YoshiakiMuramatsu
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- 自己紹介 東北のどこかに在住。元森林生態学専攻。学生時代の研究は切り捨て間伐・枯死木の分解について。ふぁぼ魔。http://favolog.org/mramats
2012年07月15日(日)
「学者の正論は暴力」というのは事実だし学者は自戒せねばならないが、およそ「能力」と呼ばれうるものはすべて文脈によっては「暴力」だろうと思う。足が早いのもイケメンなのも料理がうまいのも暴力。
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posted at 08:06:26
いやむしろ「それを解する者」にとって暴力です。自分は絶対にそのようにはできないものを突きつけられるのだから。 RT @tkyk_insensatez: 同様に、すぐれた芸術もそれを解せぬ者には暴力。
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posted at 08:24:27
定義が明確に定められるのなんて学術用語など「議論のために作られた概念」だけで、日常概念の多くはそれほど明確には定義できないし概念の周縁はおぼろげで常に他の概念と重複しているというのは常識だと思う。たとえば「性格とはなにか」と問うてみればすぐにわかる。
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posted at 15:02:04
ネットで「○○の定義は」と言うことが問われる場合にそれが「言葉の定義を明確にする目的」で問われることは少なくて,多くの場合は「自分は○○ではない」「××は○○ではない」と主張するための手段として定義が問われている。
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posted at 15:16:38
@projectionkitp タキオカ君が「○○の定義は」というときには本当に定義を尋ねていることも多いです。そういうことが普通の人と違うのでますます普通の人が怒ります。
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posted at 15:21:18
@SaitoSeiji しかしそれが「シンプルに」可能な「概念」はごく限られるし,日常概念についてそれを行なうことは「議論の範囲を著しく狭める」ことになります。もちろん「定義しよう」というのはその「議論の範囲を狭める」ことが目的なんですけどね。
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posted at 15:25:45
なるほど、先程タピオカさんが、「思いやり」の定義は出来ないと言ったのにご自分で「思いやり」の測定法を仰っていたので矛盾していると思いました。本人に言いたかったですが、ブロックされているので…RT @ynabe39: @projectionkitp タキオカ君が「○○の定義は
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posted at 15:25:54
@projectionkitp マジレスですが,語の定義ができなくても測定はできます。心理学ではいくらでもやっていることです。もう少し難しく言うと測定という行為自体が再帰的に語を定義するというか。
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posted at 15:27:12
ふつうみんな語の定義などしないで提案していますね。「今日はなにかおいしいものを食べようよ」といわれて「おいしいものとはなにか」と言ったら「食べに行きたくない」という意味。 RT @projectionkitp: では語の定義が出来なくても、その語を使った提案は出来ますね。
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posted at 15:31:57
「やっぱりアホだ」。 RT @SaitoSeiji: 「おまえはアホか?」「そのとおりです。私だけが例外なはずはありません。ところであなたの言う『アホ』と私の考える『あほ』がどのくらい重なっているか、一緒に検討しませんか?」
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posted at 15:32:27
「誰か来て〜!この人アホですよ〜!」。 RT @SaitoSeiji: 「やっぱりアホだ」「私がアホだという秘密を見抜くとは、あなたはただの『あほ』とは思えません。生きて返すわけにはいきません」
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posted at 15:37:57
「まじめに議論したい人」は「議論の対象をできるだけピンポイントに絞りたい」んだよね。議論の対象をピンポイントに絞るためには議論される主要概念に「作業用のピンポイントな定義」を与える必要が生じる。ここで「あくまでも作業用に定義する」という「マナー」が共有できるか。
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posted at 15:43:08
@SaitoSeiji 「自分のアホ性の受容」というのはいろんな意味で「特権的な地位」だと思うんですよ。「自分はアホだと受容できること」自体が敵意の対象になり得る。
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posted at 15:45:10
私見としては、脱原発はどう足掻いてもこれから10年後20年後にやっと始まる話。今はそのための下準備すらまともにできていない。故に、脱原発と今の原発停止とはまったくの別問題。しかも原発が停止しているからといって事故が起こらないわけじゃない。それを直結させるのはいかにも呪術的な発想。
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posted at 15:47:24
@ceno_sougou 2年前には「脱原発を目指す」ということもまったく言われていなかったのですから,相対的には「脱原発はすでに始まっている」ように思います。
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posted at 15:49:51
禿同。今現実に考えているのは、教員採用試験の集団討論などの技術として習得可能かということです。@ynabe39 @SaitoSeiji 訓練のできている相手とであれば140字でも充分に可能,訓練のできていない相手とは1400字でも難しい。
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posted at 15:54:52
@SaitoSeiji 「アホでないとは自分はアホだと思うこと」「主観的でないとは自分は主観的だと思うこと」とか言いがちなんですがそれだと「自分はアホだと思っているとアホじゃないと思っている自分がアホだと思っているとアホじゃないと…」みたいな無限後退になります。
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posted at 15:55:46
@ceno_sougou その「下準備」も去年の3月までは始まっていなかった,ということはきちんとみないといけないと思います。原発事故以前から「脱原発の大きな流れ」があったわけではない。
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posted at 15:57:01
どうも「アホであること」と「アホでないこと」は「アホというカテゴリーに入るかどうか」の問題ではなく「アホというカテゴリーに入るか,アホでないというカテゴリーに入るか」の問題であるように見える。
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posted at 16:03:38
@123_euglena @lawkus 「心的概念の性質」として「それが内的実在と対応しない」ということと「内的実在としての心が存在するかどうか」とは最初から別の問題です。
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posted at 16:17:47
@123_euglena @ynabe39 @lawkus ①でいう「やさしい心」が③他者によるラベルを表現しているなら、この「やさしい心」が「やさしい行動」の動因になりえないことは自明。なので、ここでは何も言っていないことに等しくないだろうか。
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posted at 16:18:57
@123_euglena それが「結果の原因化」です。心的概念による行動の原因論的説明の多くがそうなっている。そうでないためにはその心的概念が「観察に還元されない意味」を持つ必要がある。20年前の論文→ soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/handle/...
