地に足をつけたい
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- 自己紹介 女の園の星 / 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト / Slay the Spire
2011年08月27日(土)
(ジョイメカファイト続き)それと、純粋に敵キャラの数が多いのも特徴。なんとFCのくせに35体の対戦相手がいる。まとめると「8体の味方×35体の敵×3種類の敵思考」で、840パターンものバトルが楽しめるのがジョイメカファイトなんだ。CPU戦闘がここまで楽しめるゲームは他にないはず。
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posted at 23:51:39
(ジョイメカファイト続き)自キャラを毎戦選択可能になってることで「そのCPUにどのキャラで挑んだら相性的にいいか」を戦略的に考えることが出来るのがひとつ。それと、CPUの思考パターンが体力残量に応じて3段階変化するのもCPU戦が面白い理由のひとつ。(続く)
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posted at 23:47:24
CPU戦が楽しい格ゲーをおれはひとつ知ってる。『ジョイメカファイト』が正にそれだった。いわば「アクションゲームのボス戦」を連続で遊んでる感覚のゲームなんだ。倒すべきCPUがいて、それにどのキャラで対戦を挑むか考えるところから始まって…(続く)
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posted at 23:44:43
プロデューサー型の悪役の見習いって感じで、優等生になろうとして果たせずのほかのお子さん達とは見えてるものがだいぶん違う。どう見られてるのかにも意識的な自己プロデュース感がオシャレメガネに象徴されてる、と。
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posted at 23:12:06
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それを想像する楽しさを是非。 RT @UNAHIKO: @HikaruIjuin 大人の事情で難しいのかもしれませんが馬鹿力PodcastがUSTで配信されたらいいなぁと思ってしまいます。放置プレイに晒されたノリ君の表情や「チェストー」と叫ぶ形相は音声だけじゃ勿体ないw
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posted at 22:17:30
とりあえず佐藤さんの読むか。“「B-BOY」の「B」がもつフィロソフィー(略して「ブレイクフィロソフィー」)と、より原理的なレベルで共鳴する”ものとして「B-グルメ」とか、さすがとしか言いようがない。完全に負けた。
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posted at 21:16:29
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「CDが売れない? いい音楽がないからだろ」とか言っているやつが「昔はテレビやラジオで……」って、受け身であることを堂々と誇られても失笑するほかない。端から興味がないくせに偉そうに語ろうとするなよ。こっちは日々歓喜と絶望に引き裂かれながら新しい音源を聴いているというのに……。
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posted at 19:55:54
ピングドラムの資料展示見てきた。スターターブックに載ってるヤツとの比較は分からんが、設定資料で部屋の小物(画鋲、魚拓、台所と同じカーペットとか)がちゃんと指定されてるのは面白いですね
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posted at 17:56:53
洗練された技術は、初見では驚きであり、2度目には納得であり、3度目あたりでまたかになる。エヴァンゲがTV、劇場、新劇と見事ながら同じ方向に洗練した技術なので、自分には飽きが来ている。しかしシナリオなどは随分弄ってるし仕掛けも多いので、そこが好きな人にはタマランチだろう。
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posted at 13:40:49
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『ココロコネクト』のコミカライズは『アイドライジング!』のイラストさんなのか。原作、一巻目は悪くなかったけど続刊は鬱陶しそうで読んでないので白身魚絵だけください。
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posted at 11:59:37
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あ、「この物語は終わったけど、ドロッセルマイヤーはまた別の物語を作ろうとするから気をつけてね」「自分で自分のお話を空想すること自体は、やめられないんだからやめなくていいんだよ」というふたつのことをエピローグで伝えていたのも、とても誠実だなあと感じた
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posted at 06:08:51
