大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年05月23日(水)
和声二元論は現代ジャズを用いて初めて体現化できます。そこでは、cの上方領域がg、下方領域がf、ですから上方のG7、下方のF7ができドミナント/サブドミナントではなく、上方のドミナント、下方のドミナントができます。だからF7→Cはブルースなのではなく、従来の属和音の二元化になります
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posted at 14:53:39
結局のところ、國分氏は、知性改善論は定義論で、デカルトの太陽の刺激の例と対比して、幾何学と神を弁別したが、エチカでは、無限遡行に陥らない「命名される神」(という解決を生んだ)、という話をしているだと思うのだが、どこか論述が撞着的だ。それはスピノザにある問題ではない(気がする)。
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posted at 12:35:41
極論だが最近、日本語は言語ではないのではないか、とさえ考えてしまう。大抵の人は日本語は柔軟で外来のすべての概念を吸収しているつもりなのだが、最も肝心な事柄だけが日本語にできない。そんな気さえする。
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posted at 07:38:13
よく日本語は柔軟というが、じつは根本的に日本語に訳せない事柄があって、それに真摯に向き合えるかどうかだけが、国内では学者の真価になってしまうという話。なかなか面白い。
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posted at 07:32:00
柄谷行人がクリプキの哲学を通じて言おうとしたのは、固有名の単独性と並んで、命名行為の社会性でもある。社会的な命名とは、要するに子どもを名付けること(名付け親になること)を指しており、それはすなわち、かの吉本隆明が語った「対幻想」を理論的に受け継ぐものだったのではないか。
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posted at 00:29:23