大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2017年02月04日(土)
タカ基地さん、この新刊面白いよ。とくに、カントの「物自体」は、ジョン・ロックが「物そのもの」を「粒子仮説」にしたことを拒否する、という意味での物自体だった、というあたり、タカ基地さんが一番興味を持ちそうな辺りだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 19:06:54
冨田は、カントが物自体を認識不可能としたのは、ロックとの比較で判明になるが、ロックがデカルトの二元論を、粒子仮説にしてしまったためだ、という空虚批判で、タカ基地さんがハイデガーを読む際にいつも言及する関心領域。 twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada pic.twitter.com/zDCEUR3R2H
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posted at 19:28:01
ハイデガーがスムーズなのは、デカルト的真理観から自由だ、ということなのだが、アリストテレスが存在と存在者の二重性を問題連関させたが、そうした第一哲学が隠蔽したものを、伏蔵解除することこそ真理であり、デカルトの観念論的真理には真理がない、と言い尽くすからだ。@BeTakada pic.twitter.com/uGkI3887sr
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posted at 20:31:29
2017年02月06日(月)
概念(言語)は、教育から見ればアプリオリだが、音楽は概念的ではないので、それは天賦の才能ではなく、完全に教育効果だ、というのが、毎度話題にだす、ハイデガーが着目するカントの図式論の具体例かもしれない。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 03:42:39
図式論というのは、三角形一般の概念は生得的で、それを具体的三角形にするための計算能力は教育効果だが、そうして図像化された各三角形を、三角形一般という概念と理解する能力=図式は、計算能力の側にはない、というカントの枢軸的な哲学。
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posted at 03:45:51
なぜこれが重要かというと、三角形のような一般概念は、計算能力のようなものの習得だけで、具体的な図像とすることができ、そうした具体的な図像を、三角形という言葉の意味として抽象して理解することができるのだが、たとえば原因という言葉、つまり純粋知性概念はこれができない。
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posted at 03:49:39
カントのいう図式というのは、概念=一般性から、個別の具象(図像=bild)を構成し、その個別具象を、再帰的に抽象して、何であるかを理解する、その方法の全体を指すのだが、たとえば原因という言葉の意味を必然化する図像を構成する図式=方法(スキーマ)はない。こうしたものを図式論という。
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posted at 03:55:06
つまり、三角形という概念は具象化でき、且つ、三角形の具象を抽象して、三角形という言葉の普遍的な意味に確定記述することができる、つまり教育することができるのだが、原因のような言葉の意味は、これができないという話。そこにカントの時間論がでてくるのだ。
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posted at 03:59:23
図式とは、図像(具象)ではなく、抽象化(捨象)の方法のことだが、三角形(一般概念=数学的概念)とは違い、原因という言葉(純粋知性概念)の意味を普遍に抽象する方法=図式はないので、その図式とは時間だ、という演繹のこと。
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posted at 04:18:43
これは蛇足だが、中島義道『カントの時間論』では、冒頭の注釈1で、時間を時間構成で捉えると宣言しているのだが、時間とは数学のような一般概念とは違い構成的ではなく、純粋知性概念のように地平的だ、というのがハイデガーのカント批判。 pic.twitter.com/GGJ8yWoQeP
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posted at 04:34:05
こうした話は、コトバの意味(概念)は生得的か、という問題なのだが、概念は数学のような一般概念ばかりか、原因のような純粋知性概念=カテゴリーに至るまで、アプリオリだから教育は容易いのだが、それは意味が無意味な音声を起源としていない、という理屈なのだ。
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posted at 04:42:47
これをより簡単に言うと、言語も数学も生得的だから、学校教育程度で能力を引き出すことは容易だが、そもそも無意味=生得的でないこと、である音楽ばかりは、学校から見れば天賦の才能と誤解されがちだが、じつは本格的な教育効果でしかない、ということなのだ。音楽は後天的な遊びだったのだ。
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posted at 04:46:45
ツイートまとめ(保管)(^-^)/ なぜ学校教育からは音楽が天賦の才能に見えるのか、という話なのだが・・・。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 05:16:34
2017年02月07日(火)
たとえば古来、論理学は質と量で、それは不確定=無限を語れないからなのだが、それをカントが、魂の不死をいうためか、いつのまにか質と量の論理学に、無限を付加して収拾がつかなくなり、あんな長い話をしてるのだが、それをすぼめると、単なる不死になるよ、なんてハイデガーは遠回しに言うわけよ。
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posted at 08:59:19
2017年02月08日(水)
