Twitter APIの仕様変更のため、「いいね」の新規取得を終了いたしました

大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

  • いいね数 11,694/13,358
  • フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
  • 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
  • Web http://www.sunamajiri.com/
  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
並び順 : 新→古 | 古→新

2012年11月29日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月29日

いわゆる大きな物語の終わりといっていた人たちは、命と名前の入れ替わりから、サスペンスに物語が変形した、ということなんだと思うけど、それでは大きな物語はイデオロギーでしかないことになってしまう。大きな物語は単なるオイディプスのことなのに。@LitoSnowfield

タグ:

posted at 01:27:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月29日

そうそう、物語を表象と捉えた日本人だけ、ポストモダンも内面化させてしまって、パズルを作ってしまった。行き詰って当然。t.co/fgnJl0Z7 @LitoSnowfield 同じことを考えていました。「大きな物語の終わり=冷戦終結とする場合はサスペンスになる

タグ:

posted at 01:43:30

丸山圭三郎 @M_Keizaburo_bot

12年11月29日

エロティシズムはフロイトが考えたような欲動そのものや自然的欲求の中にあるのではなく、これがイメージ化され欲望となったときに生ずる、“言葉の産物”に他ならない。

タグ:

posted at 21:05:06

2012年11月30日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

問二の吉本隆明の詩論は秀逸。日本語で意味を表現するとメロディーとならず、日本語を音律にしようとすると、詩が意味を失う、という日本語の実体論。つまり、日本語で意味とは音楽ではなく、音楽とは意味ではないという、日本語の存在論として詩を捉えている。@sunamajiri

タグ:

posted at 02:51:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

通常小説論では、身振りと台詞の違いによる言語性しか明らかに出来ない。それが言文一致の仕方なのだが、そうしたナラトロジーではなく、試論では日本語の音的実体が現れる(音になると意味にならない言語)というのが、さすがに吉本隆明惚れ惚れするわね。@sunamajiri

タグ:

posted at 03:00:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

でしょ? いま日本語では、詩による象徴的意味を切断しないとメロディーが生まれないという吉本隆明の話をしていたのだが、その日本語でもオイディプス的実体が現れるためには、必然的にダブルオイディプスのようになる、というのが凄かったでしょ?(^-^)/ @LitoSnowfield

タグ:

posted at 03:03:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

たぶん一般人はクライマーズハイのダブルオイディプスが無意識化されて、何の話か分らない側に回るかもね。それほど日本語の病理は深刻なのだ。吉本隆明の詩論でさえ、日本語では象徴的意味を切断しなければ、言語の音楽的実体が現れないとしているが実体が言語にない。@LitoSnowfield

タグ:

posted at 03:10:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

つまり近代文学は身振りと台詞の差異から言文一致を生み出すも、オイディプスのような実体を喪失してしまうが、詩論では、象徴的意味の切断が日本語の音楽的実体を表すとなる。小説文学で近代化したつもりで、じつは近代化できなかったのは、日本語固有の問題と示唆している。@sunamajiri

タグ:

posted at 03:18:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

吉本隆明が秀逸なのは、日本語の実体論になっている点ですね。言葉は音韻であるのに、インドヨーロッパ語族とは対照的に日本語でメロディーとなるためには、象徴的意味の切断が不可欠と言明したことになる。t.co/f7hPfGeP @lapasion

タグ:

posted at 03:46:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

この問題は、音楽の側から興味深いのです。日本語の音韻、シラブルがなぜかメロディーにならない。メロディーにするためには、メロディー性を変形するか、シラブルを押し込めるように、日本語の音韻をデフォルメするしかない、というような。@sunamajiri

タグ:

posted at 03:49:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

音楽というのは音で何かを表すような表象であるより、明らかに純粋な実体です。ところが歌詞というのは何かを表象してしまう。日本語では歌詞が意味を持とうとするとメロディーが生まれなくなる。これが日本語に固有かインドヨーロッパ語族と対照的な実体というわけですから。@sunamajiri

タグ:

posted at 03:53:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

吉本隆明がそのテクストで明らかにしようとしているのは、インドヨーロッパ語族は音楽という実体に従属して意味となるのに対して、日本語はそれができないことで、音楽とは対立的な日本語という言語の実体をもつ、というような事柄なので、大変興味深いです。@sunamajiri

