大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年03月05日(木)
『形式論理学と超越論的論理学』はハイデガーの『カント書』と同年の1929年。しかし未邦訳だったためか、たとえばカント書からフッサールの発生を再話しているような斎藤慶典の『フッサール起源への哲学』ですら、たしか一箇所しか言及がない。 pic.twitter.com/Qxim2AocwI
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posted at 20:55:04
そういえば思ったのだが、すでに約束の地に辿り着いた思考 twitter.com/sunamajiri/sta... と、ディアスポラのまま彷徨う思考の二種類があって、ハイデガーに反論した人達はみんな後者に見える、という感じはあるかも知れない。@mallarmean ユダヤ的なものへの疎さから
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posted at 16:28:38
そして、論破できてしまったのだから、もはやカント用語を重視してもはじまらないのです。だから言語新作をするなり、詩だけを問題にするのでしょう。それは秘教的(秘境でも同じか)でも私秘的ではなく、単に寄与でしかない。必当然に対する当然というか。@jeanbeauty2
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posted at 13:22:33
しかし、『カント書』は用語でいえば、言語新作を一切せず、カント用語で、純粋時間を全て奪還してるんです。『現象学の~』でハイデガーは「カントの問題、つまり哲学の問題」というのですが、カント用語で認識論を論破する必要はあった。@jeanbeauty2
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posted at 13:21:17
非カント用語を試みた『存在と時間』も、アンセルムス~アクィナス批判から、デカルト~バウムガルテンの用語で心理学をしてしまうカント用語の解体を以って始める『現象学の根本諸問題』(木田元が逆順になっているという)も、『カント書』からみれば破綻しているのです。@jeanbeauty2
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posted at 13:20:36
全くそのとおりで、秘教的と捉える側に曇り、被覆性があるんでしょう。たしかに詩論ばかりやるわけですが。寄与してるにすぎない。@jeanbeauty2 よく、後期という名の下、ハイデガーの思索は、秘教的、神秘的とか、言われますが、果たしてそのように、言えるのか、ということを感じます。
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posted at 13:01:00
鍵RT @jeanbeauty2 よく、後期という名の下、ハイデガーの思索は、秘教的、神秘的とか、言われますが、果たしてそのように、言えるのか、ということを感じます。
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posted at 12:58:13
カッシーラーは単に、神の創造主になれるほど、人間を能力的に無限と信じているだけです。論争が踏まえる書評で、ハイデガーに「時間ー内ー存在」のようだと酷評されるように、蓋然性の中を動き、偶然性という時間に直面し世界観を得られないだけです。@jeanbeauty2
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posted at 12:57:27
ダヴォース討論 bit.ly/1FQnACj をお読みなのか、返信に困るのだが、彼はその一点しか言っていないでしょう。@jeanbeauty2 カッシーラとの対談で、時間性の欠如を、指摘している、ふうはあるでしょうか。
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posted at 12:51:52
そうしたことを、何か「特殊」な、たとえば秘教的なこと、のように受け止めるべきではない(たとえばそれでは文化人類学のようになってしまうかもしれない)。そんな周縁を見下すような態度に必然性があるわけがない。そうした「一般性」に言及しているようなものです。@jeanbeauty2
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posted at 12:47:28
それだけに威力がある。たとえば、ハイデガーはカントの時代の心理学は古すぎて、つまり時間を踏まえていないから、認識論を語ってしまった。だがそれだけでは解釈は形式的告知を行えない、というディルタイの解釈学的循環の問題以降のことを語っている。@jeanbeauty2
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posted at 12:45:09
単に解釈学的転回というだけでは、また何か特殊な事と混乱する向きがありえるのだが、カント書というのは、いわば透明なんですよ。ある意味、今では誰でも当然のこととして踏まえている、その当然を、なんというか原理的に全て解明した、といったことであるに過ぎない。@jeanbeauty2
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posted at 12:37:56
的確な整理の仕方ですね。そうですよ。何か特殊なことが言われている、と受け止めることが問題ではない。ごく当たり前の態度が決定されたに過ぎない。つまり、極めて「一般的」なのでしょう。@jeanbeauty2 bit.ly/1EORSaw
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posted at 12:35:48
鍵RT @jeanbeauty2 認識から、理解、理解から、解釈、という転換を、辿っていると、思います。そして、ハイデガーは認識のなかの科学的認識は、もっとも、派生的だと、考えていたと、いうことですね。派生的な指摘は、存在と時間に、指摘が、ありますね。
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posted at 12:32:12
鍵RT @jeanbeauty2 伝統的存在論、形而上学の批判だけでなく、認識論の、批判をそのような狙いからしたのが、カント書になるのではないか、と思われます。カッシーラとの対談で、時間性の欠如を、指摘している、ふうはあるでしょうか。
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posted at 12:31:52
鍵RT @jeanbeauty2 時間性の概念の導入によって、認識論から、解釈学への転換というとになるんだと思います。存在と時間の企てには、そういう帰結か、ねらいか、あると思います。
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posted at 12:31:19
鍵RT @jeanbeauty2 理解に、時間性が、入ってくると、解釈になり、それまでの、認識論は、すべて、時間性をまったく、考慮していない、ということだろうとおもいます。
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posted at 12:30:47
そうだ、ハイデガーBOTするなら、『現象学の根本諸問題』なら140字で、さくさく金言がでるな。『存在と時間』は高田珠樹訳ですら、非カント用語なので、140字で区切ると何のことかさっぱりわからない文にみえるのだ。『現象学の根本諸問題』botたんやるか。@LitoSnowfield
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posted at 03:42:56
DM: たとえば「カントが根本で言おうとしているのは存在者は存在ではないということだ。それに対して現存在を知覚や意識という絶対的定立とし、存在を定立一般(相対的)とするカントの解釈は、単に多義的で不明瞭だ」とかいう。@LitoSnowfield
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posted at 03:25:54
DM: 「プラトンは純粋空間を扱う幾何学ですら、存在を扱う哲学に比べれば、夢を見ているようなものと言ったが、心理学も同じだ。古い心理学で夢を見ていただけのカントによって混乱した心理学が、夢の中に戻っただけだ」という感じ。@LitoSnowfield
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posted at 03:24:30
DM: 「カントは心理学で存在論に迫れると勘違いしたが、それは心理学が古かったからで、ディルタイの影響で生を問題にしても、結局心理学は非哲学という元の鞘に収まった。それを見下してもはじまらない。」とかいうね。@LitoSnowfield
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posted at 03:22:21
DM: つまり神の存在証明の失敗から逆順で話し始める。とはいえ、両書とも挫折破綻している。破綻の仕方が違うのだが。そのあらましを一番わかりやすく論証したのが丸山文隆の一連の論考と感じられる。そしてその破綻を解消したのが『カント書』。@LitoSnowfield
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posted at 03:21:35
DM: 心理学を見下すな、というのは『現象学の根本諸問題』の始め方ね。誰かのように見下したりはしない。木田元が『存在と時間』が『~諸問題』で分かったというのも、非カント用語から始める『存在と時間』に対して、逆に解体するためにカント用語から始めるからね。@LitoSnowfield
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posted at 03:20:43