比較して持ち出すなら、まどかマギカはまさにそうで、物語はオープンエンド気味で、主要登場人物のうち、ほぼ誰も「現実世界に帰還する」ような役割を与えられず、むしろ空想の世界で永遠に戦っていきますというイマジネーションに終始した話になっている
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posted at 06:05:29
悪い影響を残すかという問題は、指摘していた。もっとも、「消費者を物語の世界に引きこんで逃さない」というのは(商業原理で語るのはちょっとアレだと思うが)、「空想の世界を生業にしていく人間=クリエイター」を増やす、という意義はあるだろうなあと思う。
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posted at 06:02:23
「幸せな結末」は現実逃避でももちろんなくて、「物語にケリをつけてもらう」ために必要なのであって、本当に読者の現実のことを思うならハッピーエンドにすべきなのだ、という話のようにも感じる。ちなみに、ぼくが書いた「ギフトとしての物語」でも、未練のつきまとう物語がいかに読者に
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posted at 05:59:26
そういう接し方が一番有効なんだというのがチュチュを観ると理解できてくる。ただ、これは逆に言うと「キャラクターに未練を残すような結末しか描けない他のクリエイター」に対する強烈な問題提起、批判にもなりうると思う。ハッピーエンドはご都合主義でも願望充足でも癒しでもなくて、
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posted at 05:55:46
そのプロセスに「その世界に自分の居場所がなくなるまでキャラクターを愛し抜いてハッピーエンドに導く」という関係を描いたファンタジーはなかなか無いと思う。普通、そこまでキャラクターに執着するな、という問題になりそうだけど、ほんとうの意味で「物語を終わらせる」には、
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posted at 05:53:07
チュチュは最初からあひる一人でみゅうと(=自分の内面)を救おうとしていたことだろう。ちなみにここがファンタジーとして素晴らしいと感じたところで、「ファンタジー世界から現実に戻ろう」というテーマの作品はいくらでもあるのだけど、
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posted at 05:50:17
その「自分の内面世界への無償の愛」を持つあひるの心というのは、てぃんくる☆のあかりちゃんの優しさと同じものだと思う。てぃんくる☆との違いは、「無償の愛」をまず表現するのはジュエルペットのルビーなのに対して(そのルビーに愛されることであかりも優しさを解放することができる)、
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posted at 05:46:54
そしてそうやって「なかなかケリのつかない内面世界にケリをつけること」が何よりも現実に立ち向かう力となるし、そして、その「ケリをつける力」というのはどこから湧くのかというと、「誠実な物語の書き手と出会えること」と、「自分の内面世界に対する私の無償の愛」なんだ、という見立てができて、
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posted at 05:42:56
物語のキャラクターを好きになるということは本来そういうものだよな、と感慨深く考えさせられた。その描写はちょっと逆転していて、「ただのアヒルに戻ろう」と言って動物に変化(へんげ)することが、象徴的には「空想の人格から現実の生活に戻る」ことを示唆しているのがイメージを豊かにしている
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posted at 05:37:21
ヒーローとヒロインを愛して我が身を省みないあひるは献身的に映るし、そういう自己犠牲(いわゆる「身を引く恋」のような)の物語として読んでもいいのだけど……、最終的に「物語のヒーローとヒロイン同士が結ばれることを一番に願う」という読者はものすごく自然なことだし、
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posted at 05:31:38
そもそも他人の書いた物語を読むときに思い通りにコントロールできないのは勿論のこと、内面的な葛藤を自分自身で物語化しようとしたときも、コントロールできないのは当然だと思う。そして、そんな状態を、俗に「空想に落ち込む」と呼ぶわけで、人間はこの「空想に落ち込む」状態から抜ける必要がある
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posted at 05:28:12
そう願う本能の想いと、「物語を空想する機能(ドロッセルマイヤー)」は乖離して切り離されている、というのが自己言及的なファンタジーとてしも面白い。なぜなら、人間はいろんな物語を読んだり聞いたりしているうちに「こういうお話はこうなるもの」という想像力を植えつけられるわけで、
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posted at 05:25:19