タグ:

posted at 03:55:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

うん、吉本隆明あらためて感心しました。超象徴主義詩論だからこそ、言い当ててる感がある。実際、君が代ではないが、日本語のシラブルは、メルディーのある抑制として働くのです。最極端は日本語ラップです。私はそれが嫌なので、歌ではなくインストをするという。(^-^)/ @lapasion

タグ:

posted at 04:01:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

そうなんですよ、宇多田ヒカルがデビューしたとき、日本語のベタなシラブルでも、あれほどソウルになるというのが快挙と思われたみたいですが、それほど日本語はメロディーのソウルになりずらいんです。リズムがないからなんですが。文字がシラブルだからかしら(^-^)/ @lapasion

タグ:

posted at 04:04:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

うさたん、どうしてもハムのせバタートーストがたべたいから、さっき食パンとバターとハムかってきたから、トースターのコンセントいれる。なぜ普段たべないかというと、トースト焼くと部屋がくさくなっちゃって、あとでたいへんなの(^-^)/

タグ:

posted at 04:07:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

そうです、日本語が、身振りの描写と台詞の言文一致でさえ、実体より表象、つまり象徴化させてしjまう、という問題に子供の頃からずっと悩んでいます(^-^)/ @LitoSnowfield 日本で文章がおざなりになる…扱われるというのは、まさに表象と捉えて別に内実がある…という思い込み

タグ:

posted at 04:13:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

私中学に英語圏にいくまでは、文は読めるけど口下手だったんです、いまや日本語でもコミュニケーティブですが、しかも自然に。克服するためには日本語を一旦離れる必要があったと自覚しています。@LitoSnowfield とても居心地の悪いことですし、日本語への興味や謎?についての原点

タグ:

posted at 04:18:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

話し戻すと、クライマーズハイも息子を無口に病化させる父性の喪失の話。それを回復するためには父親が二人必要というダブルオイディプス、あるいは重層的オイディプス。それが言葉を表象と思って失語症に病化するのが、日本語では同根という。(^-^)/ @LitoSnowfield

タグ:

posted at 05:13:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

漢文から近代化は言文一致で、それは物語だから普通オイディプスになるのに、言文一致による身振りと台詞の差異化がなぜかアンチオイディプスになるのが日本近代文学のようで、吉本の詩論のとおり日本語では象徴切断だけが実体になる。オイディプス重層化ではじめて父性が現れる@sunamajiri

タグ:

posted at 05:17:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

この父親を音楽のように実体化t.co/7OHd1ZlJ させない、表象、あるいは明確に象徴としての言語というのがあって、このオイディプスの二重化が、吉本の詩論のとおり、それが日本語の音韻の切断だ、ということに思えてならない。@sunamajiri

タグ:

posted at 05:21:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

いまは日本語ラップの時代ですが、ラップになるまで日本語の音韻は、ある種のビートやリズムを受け付けなかったんです。どうやらこの日本語の音韻を表象として捉え、象徴作用を生み出すことが、言文一致文学からのオイディプスを剥奪してるようですね。@LitoSnowfield

タグ:

posted at 05:28:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

言文一致というのは、漢文によって抑圧された父子性を、身振りの描写と台詞の差異(齟齬)で浮き彫りにして、近代的自我を形成するための小説国語のことですが、日本語の音韻自体が小説だけでは乗り越えられない象徴化作用を持っていたと見て間違いないのでしょうたぶん。@sunamajiri

タグ:

posted at 05:31:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

これは音楽論でやると実体的なのです。メロディーというのは二元論で、抑揚の象徴化のようなもの。ジャズのモダン化や、ソウルのラップ化などをみて分るとおり、メロディーの象徴化作用の切断が可能なのです。音韻が象徴的だと、メロディーにならない、というのは・・・。@sunamajiri

タグ:

posted at 05:37:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

メロディーのビバップ化やラップというのは、メロディーの持つ象徴化作用の切断です。それは西欧語では音韻が直接メロディーだったからです。しかし、吉本の象徴詩論のとおり、日本語の音韻はメロディーとは違う実体なのです。だとすれば、象徴化作用を切断するしかない。@sunamajiri

