大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年05月06日(日)
存在(という語義)に対する「存在しない原因」という反証が、証明の命題にはなりようがなかったように、信じないという事柄があるものなのだろうか。信じている人々がいるから信じない、というのは単なる反対語ではあっても、何かを証明しているわけではない気がする。
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posted at 00:11:00
言語論的転回以降は、スピノザの神の因果性が言論的転回に見える、にも拘らず田島氏のように存在証明を度外視してスピノザを受容する非実在論t.co/ZifFH4g8 というのは、神という語義を超越化する無意識なのではないか?と言っていたのだが、ノヴァーリス凄いw
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posted at 00:40:19
t.co/r7oNHckn そーかなー。古典はそうでも現代文は、近代以降の西欧化の葛藤がどう言葉化されるかという命題を、より直接に教示すること以外ではない。国語教育を誤ってはいけない。英語学的英語というのも日本の特殊な英語教育に限った話なわけで。(・_・;)
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posted at 01:48:45
t.co/olJx11FB つまり生徒を葛藤させるようなのは教育学にも悖る。教育学の側が(西欧化の)葛藤を引きずっているかのようだ。各国語学の前に言語学であり哲学なのだ。そういう原理を考えずに、生徒の葛藤や混乱を取り除けるものなのだろうか?
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posted at 02:04:09