当然、ハイデガーが、こうした死の病を克服する図式論(方法)を、話の着手点にするが、死の病は単に、原子論のように仮説は必然的だという古い科学の産物でしょう。問題は、言葉(概念)のアプリオリ性(生得性)の方でしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 02:01:25
科学が蓋然性を獲得すると、蓋然的な不死性が生じる。こういう裂け目、つまり二重襞は、それを問題連関のまま隠蔽するアリストテレス twitter.com/sunamajiri/sta... 以後の形而上学では取り結べない、という図式論的綜合が起こったということなのだが。
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posted at 03:04:05
2017年02月11日(土)
歯医者さんから帰ってきて仮眠のつもりが寝てしまった。冨田カント本を一昨日、熟読了したので、アマゾンレビューでも書いてあげようかなと思っていたが、綺麗に語りが霧散してしまった。本を紹介するというのは醍醐味だが、読了後の距離感が難問。
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posted at 05:29:37
ついハイデガーがブレーメン講演で吐露したように、英語でないとカントの明証必然性や実体の欺瞞を、精確に言い当てることができない。ハイデガーならそれを非本来的形而上学というのだが、冨田カント本では、非本来的論理学といえてしまっている。
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posted at 05:34:40
時間は構成ではなく、超越論の規定は時間を構成する論理にではなく、時間そのものにある。こうしたことをカントは非形而上学的だといってしまうと、あまり論理的に聴こえないのだが、カントにあるのは非論理性だというと、冨田カント本のように、非常に論理明晰に見える。
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posted at 05:36:15
ハイデガーがカント書~形而上学批判で捉えるカントは、非本来的形而上学者なのだが、しかし冨田カント本が捉えるカントは、カントの非論理性なのだ。どちらがより鮮やかであるのかというと、おそらく後者だろう。
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posted at 05:38:09
カントは自然科学を形而上学に見せかけている(冨田)。形而上学とは、存在と存在者の二重襞を問題連関させる第一哲学の二重性(両義性)が隠蔽したものだ(ハイデガー)。
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posted at 05:39:50
これが、カントを現代科学の父と捉えることでみえなくなることだ。カントはロックの必然的仮説(物そのもの)を払拭させる「物自体」によって、蓋然的仮説という現代科学を可能にしたが、しかしそれは単に自然学を形而上学だと粉飾するものだった。そういう話がなされている。
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posted at 05:42:02
実は、ハイデガー自身、カント論の挙げ句の果て、つまり総かり立て体制を論じるに際して、冒頭で、英語こそ語源学に頽落しない優れた哲学だ、と吐露しているのだが、こうしたカントの欺瞞、あるいは非論理性は、英語からしか見て取れない。そのように冨田は哲学している。
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posted at 05:43:35
我々は哲学が何であったのかを、カントの明証必然性によって忘れさせられている。しかし、こうした語り得ぬことは、じつは語らないことではなく、ハイデガーがブレーメン講演冒頭で吐露するように、英語からしか語れないことだったのだ。
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posted at 05:48:38
端的に、デカルトの第一哲学、実体の問題をスピノザに反して、イギリス人が一般観念として語ってしまうのを、カントが一般知性観念、原因にまで波及させて語っていることが、カント自体からは見えづらいということなのだが、こうした自然学を形而上学だと豪語してしまうこと。
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posted at 05:53:22
第一哲学というのは、存在者と存在を問題連関させることで、答えを隠蔽するのだが、こうした第一哲学をデカルトが哲学の規定としてしまったこと。それに対して超越論は時間が規定なのだが、それはカントの非本来的形而上学というより、非論理性として明らかにできる、冨田本はそういう話になっていた。
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posted at 06:01:43
面白いことにフランス人、たとえばデリダなら、デカルトの我の一般名性、つまり個別具体の図式性の欠如態として言い立てるのだが、ロックと比較されたカントは、単にデカルトの第一哲学によって、自然学を形而上学と錯誤した発狂だ。ハイデガーが哲学の規定は時間だと言うまではそうなのだ。
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posted at 06:17:32
三角形のような一般観念のように、原因という純粋知性観念のアプリオリ性を扱ってしまうこと、この論理=時間の歪みが、カントにおいてどのように頽落したか。その鮮やかな軌跡を冨田恭彦カント本は描いているのだが、それがわかりやすいのは時間を論理として語れているためだろう。
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posted at 06:26:48
っと、このようにアマゾンのレビューという体裁、紹介文という体裁から霧散してしまったので、ツイートになってしまった。冨田が図式論は英語哲学からこそ、問題性を暴露するというような話なのだが、話というだけでは紹介文にならないのだ。おそらく絶賛だけで批評的ではないからなのだが。
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posted at 06:30:03
どの本のことですか?というDMをいただいた。この本のことだ。紹介文、つまり書評どころか、キュレーションにもなっていない。それほど強烈ということなのだが。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 06:40:06