大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年12月02日(日)
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2012年12月03日(月)
中学生なら、対語は何?ときくべき。信仰や断片的思い込みに抗した体系のこと。無神論的に全面的に人間の主体性を肯定しようとする。ないしは無神論という信仰の近代化のこと。@Sergei_Micchan 「イデオロギー」をわかりやすく説明していただけませんか?
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posted at 08:46:11
続き。従来の文系はイデオロギーをマルクス主義無神論と狭義に捉え、理系は広義にということだったが、そういうあり方自体を問うのが現代思想。@sunamajiri @Sergei_Micchan 「イデオロギー」をわかりやすく説明していただけませんか?
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posted at 11:09:16
震災直後もスイスから、避難してくれとなんどもいわれたんですが、母がなんといったかというと、やっぱり祖国はすてられない、日本人だから、という形而上学的なことをいっていて、まるでそれに殺されたかのように、私には見えてしまう。無念です。
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posted at 12:14:10
母がスイスに行くか生活保護かの選択肢だった、とツイートしたとたん、フォロワーが10人減ったぞ。母が日本を捨てられなかったのは祖国という形而上学だったのだが、新自由主義という観念論はなお性質が悪いね。脱観念論をこれからも徹底するよ(^-^)/ @sunamajiri
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posted at 12:36:06
いやー、お坊さんをたのんでないよー。なんなら私が実体経典を、あるいは比喩経典でも、その場でアドリブで端的に言語化するのもいいかも。なんてのは冗談だけど、どうするんだろう?わかんないよー(^-^)/ @slitsandfrills お経って上げて貰えるんですか?
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posted at 13:25:42
うん、いちおう母の実家は浄土真宗だけど、父方がちがったからなー。私がスピノザのエチカ冒頭でも読み上げた方が私なら成仏できるけど、読解できない人がきくと一気に観念論の執着がでそうだからなー(^-^)/ @slitsandfrills ちょっと安く上げられないか、お願いしてみます!
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posted at 13:34:05
2012年12月04日(火)
読経といえば、きょう例の教徒の方々が訪問され、あげてもいいか?というので、ご自由にといったら、法華経をあげておられたけど、聴いているとラリりそうになった。言葉が実体化している音感はあった。(^-^)/ @sunamajiri
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posted at 00:57:58
話をうかがうと、檀家制とか、お坊さん頼んだらお布施という、日本近代仏教のようなことになっておらず、信徒自らが読経するというのは、言語の実体化としては、非常に合理的だし理解できるものだった。むしろまっとうな法華経解釈なのではないかと思えるほどだった。@sunamajiri
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posted at 01:00:51
自らが言語として実体化していこう、という読経を修行とせず、修行といったら修験道や荒行と、土着信仰の先入観で捉えるために、読経はお坊さんに、という日本仏教のあり方は、たしかに書き言葉の難読化の回路と同様、かなりおかしい。音読は読解でも最良の修行だしね。@sunamajiri
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posted at 01:05:17
その教徒の人たちの法華経解釈をいくつか質問してテストしてみたが、実体としての言語という合理的なものであって、むしろ檀家制のような日本近代仏教の不合理が目立つばかりだった。@sunamajiri
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posted at 01:13:38
そういえば、夜に話した考古学者が同じような話をしていて、神社は商売が下手だから必ず寺が寄り添うようにしてある。伊勢神宮でさえ寺が隣接して寺は稼ぐといっていた。稼ぐビジネスとしての仏教、そういうものが言語を実体化させず、受身で難読化を生み出しているのだろう。@sunamajiri
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posted at 01:16:36
読経させずに、お坊さんだけが経典に触れ、檀家を取り仕切るというのが、おそらく日本的な共同体の実態なのだろうが、それに拮抗して自ら音読するというのは、確かに風当たりが強いのは分る。しかし檀家制的共同体ゆえに寸断されているものを纏め上げる力があったのだろう。@sunamajiri
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posted at 01:27:13
読解における難読性も、西欧哲学まで、仏教用語で単語化して、文とならないということに過ぎないわけだが、この文を読解させないものが、日本ではこうした檀家制的共同体だったわけで、それによって寸断された難読性を、文に戻すということが、とても重要と痛感してしまった。@sunamajiri
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posted at 01:30:14
文を単語化=名詞化させたいという欲求ほど強いものはない。それは実体を観念化するようなものだ。単語化とは他の述定文に転じたい欲求なのだが、しかし大抵は名詞となり言語は終わってしまう。こうして檀家制度のような読ませない共同体になっていくのだろう。@sunamajiri
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posted at 01:42:01
2012年12月06日(木)
Gregory Bateson bot2 @Bateson_bot2
デカルトはその有名なことばcogito, ergo sum -「われ思う、ゆえにわれ在り」でよく知られている。(中略)思考という前提にもとづいて一大哲学を築いた彼の意志が、精神と物質の二分法によって思考に関するすべての思索を後退させることになどなかったのは明らかである。AF
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posted at 09:37:27
2012年12月07日(金)
なんか思い出させてしまったみたいね。私は小さい頃からあまり肉親と同居していないので(アメリカいったり、一人で暮らしたりだから)、母が亡くなっても喪失感が沸いてこない、ということの方が根源的に大問題なのだけどね。@bomuchann 父のコトもまぜこぜで落ち着いて眠れない
