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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2017年02月23日(木)

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月23日

現代から見ると、あの時代はともすれば中世以上に暗黒に見えるからね。ただ冨田本前半の観念の生得性(言語能力の生得性ですね)という議論は、後にカントだけが克服したとされる、観念の外、直観の統一、いわゆる客観を可能にする議論なので、途中で挫折すると中世へ真っ逆さま。@BeTakada

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posted at 04:41:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月23日

統一された直観、つまり客観だけが経験で、そうした経験をロックは捉えていない、というようなことだと思えばよいのだが、それにしてもカントのあの異常な叙述に比べれば、イギリス経験論は、いかにもスッキリと二重性を説明してしまうからね。説明がウマすぎるのが曲者なのだが。@BeTakada

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posted at 04:52:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月23日

現代人も、説明に満足しやすいので要注意なのだが、カントのあの説明下手については、ハイデガーがGA41でこういうわけです。説明とは概念の分析であり、原因を捉えない便宜的な言い汚しであり、カントは説明には納得するが、ただしそれだけでは満足しないのだと。@BeTakada

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posted at 05:01:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月23日

この概念分析=説明=アプリオリでは満足しないということ、それが綜合=アポステリオリだが、それが端的に現れるのが、ハイデガーがカントの最奥部だとする bit.ly/2mdbeld だが、今日からみれば実に当たり前なこと、リアルなことを言っている。@BeTakada

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posted at 05:06:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月23日

カントは、単に時間的に矛盾した言明はできない、ということを長々と解明しただけなのに、おそらくカント解説者としては天才的なハイデガーが、あれほど苦労するほど、そこが最も読み取りづらい最奥部で、大抵はカントといえば、融通の利かない完璧主義と誤解されているのだ。@BeTakada

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posted at 05:11:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月23日

カントがやろうとしたことはただ単に、人間の生まれついての生得的能力、言語や数学の能力を解明しようとしているだけだが、しかし、一歩間違うと、それができない未熟なAIのようになってしまう。生得的にはできるのにもかかわらず。だからやはり適切な教育が必要なのだろう。@BeTakada

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posted at 05:14:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月23日

カントが中世以上に暗黒大陸に見えると、途端に学習がストップするのだが、それならば、ハイデガーが言うように、そもそもアリストテレスは体系でないのに、それを体系と偽装した中世に対して、カントが成し遂げたことを、正確に捉えるしかない。そういうことなのだろう。@BeTakada

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posted at 05:17:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月23日

冨田恭彦が、アプリオリな綜合判断は形而上学的に不可能だ、という場合の形而上学が曲者というだけです。ハイデガーGA41は形而上学批判期(形而上学と二重性は別物だ)以後なので、アプリオリな綜合判断は、単に可能なのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 05:42:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月23日

ツイートまとめ(^-^)/ なぜ彼らは観念の生得性と闘ったのか? www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @BeTakada

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2017年02月27日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月27日

als構造(~として構造)というのは、ハイデガーがカントの言う対象(直観=経験)とは、話題の先把握のことで、たとえばある物体Xを生物だとアプリオリに思っていなければ、生物学の対象にならない、という先把握のこと。ハイデガー以前のカント読解にはこのals構造がない、というのが通説。

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posted at 04:56:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月27日

一般に、対象が到来するといわれるようなことは、話題にすることが何であるのか、少なくとも漠然と、予め(アプリオリに)、つまり経験的に先把握していなければ、その対象について話題にすることができない。対象とは話題のことだ、というのがハイデガーのカント読解の独自性。

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posted at 05:06:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月27日

これはどういうことかというと端的に、カント以前には、概念の分析しかなかったのだが、カント以後は、日常でも非日常でも経験によって話題=対象が得られているので、単に概念の分析を超越して、その話題を吟味=綜合することができるようになった、ということなのだ。

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posted at 05:10:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月27日

たとえば、カント以前の「われわれ」は、真理前提でも共同主観でも、閉じた文献を共有することだが、カント以後は客観が存在しているのだ。それを単に共同主観と切り捨てることができなくなった、とハイデガーなどは解釈していくのだ。このように話題が与えられていること。

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posted at 05:11:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月27日

ハイデガーのカント読解が天才的なのは、カントが先験的と曖昧化させたものが、じつは経験=直観による話題=対象の先把握のことで、直観に対する純粋直観である時間が、そうした超越論(対象=話題へ超越させる思惟=悟性)を与えている、というようなもの。

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posted at 05:47:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月27日

言い換えると、時間に身を任せていなければ、話題=対象を取り逃がしてしまい、そうして取り残された直観には、もはや何らの概念も含まれていないと綜合できるという、発見のことなのだが。これはまた別の機会に読解するとして~

