大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年05月05日(土)
中断していたが、ここから。手前で、1)デカルトは肯定的な神に拘り物事の起生原因を証明できない、2)自己原因が、デカルトの証明(デカルトの証明の布置)だけでは、証明されない。ではスピノザはどうやって?という話になっている。 t.co/0mgLTLfd
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posted at 06:27:04
(読書)デカルトの証明のままでは、自己原因は(物事の)起生原因を証明できず、神は因果的に超越してしまう。そこでスピノザは内在的原因=本質を、存在の原因と分ける、という。
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posted at 06:39:12
(読書)いずれにせよ、因果的に超越的な審級を神としないための、自己原因という証明が、論理的に可能なのか、というお話で興味は尽きない。こういう話は大好きなのだ。だが、そろそろ朝の読書タイムは終わり(^-^)/
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posted at 07:01:45
昨日ツイートしたように、スピノザはどこか日本語になりにくい概念提出に見える。憶測だが、日本では、「神」を、(スピノザの言う因果的に)超越的な語義として、近代を構築したからなのかなー。なんとなくそう思えてるんだよね。どこか日本語になりづらいところがある。それを読むのがとっても好き。
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posted at 07:23:34
そうそう。その一点だけにいわば関心があるの。どうも日本の近代的言説一般は神という語の意味を超越にして、超越者を作りたがってるように見えてしまう。それが神(という語義)の死なんだなーって。日本語化されずらいスピノザ的テクストから痛感する。@LitoSnowfield 日本語の特性
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posted at 07:54:14
超越化したい人がいるんでしょうね、神という語義を超越者と思考停止する日本語があるということは。(^-^)/RT @LitoSnowfield なるほど…そういう背景があった場合は、先程にsunamajiriさんが仰った“日本語化出来ない部分”に気が付かずにご自分でご自分を目眩ま
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posted at 21:34:26
成る程。八百万だから、テクスト内の神という語義まで、その一つと躓いて超人願望になっちゃうというのはありそう(^-^)/@LitoSnowfield 神=超越者となるのは、至る所に神様がいる国だったからかな? …とも思ったりもしました。超越者→神となるような印象もあったりもします
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posted at 23:37:55