タグ:

posted at 05:39:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

西欧では小説文学は、地の文による身振りの描写と、それを相対化する場面内の台詞(会話)の差異化でした。そのことによって、象徴化作用が相対化され自我が言語化された、日本近代文学ではそうなるどころか、何等かな象徴化によって場面内から会話を奪ったのかもしれない。@sunamajiri

タグ:

posted at 05:44:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

より端的に言うと、近代的自我を言語化した小説で、漢文が抑圧した父子関係を、言文一致させたことで、却って近代的自我を抑圧してしまった。それほど日本語の音韻は近代性を抑圧しかねないのでしょう。日本語では声を文に書いてはいけないというように。@sunamajiri

タグ:

posted at 05:48:28

辻井 勝 Katsu Tsujii @aoinatsunosora

12年11月30日

@sunamajiri 古来日本では「書く」というのは「ハレ」でしたからね。

タグ:

posted at 05:49:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

日本語のの音韻にとっては、近代文学が相対化した声も、ハレに捩れて、たとえば羞恥心さえプライドになってしまったりする。語れないことがあるというより、書くとパフォメーティヴに作用してしまう。素では書けない。書いたら象徴化してしまう。ハレの漢文になってしまう。@sunamajiri

タグ:

posted at 06:08:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月30日

ツイートまとめ@FB(^-^)/ クライマーズハイのダブルオイディプス、舞姫の前近代性=マザコン、吉本隆明詩論の象徴化を切断しないと音韻にならない日本語、近代的自我化するはずの言文一致で抑圧された息子の音声。
t.co/mFh7wL4S

タグ:

posted at 06:38:52

2012年12月01日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

その行動の原理は、原理について語ってる用語に聴こえるけど、じつは入門について語っているという。それは例の入ること、だとして読まないからだよね。ようするに入ることを原理と誤読することなのだ。これがヘーゲルあたりからずっと話題でね。(^-^)/ @op_kujou

タグ:

posted at 00:19:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

このメルロ論入ることt.co/RoMU5pdX は、入ること一般論。そのように入ることを語らせてしまうのが原理。それで入れないと、読むのを諦めて原理に辿りつかないわけだけど、しかし、じつは読まないでも原理はある。@sunamajiri @op_kujou

タグ:

posted at 00:20:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

おお、芦田先生、読んでいらした? うちのターゲット、文字通り高校生なんです。芦田先生をRTしたら混乱してたので注釈ということですよ。主眼は予備校テクニックが糞という話。@jai_an アホな。これは、福嶋国語教室的な高校までの読解にこそあてはまる。読解は分析でも論理でもない。

タグ:

posted at 00:25:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

そうです、私のツイートもほとんどそれです。教員免許のある国語の先生は現代文教えられないが、しかし、予備校のテクニックもすでに空洞化、だから読めていない、そんなあたりです。芦田先生の言説批判ではないですよww(^-^)/ @jai_an 高校の先生よりはマシ

タグ:

posted at 00:29:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

そうそう、それが「わかる」こと。さっきA先生が自分を言説よばわりするな、といってきたけど、このように実体を表象とか言説とか入門と言われると、普通はカチンとくる、そのあたりのテストなのだ現代文はw @op_kujou 前に読んだ入門することが困難であることは改めてわかりました

タグ:

posted at 00:41:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

つねに実体とか、おれさまとか、身体とか文字という一点のようなものがあって、それを言説だとか、表象だとか、入門だとか、呼ばわりされると、誰だって面白くないのだよ。分るとか読めるというのはそういうこと。それが読めないと、おまえわかってないじゃないか、となる。@op_kujou

タグ:

posted at 00:44:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

テクストに忠実にって言うのは、テクスト=著者を、別物に勝手にするな、ってことよ。A先生を言説よばわりしたら怒られたでしょ? なにせツイッターに当人いるからね。私が仲立ちすると言説とみなしてることになりかねん。あのテクストは本人に質問してみてww(^-^)/ @op_kujou

