大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年08月27日(水)
「哲学的な」文字列を文法規則に従ってランダムに並べると、哲学者の多くはそれが「本物の哲学者」の書いたものなのか、ランダムなコンピュータの出力なのか、区別をつけることができない(理系の学問では、同様のことをすれば、区別をつけることができる)。
タグ:
posted at 22:47:29
言論的転回から、意識論的転回が表象を記号と心理に混同した、というディスクルズ混同の問題として批判している、と要約することができるかもしれないが、表象なども全部引っくり返ってしまった用法なので、それだけで要約しても、おそらく肝心なところが吹っ飛ぶ気がする。@Nuebsburg
タグ:
posted at 16:46:32
シュネーデルバッハの訳書、日本人が受け付けないらしくて、ネット古本屋で投げ売りされてるから、ぜひ本文にあたってみて。ディスクルズ混同を批判する彼の仕方を要約すると、それに近くなるが、何かが不十分。@Nuebsburg pic.twitter.com/kFz4K6HhyT
タグ:
posted at 16:40:44
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
というより、表象という概念のディスクルズ混同的な転用が、混乱を助長しただけと(^-^)/ @Nuebsburg 言語は事態の写像ではない、ということですか? pic.twitter.com/C8b4qbj4Dx
タグ:
posted at 15:15:33
シュネーデルバッハの用語法でいうと、デカルト的懐疑=意識論的転回をディスクルズ混同すると言語論的転回ができないということになる。テアイテトスが援用されている。後書きの最後の「先行了解」は概念の混乱の排除のこと。@Nuebsburg pic.twitter.com/twisvKqSe0
タグ:
posted at 14:48:05
次頁がよい。ディスクルズ混同とは、スピノザがデカルトの方法と方法論の混同を批判して言語論的転回を先駆した、と國分氏が結論したことと相同だが、循環が派生する世界の自明性は「デカルトが託したのとは」違う、という指摘。@Nuebsburg pic.twitter.com/D9ACvLggQv
タグ:
posted at 14:34:09
それが言語論的転回からヘーゲルとハイデガーのホーリズムを、カントに対するディスクルズ混同というシュネーデルバッハの指摘する状態。受験国語でも言語の背後を認識させない論理とするのと同じ。訳者後書きが要約になってる。bit.ly/1ASVdlv @Nuebsburg
タグ:
posted at 14:05:50