大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年10月22日(月)
うん、子供も分からされているのに、大人が分かっていないのが、社会的にも大問題なので、どんどんやるべし(^-^)/ @aoinatsunosora メルロ=ポンティの引用を用いる予定です。
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posted at 02:06:53
おお、ついに実体t.co/1KQWSTwd 化しはじめたか。とてもよい言語的営為だ、それでこそ言語だww (^-^)/ @bassfukawa 幽霊の実体化だ。
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posted at 03:44:05
日本の文化人は、海外留学体験をバックに日本で保守思想を携え、言論界にはびこる、というのが、渡辺昇一、江藤淳、西尾幹二など代表をみればわかるが幕末・明治以来の海外留学体験でエリートになるのパターンを踏襲するが、柄谷行人だけは保守化していない。極めて重要な事実だと思う
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posted at 12:08:08
日本人は多くの場合、職業やプロフェッションという関心にしか言葉を費やさない。しかも、それができないという職業的弁解をするために、西欧哲学のジャーゴン(用語)を濫用する。職業に出来ないのが倫理と錯覚してしまう。しかしそれはただ単に教養がないだけ。
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posted at 18:50:32
職業はこうあるべきだが、それを実現できない自己責任を、つい無教養な哲学的なジャーゴンで語ると何が現れるのか? つまり錯覚としての存在の危機感のようなもの。存在してはいけないという倫理ではなく強迫観念が、ただ言葉によって実体化してしまう。しかしそれは無教養というものだ。
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posted at 18:52:30
西欧哲学は、日本人の職業などに関心があるわけがない。にも拘らず、日本人は自分の職業を哲学したがるのだ。こういう哲学の術語の盗用によって実体化されるのが、おそらく端的に無職だろう。哲学というのは自己弁解とは正反対の営為なのに、そういう誤解は危険すぎる。
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posted at 19:00:00
あるミュージシャンが、職業として成り立たないことと、音楽の形而上学を混同するツイートを、ひっきりなしにツイートt.co/fGSnvLu4 していたのだが、そんなに書くことに精力的なら、読むことに精力を費やすべきではないか。弁解とは他者の言葉を読めないときに起こる。
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posted at 19:10:32
端的にいうと、無視や軽視するといっている対象の論理が分っていないというだけのこと。たいした問題じゃないのよ。それをことさらに言うからおかしい(^-^)/ @bassfukawa (論理=ルールの無視・軽視)」というのが好きだったりします
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posted at 19:55:13
なんで読解塾お休みにしてるのに、子供たちの国語教育じゃなくて、つい大人たちの国語教育したくなっちゃうんだろう。これは明らかに職業病だな。今後は大人たちの殻はスルーするかしらねーwww (^-^)/
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posted at 20:27:27
でも簡単よ。そういう(言葉による)追求って、ちっぽけな自分の証明に矮小化すると、単なる矛盾になって、そういう殻や言い訳になり病化するものだけど、それは言葉のデカさを侮ってるだけだから。それが分れば学校なんか行く必要ないよ。(^-^)/@bassfukawa ドロップアウトした者~
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posted at 20:42:30