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posted at 05:49:46

2017年03月04日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月4日

近堂秀『カントの外在化プロジェクト』はストローソンのオックスフォード式カント教育を乗り越え、ハイデガーと同じように、カントの超越とは、言葉(言葉遊び)の外に出ること、つまり外在化だというのでよいのだが(外在化できているかは疑問だが)~ @BeTakada

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posted at 17:55:55

2017年03月19日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月19日

タカ基地さん、冨田恭彦の新刊カント本、そろそろ読了? いかがでしたか? 続けてハイデガーの物への問いを読むと、好対照で面白いのだが。冨田本のレビューが上がってますね。www.amazon.co.jp/gp/customer-re... @BeTakada

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posted at 00:30:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月19日

「あっさり「物そのもの」を否定したヘーゲルは健全な常識人だったということを改めて感じた。その一方、柄谷行人は、「物そのもの」を「死者およびこれから生れる将来世代の人間」というまことに独創的な解釈(皮肉ではない)をする。カント哲学を擁護するなら~」@BeTakada

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posted at 00:31:44

2017年03月23日(木)

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2017年03月24日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

また随分慎重に読んでましたね。イギリス人の言うことは、形式と内実は別だという退屈な話なのに、彼らはムキになって大真面目に屁理屈こねるから、話半分で受け流すのが良いですよ。数学で挫折する人が続出するお国柄、シェイクスピアも潜勢的だが。@BeTakada 冨田恭彦さん読了しました。

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posted at 00:39:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

ストローソンもお読みになると良い。日本人の大好きな理屈が満載ですよ。彼らの純粋と経験の二分法ほど、素朴な日本人に耳障りの良いものはない。分析的に純粋な形式と純粋な経験とかいうのだが、一向に内実を内包することである、綜合とか超越論という純粋性の話ができない。@BeTakada

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posted at 00:52:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

伊藤博文がドイツの帰りにイギリスで、ころっと騙されて明治憲法がああなったそうだが、それもはたして同型であって、不確定性以後の冷静さで言えば、イギリス人というのは数学者がそうであるように、自信過剰な大ぼら吹きの、とんだ食わせ物ばかりなんでしょう。@BeTakada

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

どうも、形式化できない内実があると、頑固に思っているよね。たとえば、今朝久々に twitter.com/moroQma/status... がRTされているが、人間を限界と前提するようなイギリス人の頑固さを贔屓にする宿痾が日本には伏流してるのかしらね? @BeTakada

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

冨田恭彦も、さらにはストローソンも、形式には内実がないという前提からか、内実を実在呼ばわりするカントのカテゴリーを「論理的な捩れ」、非論理と平板化してしまい、一向に実存カテゴリーの豊かさが見えてこない。単なる前提の前提という歪な話題に聴こえるからね。@BeTakada

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

ざっというと、彼らは論理的・形式的に扱えない、内実=実在を前提にしているように聴こえる。その前提の仕方を論理的といいはじめてしまう。それが日本の世間では論理的という感覚になり、タカ基地さんがおっしゃりたいような宿痾を来すんではないかと、素朴に感じた。@BeTakada

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posted at 14:02:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

やはりカントはハイデガーの解説(GA41)が一番読みやすい。イギリス人は、カントには無自覚な暗々裏の前提があり、その発見に失敗したとの一点張りだが、ハイデガーなら、カントはそんな前提(内実=実在)を重々承知で、その前提からの脱却に十分成功したとか解説する。@BeTakada

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posted at 14:12:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

たとえば、ストローソンなら、カントのいう想像力は、バークリーの空想のことで(171p)、超越論は非論理だ、という前提を崩さないのだが、ハイデガーなら、構想力に感性的理性まで見出し、時間の地平すら見出してしまう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 14:22:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

こうした差分が具体的に何であるかは、さしあたり、バレなければ真ではないとか、形式性とは建前のことだとか、あるいは、人間を限界づけておきたいとかいう、イギリスに潜勢するような、野蛮な女王蜂の思想を連想させて仕方がない。彼らの支配欲ほどたちの悪いものはない。@BeTakada

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posted at 14:28:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

アプリオリとは何であるかの解説は、ハイデガーのGA41が秀逸なのだが、イギリス人はどうしてもカントをアプリオリだと前提する。カントはというと、ロックこそアプリオリ主義で、だから経験すら可能にならない、野蛮な妄想者だ、と言い切ってしまう。イギリス人は危険だ。@BeTakada

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posted at 14:32:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年3月24日

生きるべきか死ぬべきか、なんて芝居がかった科白=意識は、戯曲文学だからヒロイズムなのであって、そうした意識の潜勢性、分裂症のようなものというのは、イギリス人だけで満足していればいいのよ。そこに親和性を喚起された日本人は、身動きの取れない病気のドン底だ。@BeTakada

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posted at 15:02:22

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