物語の中には、心の中を希望を表すヒーロー(みゅうと)と、心の弱い部分を表す悪役(大鴉)、その間で揺れ動くヒロイン(るう)が存在していて、象徴化された人の心であるこれらを、救わなければならない、と本能的に感じてしまうのが「人間」で、しかし
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posted at 05:22:21
配役をちょっと簡単に当てはめると、あひるとふぁきあが「人間」であり、同時に「物語における人間に最も近いキャラクター」である。感情移入しやすくて、読者が望んでいる展開を、読者が感じるのと同じように願ったり、懸命に行おうとしたりする脇役。
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posted at 05:18:19
チュチュにおいて「心の中の物語」と「物語を心の中に持つ私」の区別がはっきりするのが終盤、絶望の湖で「物語を終わらせよう」と決意するシーンで、「物語をハッピーエンドにしなければ空想にとらわれたままで、現実に帰還できない」というファンタジーの大前提に従おうとしていることがわかる
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posted at 05:13:01
「物語を読む(創る)」ことで、物語のキャラクターが私たちの内面世界と融合するようすを描いてるように感じる。もっとも、てぃんくる☆の場合もそういうメタ描写を省いているだけで、ファンタジーとしては「主人公の心の中の空想(作話)」が物語となっている、と言えるのは同じ。
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posted at 05:08:53
てぃんくる☆の場合、どちらかというとジュエルランドの物語は「内面世界そのもの」を表していて、それは私たちの現実の鏡として現れる(だから登場人物は私たちの心の副機能を表していたり、現実の知り合いにモデルのいる人物だったりするだろう)。チュチュの場合は、むしろ
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posted at 05:05:38
チュチュの感想ではなく、ファンタジー論になってしまうけど、ファンタジーの物語空間は、心の鏡であり、よく出来たファンタジーであるほど人の心を侵食する。その「ファンタジーは人の心を侵食する」という側面をメタ的に巧く表現できているのがチュチュだと思う
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posted at 05:01:47
また、女性性を象徴する記号だというけど、それが描かれている対象が女性であることを示すインデックスとも言えるわけで、このあたり「記号」と言う言葉の使い方にもっと慎重になった方が良い、というか、自分の問題関心としてはその辺をきちんと詰めたい。
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posted at 03:38:53
押山美知子『少女マンガジェンダー表象論』では、サファイヤの「長くて本数の多いまつ毛が描かれた目」を女性性の記号と言ってるけど、まずそれ以前に「まつ毛がふさふさな目」を表象する記号だろう。
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posted at 03:35:21
まーピングドラムはそろそろ何らかの反転があるのだとは思うけど。晶馬が境界線を越えつつある感じだし。願わくばそれは唐突でかつ突拍子もないものであってほしい。それがこのアニメの流儀だと思うから。
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posted at 03:07:27
山形石雄「六花の勇者」読了。ファンタジーでありながらクローズドサークル+密室+逃亡劇の異色のミステリー。6人選ばれるはずの勇者が場に7人存在し誰が偽物なのか推理するのだが、最後まで誰が犯人か絞らせないバランスは見事。十分本格ミステリとして通用する出来。次巻へのつなげ方も上手い。
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posted at 02:46:44
新しいものはただ単に「見たこともない、新しいなあ」と思わせるだけよりも「どうして今までこれがなかったんだろう?」とまで思わせるもののほうがたぶん上等なんだろうと思う。前者だけだとただの刺激の強度の問題で終わってしまう可能性がまだあるから。
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posted at 02:04:25
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関係性萌えが意識される今、それを志向する人達にこそ、「なんの形容詞もつかない」関係性、「友達とか親友とか簡単にレッテルはりたくない」「分類してしまいたくない」“好き”ってのを読ませてみたいな、と思う。 わかつきめぐみ『SoWhat?』 t.co/ZafH7JC
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アスカ「アントゥァバッガー」 シンジ「ドイツ語っぽいwwwwwドイツ語っぽいwwwww」 アスカ「バッガースィンズィー」 シンジ「ドイツ人wwドイツ人がいるwwドイツ人に怒られたwwww笑えるwwww」
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