大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年02月15日(日)
カントの陥った純粋統覚=悟性という呪縛、実に分かりやすい。思惟(コギト)は直感による想像力(構想力)なのに、悟性=論理学の方が「高級」だから、デカルトが要請した高級な神に戻す方が美しいという尻込み。ハイデガーも鮮やか。@TKDOMO pic.twitter.com/SmCIEVM0r6
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posted at 23:56:34
このコギトを古典論理学に戻すこと、悟性にすることというのが、カント以降のヨーロッパの呪縛なのだ。それを唯一喝破したのがハイデガー。フッサールから見るとその欺瞞がわかるものらしい。それを現象学と言うよね。@TKDOMO pic.twitter.com/8dr51iienF
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posted at 23:43:51
このようにおそらく、現象学が独断にみえたのだろうが、推理小説でさえ読み飛ばしては無意味なのだ。現象学が独断にならない独断なのも、遂行意味を厳密に共有できるからなのだ。『カント書』に戻れば、カントですら独断に脱落したようなものだ。 pic.twitter.com/4fLLvfazGV
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posted at 06:56:43
ちなみに一般的に解説書より、原書のほうが読みやすいのだ。デカルトなんか解説よりデカルトの文のほうが分かりやすい。ところがフッサールあたりになると、もう解説してくれなきゃ、という感じだろう。ハイデガーもそうなのだが、高田訳は解説より読みやすい。@LitoSnowfield
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posted at 05:19:24
結局のところ、机のような物事を机と判るのは何故かとか、変化するあるものを、そのものと捉えているのは、どんな能力なのか、という話なのだが、そこで物とか、判るという普通の言い方をすると、単なる機械の話になってしまうので、現象ではないということになるのだ。@LitoSnowfield
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posted at 04:57:57
知覚が先か、理念が先か、いや構想力でしょ、という話だが、その机の話で、「私は~思う」が「あたかも~であるように」になるあたりまで読んでも分からなければ、何が分かっていないのかの会話に入り込めるという寸法。@LitoSnowfield pic.twitter.com/ENGHsUwUb3
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posted at 04:52:54
俯瞰すれば、カントは構想力という問題を掴みかけたのに、悟性に逃げた(神に縋った)から、現象学に成りそこねるのだが、ハイデガーに構想力を捉えさせたのがフッサールの現象学、といった関係を頭に入れて、では構想力とか現象って何?はその章の解説が一番真っ当。@LitoSnowfield
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posted at 04:32:35