大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年06月30日(木)
アンチヒューマン=個人の死の尊厳の話をしていたら、kim氏が、日本文学(柄谷や蓮実)が、エネルギーのない死骸が生み出す貨幣を、捉えていないという批判を始めた。bit.ly/295ps1B これもハイデガーから解明できるのだが、一筋縄ではない。
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posted at 01:11:22
ヒントは、続・ハイデガー読本の柿木『ブロッホ、ローゼンツヴァイク、ベンヤミンの時間論』。彼らユダヤ人は歴史を想起と捉え革命を輪廻による解脱とする終末論を唱えるが、第一次大戦の同時代にハイデガーだけ、パウロのカイロス(時間論)を革命=解脱のように語るのだ。
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posted at 01:11:41
貨幣を生み出すのは熱力学的な矛盾である、エネルギーの無い死骸であり、それを見落とすのが日本文学だ、というのがKim氏の批判になるのだが、それはアリストテレスを、パウロの時間論から捉えず、時間を歴史の想起と捉えてしまう負債であるといえよう。
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posted at 01:14:07
これを文脈を知らない日本人に素朴にいうと、仏教で言うような解脱を、ユダヤ~キリスト教圏では終末というのだが、しかしハイデガーだけがそれを終末ではなく、現在の解脱のように語ってしまい、その他の終末論が負債になるということなのだ。
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posted at 01:21:05
ローゼンツヴァイクについては、観測問題で有名なアメリカの科学哲学者ヒラリー・パトナムの近年のハーヴァード講義がローゼンツヴァイクによる新カント派から、ヘーゲルそしてユダヤ教への祈りになる話をしたことがある。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 01:25:07
柿木が鋭く分析するように、ローゼンツヴァイク『救済の星』は、ハイデガーの時間論の逆立した時間論で、祈りに救済=革命を求め、ブロッホのユートピアとは輪廻転生のことですらある。ベンヤミンにおいても、このハイデガーを逆立した時間、つまり想起=負債が前面に出ているということだ。
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posted at 01:35:51
この話はじつは、先日、中嶋先生と話した、禅は臨済宗の公案体系ではなく、曹洞宗の只管打坐だというのと相似であるように思える。ハイデガーには公案も想起もなく、今があるのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 01:37:19
kim氏の柄谷・蓮実としての日本文学に対する批判 bit.ly/295ps1B に戻れば、売れなければ貨幣にならないと語る柄谷行人のようなものは、ハイデガーに至るまで想起のクロノスとして誤読しており、基礎存在論から転回するカイロスとして現前できないということだ。
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posted at 01:42:56
この現前、あるいは革命を、日本人は終末や解脱と語ることより、むしろ悟りという意味合いで語るのだ。その不整合は文字通りのタイムラグだが、それが負債になる時、売られることで貨幣になる、という本来の事態が停滞し、負債だけが再生産されている、という風に思想化することは不可能ではない。
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posted at 01:46:31
2016年07月01日(金)
それ一言で講評してあげると、ニーチェも知らないB層に、いきなりニーチェの畜群などというと、その時代のヨーロッパ人が、仏教の悟りを再臨に重ねて終末論 twitter.com/sunamajiri/sta... に陥り、それをハイデガーが頽落と呼んだことの二の舞いになるよ。@inja650rr
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posted at 14:11:00
ニーチェでは不十分、あるいはB層に頽落するのだが、それはハイデガーの思想を代弁すれば事足りる。意識とは頽落で、頽落しなければ意識は寝てしまう。だから頽落が人類の発展を齎すが、そこで一々、人々の頽落に悲観していたら、そんな気苦労では、おそらく殺されてしまう。@inja650rr
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posted at 14:47:28
ツイートまとめ(^-^)/ B層=ニーチェの畜群という視点を頽落と批判したハイデガーが言うように、広告営業は真っ先に根絶されるらしい。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 17:53:34
ニーチェの時代に仏教の悟りが西欧で語られたために、以後の思想家、とくにユダヤ人が悟りを終末論として語り始めてしまったのだが、それに対してハイデガーが、それは頽落だ、悟りは終末のことではないと語ったら、ヨーロッパの言論界が真空状態になり、一気に戦争だけの世の中になったんだよ、と。
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posted at 21:40:52
2016年07月02日(土)
「神は今を識別できない。」という永井均の近刊「存在と時間」は、誰もこの独在性を取り上げない、という問題提起 bit.ly/298MBzw だが、勿論、ハイデガーは神という言葉を使わずに、カントこそ、その神の無能力を暴露した、というデカルトの徹底を遂行するわけ。
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posted at 00:41:27
今を識別できない創造主に対して、造物主が今を識別してしまうこと。後者が従来の哲学的な読みになっていて、それは哲学ではないという永井氏の批判の仕方は、この問題を取り上げない哲学者が、ハイデガーを従来の観点で誤読してしまい、カントのこの問題を隠蔽している、というふうに聴こえる。
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posted at 00:49:43
ハイデガーのカント論は、神という語彙を使わずとも、神が識別しない今が在る、という永井氏の独今論になっているように聴こえる。永井氏はそれを、神が今を識別できないこと、というのだが、ハイデガーによれば、カントはそう言わずに、それと同じことに言及していることになる。
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posted at 00:51:16
