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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2012年11月13日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

それがデカルト方法序説(認識のための方法だと無限遡行になる)を批判しようとして挫折したスピノザの『知性改善論』みたいな話ですよ。標識も道具も認識のために動員する方法では無限遡行して知性とはならないんです。@slitsandfrills その学知を深めるノウハウが知りたいものです…

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posted at 02:47:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

つまりスピノザ『知性改善論』が方法を挫折させたように、方法や方法論やノウハウというより(それでは認識による無限遡行に陥る)、それを放棄するような仕方(現象学の起点)なんだと思います。しかし加速しますよ、仕方を心得ると。@sunamajiri @slitsandfrills

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posted at 02:50:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

國分氏の『スピノザの方法』は東大話法の安冨歩氏に脱構築過ぎるとアマゾンレビューt.co/gJlpjgwU で書かれてましたが、現象学の起点に触れているので当然です。知性とはそのようにしか改善されない。@sunamajiri @slitsandfrills

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posted at 03:01:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

スピノザの仕方(現象学の起点)は、デカルトの方法による認識では、無限遡行に陥ると暴露するのですが、認識の無限遡行とは、神とは何だ?という問いのことです。そういう無限性に陥らないためには、仕方を変えればよい。つまり神を問わないのだ、というのが現象学の起点です。@sunamajiri

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posted at 03:05:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

だから方法を問うのは誤りなのです。方法からは認識、すなわち神とは何か?という無限遡行、言い換えると無神論に陥ります。しかし神を論に含めない論というのは、おそらく判読不能なのです。方法から問うとそうなるが、それなら仕方を変える。@sunamajiri @slitsandfrills

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posted at 03:11:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

デカルトの方法序説は神要請です。それを批判したスピノザは神の存在証明を完遂し、デカルトの神要請を不要にする仕方=現象学の起点であって、それがスピノザのいう「知性改善論」なのでしょう。実際に知性とはそういうものだと思います。@sunamajiri @slitsandfrills

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posted at 03:14:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

このように知性の改善=現象学の起点とは、認識による無限遡行=神の存在証明の無限遡行という陥り方をしない、あるいはそこから自由な我=コギトということです。それがそんなに難しいことだとは私には思えない。@sunamajiri @slitsandfrills

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posted at 03:23:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

それは端的に、我々は神ではないということに尽きるわけですが、そのことにより、知性は容易に改善され、認識論の客観性と物事の分別は、誰でも常識として持てるわけです。持てていなければ多くの場合認識の延長の客観性が歪み、病気になります。@sunamajiri

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posted at 03:25:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

このように、たいてい知性の話、つまり現象学の起点の話は、回心で終わることになっています。それが最も合理的な回心の仕方だからなのかもしれません。回心できなければ、病気になり、知性とはならない、端的にそういう事柄なのでしょう。@sunamajiri

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posted at 03:26:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

・・・という風に、神懸かってくるから、たいていは現象学や客観性は(起点が隠蔽されることで)歪んで捉えられ、病気が再生産される、ということなのですが、私もこれをやると神懸かってくるので、ここいらで中断。いやQED(証明終わり)(笑)。@sunamajiri

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posted at 03:30:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

とはいえ、こういう主知主義に対して、経験論ではなく現象学は何ができるか、というメルロのような問題です。確かに神は問わない=認識しないが、知性は、だからといって経験というわけでもない。t.co/E2JRyt2E @sunamajiri

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posted at 03:39:27

丸山圭三郎 @M_Keizaburo_bot

12年11月13日

私達はメルロ=ポンティも言うように、〈意識〉か〈無意識〉かの二者択一を迫られてはいない。意識は無意識の顕在化であると同時に、無意識は意識の産物である。自我はエスが物象化したものであると共に、エスも自我が無ければ生まれない。『言葉・狂気・エロス』

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posted at 10:05:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

にしても、この「絵画の仕方を描写する文が音楽の仕方を神と名づける読み方」というメルロ現象学の理路は、最も横柄にみえるのよねー。たぶん読解力がないとそういう風に受け止められる。しかしこんなに学びに謙虚な態度はないとおもうんだがなー。読解力の乏しい人はだめね(^-^)/

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posted at 13:30:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

私が晒せる世界が無限とは思っていないけど、私のできる限りの世界はこれからも晒そうと思う。晒されない世界なんて、世界内存在の私には、ないも同然。(^-^)/

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posted at 13:44:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月13日

うん、現象学って、近代哲学が、全てを認識の対象にしようとしたことで、見えなくなる自分とは、っていう現代哲学のきっかけみたいなもの。たとえば物理学のように自分を心理学してしまうと、実は自分が隠れてしまうから、心理学批判が主流らしい。(^-^)/ @KouzaShibuya

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posted at 14:00:00

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