大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年08月03日(日)
bit.ly/1ojStob は、コギトが時間を延長にすると認識論になる、という存在論。bit.ly/1ojSoAX は、その「ハイデガーの現象学は、懐疑から始動していない」という認識論よ。@Oygnino2 全く詠めないのだワ!
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posted at 21:01:35
私達にはフレーム問題はないというべきだが、その代わりにあるものがある。たとえば、近代的自我を教えろと文科省指導要領が指意したからといって、直ちに国家の言うなりのロボットを作れということではない。むしろ逆に問題の所在を端的に分かる子供を育てろ、という程度の意味だ。
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posted at 18:12:33
結論から言うと、梵我一如のように現象の背後や、言語の深層のようなカオスに支配され、身も心も虚無化してしまうようなことのないようにしろ、というのが文科省の国語指導要領の基本だ。ロボットを作るのとは正反対のことをしなければならない。たとえば我々にはフレーム問題などはないのだ。
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posted at 18:06:22
この前、ハイデガーの造語を批判するフランスの造語だけでは、感性や悟性といった近代的自我の論点を保持するのは難しいといったのだが、深層としての言語を軽視するためでも、私的言語を過剰に重視するためでもない。私の関心は文科省のいう近代的自我で出題するためにはどうするかという一点だけだ。
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posted at 18:05:44
梵我一如とか、現象や言語の背後の深層の意味、というのは実に気色悪い。この話をすると、深層としての言語を軽視するのは不誠実であるとか、他方、私的言語に過ぎない言語を重視しすぎているという、両極の反論が出てしまう。しかし、そんな雑談には興味はない。
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posted at 17:51:24
そうそう、西欧化して西欧にはない虚無を洗練させただけ。(^-^)/ @Nuebsburg 西田幾多郎曰く「更に進んで已むを得ざる所以を自得すれば、抑圧がかえって自己の自由となる。」p.144 あの世に福楽を想定していない分、キリスト教よりなおルサンチマン。
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posted at 17:50:59
梵我一如は西田幾多郎に限らず、日本のカルトの基本ね。心身二元論で心は実体でないというと身体だけに実体化してみたり、現象の背後や言語の深層はないというと、いきなりカルトが出てくるねww @Nuebsburg 終わりの方は、もはやカルトと区別が難しくなる。
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posted at 17:49:30
お囃子カーの民謡太鼓のアンサンブルって、拍が表になったりウラにロストして、ただ身体的にドコンドコンと腕を動かしてるだけね。心身問題は心という実体がないということだが、あれでは身体という実体だけだ。twitter.com/tetsugakubot/s... @LitoSnowfield
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posted at 17:36:26