面白いのは、永井均氏のスタイルで、彼はカントもハイデガーも論じるつもりはないと常に言い続けるところなのだが、しかし逆説的に、そのことによって、それ(独今性)を、今を識別できない神、と言ってしまう点なのだ。
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posted at 00:54:38
端的には、認識論的と存在論的の差異に思える。造物主が今を識別するという真理前提は認識論的で、今を識別しない造物主という真理前提が、おそらく存在論的なのだ。しかし、この差異、つまり二重襞からは、それは神という一重襞にならない。
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posted at 01:11:58
カントでは、造物主が直感だけで物の産出原因となる根源的直感と、直感者が物の原因とはならない派生的直感の二重性が、一環して問われるが、それを認識論的とすると、造物主が識別できない今を問題にできない、ということがあるのだと思える。
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posted at 01:13:58
ところで、パパムスはポスト同級生で、同級生(入替り譚)が、欧米ではSFの原物語にならない、という点から、そのことを考えるのも面白い。永井氏は、入替り譚は中島義道がいうような霊魂の輪廻という二元論ではなく、独在性を相対化させる装置だ、と前提しているからだ。
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posted at 01:14:50
どちらを問題にするか。私達はつい、二重襞を問題にしてしまう。しかし、彼らが問題にするのは、たとえば悟りは終末論か、それとも今のことなのか、というような時間論なのだ。おそらく二重襞からは、それは見えてこないように思える。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 01:17:59
先日、買われることで価値になるのではなく、売られるものが熱力学的に矛盾律だからこそ、それは価値になるという、形而上学の問題がでていたが、おそらくこうした問題に入り込めないのも、二重襞のせいだろう。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 01:22:43
ゆえにこれは余談ではなく、力の大きさより性別の方がより根源的な言語の規定なのでしょう。先日ラカン研究者が「性別は認識できない、それはハイデガーの言う存在だ」と連投 bit.ly/29kqMgS していたが、そこをすり替えるのがマッチョです。@J_J_Kant
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posted at 15:14:47
切断主義と連続・・・アインシュタイン・・・ロマンティシズム・・・田辺は現代的観点から見てもいい線行っているのだが、二転三転するのと西田と違って「内包」にこだわりすぎるのとでやや残念。
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posted at 15:55:27
2016年07月03日(日)
カント書のダヴォス討論に対するフリードマン史観。www.shayashi.jp/courses/2013/s... それに凌駕するものとしての田辺元は宗教哲学ではなく数理哲学だ、という話なのね。林晋 田辺元の「数理哲学」www.shayashi.jp/sisou201201a.pdf
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posted at 02:36:21
「日本とフリードマン史観との相違。ドイツを中心とした欧米での、左(英米分析系)と右(ヨーロッパ大陸)に地政学的に分離していく二つの哲学の流れが、日本では、第二次世界大戦の敗北という契機を隔てて、左右ではなく、前後でわかれているようなところがある。」
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posted at 02:40:50
「これは左右分裂が、ドイツの第一次世界大戦敗戦が契機であったが、日本はそれにほとんど無縁であったという点が大きい。そのため、新カント派の伝統が、日本の京都という地で、第2次世界大戦終結までは、特に田辺元の思想の中に生き残っていた。日本の分析系は、欧米以上に形骸化」
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posted at 02:41:03
この前某氏に、続・ハイデガー読本のカント書論はわからないが(否定神学にみえるが)、カルナップ論 bit.ly/28XLHWy が面白いと言ってきたが、これをフリードマン史観というなら、それを宗教哲学と捉えることに対して田辺元だけ数理哲学と捉えていたとなるのかな?
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posted at 02:47:38
ところで、ダヴォス討論という単行本翻訳があるのね。高くて入手できないが。www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%8... ハイデガーのカント書付録で討論自体は読んでいるが。bit.ly/1FQnACj
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posted at 02:51:36
なお、林晋の『田辺元の「数理哲学」』 www.shayashi.jp/sisou201201a.pdf でのフリードマン史観の紹介は、このページ。 pic.twitter.com/dwjiO2vhbe
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posted at 02:57:53
哲学プロパーではないので、一般向けにどういうことかと翻訳するとおそらく、とくに戦後の日本だけ特異に、いわゆる無宗教や無数学という、狂乱状態にあって、それが哲学史的にはどういう事態なのか、ということが問題にされているのだ。
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posted at 03:03:53
なお、東はこれ(カルナップに対するハイデガー)を物象化 twitter.com/sunamajiri/sta... とし、ラカンを語るが、そうした物象化は誤読だろうと言うのが、先日のこれ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 03:18:49
私から見ると、東が物象化というラカンの問題も、単に性同一性は認識論的ではなく存在論的だという、これにしかみえないのだが。twitter.com/sunamajiri/sta... twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 03:22:03