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posted at 16:21:16
どの教室にも一人づつ警官が配備されるというようなことにでもなれば多少はいじめも手控えられるかもしれないけど、そうなると手控えられるのはいじめだけではないですよね
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posted at 16:22:33
@123_euglena 他人に限らないです。心的概念は他者に限らず自分に対しても帰属されます。mental conceptsとかmental constructsという言い方は心理学というより分析哲学の用語ですね。
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posted at 16:35:35
@123_euglena 自己知覚理論なんかでは自己概念も基本的な材料は自己の行動観察であるとしています。心理学者は(ごく原理的なことを除いて)自己認識と他者への認識にあまり大きな差異を仮定しないですね。これはかなりイデオロギーですが。
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posted at 16:49:13
松島町の釜神職人さんは色々な神様の掛け軸を蒐集している方でした。写真は廃仏毀釈で廃寺となった塩竈神社の別当の掛け軸、真言宗のお寺だったそうで、今でもお参りしているそうです。 t.co/tg9ZvT8L t.co/potyzVWO
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posted at 17:00:10
教育や学問の成立に必要な「治外法権」は間違いなくありますが,それが「何についてどこまで」なのかについて以前はあったような社会的同意がなくなっていると思います。それを議論しなおそうよ,というのが以前からの私の主張なのですが,難しいのは確かです。@todaakira
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posted at 17:19:03
@123_euglena 構成概念の測定,という意味では心理学に限らず物理学的測定にだって同様の問題はあります。それに対するひとつの答えがブリッジマンの操作主義(操作的定義)なのですが,ブリッジマンの著書を最初に日本語訳したのは物理学者ではなく心理学者でした。
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posted at 17:22:31
@ynabe39 「心理学における構成概念と説明」(1995)bit.ly/YW1995をざっと一読しました。多くの心理学者は状況依存的な「傾性概念」にしか過ぎないかもしれないのに説明力のある「理論的構成概念」を測定した気になっている、というのが結論かな(続く)。
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posted at 18:04:25
@123_euglena @ynabe39 生物学実験の場合、ご存知のように、「状況」を厳密にコントロールし、、、というところから測定が可能になるし、「測定」も量的な測定限界という限定つきで妥当性が担保されていて、、細胞は「こころ」より複雑だろうと思いますが研究は単純です。
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posted at 18:10:37
池田信夫氏(経済学者)と大杉教授(法学者)のやり取りを見ていても、どっちもどっちというか、日本って本当に専門分野への相互リスペクトのない国だなあと思う。だから専門分野も育たないし、もっと困ったことには、いろいろな分野の専門家を集めた議論がかみ合わない。
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posted at 18:10:47
@123_euglena だから「実験」が「もっともすぐれた研究方法」とされるわけですが動物や人間を対象とする研究では今度は「実験の生態学的妥当性」が問題になります。「実験室で起きていることがほんとうに現実の正当な代表なのか」ということですね。
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posted at 18:12:52
@dystopian_cat @ynabe39 「アホである私に分かるように説明してください。出来ないのなら、あなたもアホであると認定します。」というのはどうですか?
twitter.com/dystopian_cat/...
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posted at 18:19:43
@123_euglena 心理学の対象が「人間の心的プロセス」だというのはすごく限定的な考え方ですね。心理学者の6割くらいは「心的プロセス」については研究していないと思います。
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posted at 18:30:27
@123_euglena 「生物学」だとそれでいいのですが「動物学」だったり「畜産学」だとそうもいかなくなります。要素の総合としての「個体」に興味が向くようになるからですね。理学部でも生態学の人なんかが「文系っぽい雰囲気になる」のもそのためだと思います。
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posted at 18:31:56
@123_euglena 私が畜大で最初に指導した卒論の学生が「自分は馬の骨格とか馬の生殖とか馬の飼料とかの研究ではなく馬そのものの研究がしたい」といって私のところにきたことを思い出しました。「自然科学じゃそれは無理だよ」という話をしましたね。
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posted at 18:34:51
@123_euglena 心理学者(や文系の研究者)はやはり「要素に還元された人間」ではなくて「統合されたシステムとしての個人とその集合」を研究したいのだと思います。方法論的にいくら科学になってもそれは変わらない。
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posted at 18:37:23
@123_euglena いま現在自然科学がそうであるような意味での「科学」が「個人」を扱うのは無理だと思います。ですから私は人文学が「科学になる」必要はないと考えています。
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posted at 18:44:06
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「自分がなりたいような人間になる」のもなってみれば辛いことがあります。なるようにしかならないです。 RT @te_yoshimura: こんな風にはなりたくない。年は取りたくない。休むなら過労死したい。
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posted at 22:29:46