大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年05月03日(木)
尺八や演歌では、たぶんジャズを創始できないんです。ジャズのリズムに乗って情念を歌えても、そのリズムは作れないんです。尺八というか邦楽器は、運指のシステムが近代化されてませんからね。ジャズは近代化以降の音楽です。@slitsandfrills
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posted at 23:44:31
そうです。アフリカ人は笛は吹いても虚無僧は多分思いもつかない。そんな話です。音色と音楽はかなりの対立項です。音色は実は音楽ではない、それがジャズがやらかしたことだったと私は思います。(^-^)/ @slitsandfrills これは尺八について仰ってますよね?
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posted at 23:40:45
たぶん、アフリカの太鼓はバッハ(西欧音楽)になれても、アフリカ人は虚無僧にはならない気がします。たぶん虚無=単独の倍音は他から来ていると思います。音楽というより音色なのです。@slitsandfrills 安易な図式で想像すると尺八でも倍音から自由な演奏をすればジャズ?
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posted at 23:34:56
倍音というのは縦の構造、つまり時間の停止なのです。西欧音楽はリニアな終止形で2つの倍音列が二元論のように交互に現れるというか。なので単管の単独の倍音は、西欧的には時間的静止、フェルマータに聴こえるんです。静止画の世界です。@slitsandfrills
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posted at 23:21:54
バッハ以降の西欧音楽というのは、2つの倍音列の二元論=終止形の情感なんです。全てそのために書かれ、演奏もその情感を忠実に表現するんです。ジャズではこのドミナントモーション=終止形が、リズムの細分化で、半音階の音列の自由になってしまったんです@slitsandfrills
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posted at 23:19:36
つまりジャズというよりロックの魂に聴こえる。乱暴に言うとジャズは倍音からの自由、ロックは倍音の情念みたいな、そんな風に聴こえる。倍音から自由になるためにライン(メロディー)を細分化するには、フルートのようなか細い楽器は聴こえない、というだけなんです@slitsandfrills
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posted at 23:14:06
音色というか倍音は尺八の方が豊かで面白いですよ。こういう風にリズムやグルーヴを、旋律から分節化できてしまうと、たしかに笛は倍音になる。しかし、ジャズは実は倍音としての和声から、リズムを解法することだったので、これは事後的ですかね。(^-^)/ @slitsandfrills
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posted at 23:11:37
懐疑する精神も不思議さに驚嘆する感性も、鍛え上げなくては使えない技術である。この二つが児童生徒の心の中で仲良く結婚することこそ、公教育の主要な目標とされるべきだろう。
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posted at 21:08:52
うん、どこいっても「自分」だらけの辺境。まるでオレオレ詐欺みたい。(´・_・`) @neajazz QT: 正に。RT @sunamajiri: 自分になるということが足らないのではない。至る所、我儘な自分だらけ。辺境だからできるご都合主義。(´・_・`)
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posted at 19:26:17
ご都合主義や、自分主義の前では言葉まで無効化されてしまう。日本人が不得手なのは、この自分を捨てる、あるいは自分を括弧に括ること。自分になるということが足らないのではない。至る所、我儘な自分だらけ。辺境だからできるご都合主義。(´・_・`)
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posted at 19:15:28
事物どころか、言葉(語彙)まで都合よく無効化されちゃう(´・_・`) QT: さわり / 世界観 / 姑息「みんなが誤用している日本語」 t.co/La7YRX6e
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posted at 19:06:03