タグ:

posted at 01:12:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

現代文ってのは、テクストを別物(偽者)にしていないかのテストなのだ。だからといって書いてあることだけを中学生のように読んでしまうと、別物になりかねない、という難読文。ならば、あらかじめ原理的にどういうことかを知っていればいい、って簡単な話なのだよ。@op_kujou

タグ:

posted at 01:19:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

しかし、その原理的というのも、いまツイートしたとおり、実体と表象とか、本物のと偽者とか、本人と言説とか、部分と全体とか、対立項でおさえればよいだけなのだ。それが捩れると偽者になってしまう。本人が聞いたら、わかってねーじゃないか、となる。@sunamajiri @op_kujou

タグ:

posted at 01:21:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

たとえば、この前の模試でいうと、コミュニケーションというのは、こういう分るを分ること。以前スピノザの方法でツイートしたように、分かり合えるみたいな感じ。それは文字でしか確かめられない、と脱構築させたのが模試。声では共同体=前近代になるとされていた。@sunamajiri

タグ:

posted at 01:27:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

ちなみに先程から話題になっている、入ること(原理への入門)で引き合いに出されているヘーゲルというのは、序文が長いので有名なのだが、ヘーゲルはいわば、スピノザを読んで入門書を書こうとしている状態。そういう文を読んで分るか?ということ。@sunamajiri

タグ:

posted at 01:29:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

本には心が無いと現代文は教えるのだけれど、A先生の言うように実は本でしか心がない。入門できないというのも、本=文なのに単語=観念と思ったりすると本=心(本心)に入っていけない、ということに等しい。@op_kujou 本の心を知る?って前に読ませてもらった「入門する」と近い?

タグ:

posted at 01:56:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

つまり、心が分らないというのは、文や本を単語=観念で、別物として読んでしまっているということ。そこには確かに心はない。本が心に見えてくるというのは、単語に躓いて文を誤読しないということに尽きる。それを先程の入門と言い換えてよいと思う。@sunamajiri @op_kujou

タグ:

posted at 02:00:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

ところで、このように説明するのにも、観念語が不可欠。今度は心と言い換えている。しかし、その心という単語自体に意味があるのではない。このように観念を函数のように運用する能力があるかをテストするためには、文にさせるというのが日本の国語。@sunamajiri @op_kujou

タグ:

posted at 02:04:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

受験生にとって重要なのは、単語となった概念や観念に躓くな、ということ。たとえば神という単語に躓いたら文が読めなくなる。ただそれだけ。出題者はそこだけをテストしようとしている、ということを常に念頭において問題を解くこと。@sunamajiri @op_kujou

タグ:

posted at 02:07:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

現代文では、躓きやすい単語を意識化させる。たとえば10年ぐらい前までは、記号や表象だったのが、いまや文字や身体が実体とされるような評論が頻出している。そのような単語に躓くかどうかをテストされるだけなので、数学などより対策がしやすい。@sunamajiri @op_kujou

タグ:

posted at 02:10:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

その理由は簡単で、文字や身体まで記号や表象とするような、日本的ポストモダン(時代的にはバブル時代)が、徹底的に批判されている。そのために、表象に埋もれた実体、という主題が台頭している。しかしそれは原理的だ、ということ。@sunamajiri @op_kujou

タグ:

posted at 02:15:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

ツイートまとめ@FB(^-^)/ 本にしか心がない、を読めないということ。単語に躓き文を読めず心に到達できない人は、社会人になり本を読む暇がない。一方、受験生が文に入門するということ、をめぐるツイート流れ。
t.co/EUiQeHIu

タグ:

posted at 02:34:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月1日

その、フィラーからファンクションライン、そしてラインのリズムフィギュアからモードへ、という引き裂かれが一昨日のフルート授業6時間だったよーww(^-^)/ @LitoSnowfield 両方が好きな私は困惑したものでした@bassfukawa

タグ:

posted at 02:50:24

@sunamajiriホーム
スポンサーリンク
▲ページの先頭に戻る

タグの編集

あまちゃん うさぎ うさぎのいる暮らし うさぎ好きさんと繋がりたい うさぎのいる生活 うさぎのしっぽ ホーランドロップ Yahooニュース ldnews onisavulo

※タグはスペースで区切ってください

送信中

送信に失敗しました

タグを編集しました