIDE以降の総合格闘技である、と。
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posted at 03:15:08
冷静に考えるとヤングアニマルでエアマスを連載してた柴田ヨクサルとヤンキンアワーズでトライガンやってた内藤泰弘がいまはヤンジャン・SQ19とそれぞれ“ジャンプ”の名を冠する雑誌で連載してるってのは、世界がひとつ面白さを失ってる気がしないでもないぜー。
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posted at 02:22:14
哲学はある意味で「自分は変えることができるが、他人は変えることができない」というのをその根底でずっとやりつづけているわけだけど。その必要性は現在においていささかも減じてはいない。
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posted at 02:18:20
むかし藤子不二雄のFFランドに、タイムスリップとは別のパラレルワールドへ移行することである、という趣旨のコラムが載っていて。締めの言葉が「自分は変えることができるが、他人は変えることができない」 言い換えればこれは「世界はすでにあり、ずっとありつづける」ってことだよね。
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posted at 02:11:25
表現の形がメディアの特性や蓄積に依ってはいても、それが受け手に届いた時点で各々のうちで然るべく解凍されているわけだから、メディアの特性と自らの受け取る喜びや快楽との相関性はきわめて希薄、実際のところなきに等しい、とは思う。
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posted at 01:26:21