大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年04月21日(土)
自分が敗北者なのに子供を育てる。自分が気持ちよさを体現できなかったから、子供を気持ち悪く育てる。そんな感じに70年代の偶像の作り手は、気持ち悪いもばかり作ろうとした。だから、偶像の外が豁然と気持よかったのかもしれない。逆に今は気持ちよさと偶像が渾然一体だ。
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posted at 23:58:34
ところで、たいていそういう作り手は、自分が音楽の境地に達し損なって、子孫に託すように、誰かを育てるという感じだ。つまり、自分か子孫かという例のいやらしい問題が、70年代の気持ち悪さににじみ出てしまう。あの時代、子孫に託す親は、あまりよい親ではなかったのだ。
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posted at 23:56:33
70年代の気持ち悪さとは、偶像の作り手が気持ちよさに気づいていない点に尽きる。じつはミュージシャンだけが独占する達する感覚、というのは、その言葉でしか表現できないからだ。リスナーが共有できるのも、もちろんミュージシャンの精神ではなく気持ちよさだ。それに気づくまでの停滞が70年代。
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posted at 23:40:40
子孫か自分かという弁証法は重大よね。両立出来ればいいけど現実問題なかなか難しい。そこで自分が達成できないと子孫に託すという感じになる。家なんか親が子供に敵愾心あったりするほど極端だからよくわかる。だから中途半端はつかれる。自分か子孫ね。(^-^)/
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posted at 22:59:27
生徒さん持って来た学校のテストの評論文笑った。理系は読書で私的言語体験をする。それは「分かる、と(ゆえに)、面白い」であるより「面白い、と(ゆえに)、分かる」なのだ、と書いてあって、今読んで爆笑しそうになった(^-^)/ t.co/qyCQ29Mg
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posted at 18:39:57