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posted at 10:36:16
どちらかというと、同居はしていなかったけど、たまに帰る場所が肉親というか実家だった。しかしバブル崩壊で実家が霧散してからは、それも喪失してしまったので、ますます喪失感から疎外されていて、普通の人間なら多分アパシーになってしまうかも。@sunamajiri
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posted at 10:38:28
そのくせ、音楽や文学や哲学で人一倍感動してしまう。肉親の繋がりを喪失しまくっていて、もう喪失感すらも得難いとなると、文学などでそれがどういうことなのかとまさぐってしまい、しかし多分人一倍敏感に感動=実体という体験をしてしまう。もちろん母の死は寂しいけどね。@sunamajiri
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posted at 10:41:11
だから文学でも音楽でも、サブカルチャーの娯楽だという感覚にはついていけない。宗教を表象文化だというのも反吐が出る。あくまでも文学はオイディプスだし、大きな物語という実体なのだ。現代哲学やポストモダンがそういうものを喪失したというのが欺瞞に見えるのもそれ故。@sunamajiri
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posted at 10:46:15
喪失や無はリアルな家族の自分だから、カルチャーやマネーはそれ以外の娯楽か何かだ、という近代以降の観念論の仕方というのは、実際の死に直面したりすれば、容易に転覆してしまうリアリティーだというのを、日常忘れすぎている。表象などというものはない。@sunamajiri
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posted at 10:57:44
近代を齎した自己の表象化。自己や家族には表象があり、それがカルチャーすらもマネーと錯覚させるという、自己の二元論というのは、そもそももデカルト的矛盾から生まれた二分法t.co/gwiZS7Av の焼き写しだが、それはもちろん誤解にすぎない。@sunamajiri
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posted at 11:06:54
このように、端的に言うと近代とは、単に自己をマネーに表象化させる観念論のことだが、実はそんなものはない。あるのは大きな物語や家族や自己という実体的なものだけで、表象としてのマネーの有無が、その実体を齎すわけではない。@sunamajiri
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posted at 11:10:09
性的実存を発見する現象学や、文字という実体を発見する脱構築に至るまで、現代思想は、この自己の表象化というデカルト的二元論の矛盾、つまり観念論自体を、相対化しそこなっている。それは仕方が悪いからだ。そのためにマネーが自己を表象化し続けてしまう。@sunamajiri
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posted at 11:14:07
現代思想がマルクス主義の観念性に依存して、マルクス資本論の仕方を回避するのも、このように自己を表象化して捉えるという近代的二元論の呪縛によっているだけで、何ら合理性があるものではない。表象に合理性があるというのは単にオカルトだ。@sunamajiri
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posted at 11:21:53
合理性とは自己をお金に換算したり、誰かが誰かを代表するという表象の合理性、つまりオカルトを指さない。表象とは端的に貨幣のことだが、哲学史的には端的にイデアt.co/ywjf32s2 のことであり、それは実体ではない。@sunamajiri
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posted at 11:27:02
ところで高校国語の教科書に『的のつく言葉』という評論があるのだが、日本人は照れ笑いをするように、外来概念をすべて単語化して、それに○○的という婉曲表現を付加し、実体に距離感を置くのが日本的近代だ、という論旨がある。文科省もそれに気づかせたいのだろう。@sunamajiri
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posted at 11:35:46
○○的というように婉曲できる単語は、文の表象部であり、文自体ではない。日本文化の最たる特徴である、仏教哲学的な経文すらも単語的に表象化して、文自体を難読として回避し、表象だけの上辺の気分だけで世間となる、という土俗性を国語教育は明確に切り崩そうとしている。@sunamajiri
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posted at 11:40:23
表象という上辺に婉曲するような土俗的な、あるいは世間的な言語というのは、確かに表象の奴隷を生み出すのだろう。表象とは自己の表象のことだが、自己はつねに表象に疎外され、お金でしか自分でいられなくなる。それに気づけないと確かに奴隷的だ。@sunamajiri
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posted at 11:47:19
近代の特徴は、自己を代理人(代表者)に表象するか、自己自身がお金に表象化されるか、に選択肢が限られたところだろう。しかしいずれも単に表象=イデアt.co/mNIfzEM8 であって、それが自己を齎すというのは、プラトニックラブそのものだ。@sunamajiri
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posted at 11:49:48
近代(デカルト的矛盾ゆえの二元論)が齎した自己の表象化、表象の奴隷化、疎外といったようなものは、自己をお金に表象化するか、代表制となるかのいずれかだが、それだけでは民主主義も単に観念論か形而上学になってしまう。それをそろそろ実感してもよさそうなものなのに。@sunamajiri
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posted at 11:54:26
勉強=都市=高層化は近代化の三種の神器。これらは、時間と空間を相対化するという点で共通の根を持っている。それらは〈出生〉を相対化するわけだ。ヨーロッパに高層建築物が存在しないのは、ヨーロッパが未だに階級社会であることを意味しているにすぎない。
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posted at 22:41:08
人間の不自由の源(みなもと)は、人間が〈親〉(=家族)を持つということ、特定の空間と時間の中に生まれ落ちること、つまり〈生活(生死〉〉を避け得ないことを意味している。その意味で、学歴と都市と高層住宅は、反家族、反時空、反生死(反精子?)だったわけである。
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posted at 22:41:27