大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年05月27日(水)
非公開
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posted at xx:xx:xx
自己は眼前にない、つまり言挙げだけが眼前化だが、こうした脱自態、意外と漫談でしか不可能らしい。まさに超々越論的弁証論。というLINEチャットログ。
www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @LitoSnowfield
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posted at 16:40:14
ということで、ファルスの話に戻されてしまって、昨日のリトさんとのLINE漫談は、お開きになったのだ。以上、一部推敲加筆してLINEチャットログを公開しました。ファルスへのご批判はなんなりと(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 16:04:18
更に進むと、ザハ・ハディッドの新競技場ではないが、物ではないファルスが、女性からは物のように対象化されるから、女性器もファルスだ、といったような話になる。しかし、それでも対象はない。どうも、この話に直結したのは失敗だったのだが。@LitoSnowfield
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posted at 16:02:41
ハイデガーは、カントが対象を生み出すのは神の直感で、人間の派生的直感ではない、とした点を挙げているが、たとえば、二次元萌えのように、理想の偶像を空想し、三次元の女子も好んでコスプレ表象になる、といったところにあるのが、対象の不在。良し悪しではなくね。@LitoSnowfield
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posted at 15:59:09
話を戻せば、カント以来の話というのは、ハイデガーによれば、対象は想念からは生み出されない、という単純な話で、対象に直面できるのは想念ではなく想像力だよ、といってるだけの話なのだ。@LitoSnowfield
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posted at 15:55:08
だいたい、ハイデガーとフロイトなんて絡み合ってもいないのに、戦後の人達は、そこにしか対立を見出す、ついその轍を踏むね。脱構築なんてその手のものだったんだろうな。@LitoSnowfield
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posted at 15:54:03
あれはファルスじゃないんだから、モノにしないほうがいい。はっきりいって穴なんか棒に比べたら、物ですらない気がする。穴は穴のままがよい。(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 15:45:19
新東京五輪で、ついにろくでなし子の夢、東京に巨大な、あれが出現するという、悪夢というか夢の様な時代、それが脱構築の残された唯一の道だったというのだから、かなり笑えない。@LitoSnowfield
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posted at 15:43:58
bit.ly/1PMqSA2 「彼らが何て言っているかって?建物の穴が女性器に見えるってことばかりよ。ばかげているわ」と批判は全て男性がしているかのように語り、「もし仮に男性が設計したのなら、こんな卑猥な比較はされなかったでしょう」@LitoSnowfield
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posted at 15:42:55
そうそう、新五輪の新国立競技場、巨大なろくでなし子的造形。最初から嫌な予感がしてたんだ。ろくでなし子さん逮捕してる場合じゃないのにね。ザハ・ハディッドって、巨大な女性器を建築物として空間化することを、アラブの脱構築と思ってそう。@LitoSnowfield FBで書いてましたね。
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posted at 15:40:59
そういや、脱線になるが、脱構築といえば、最近じゃ、アラブ人の建築の新潮流、アラブ人のろくでなし子の話しか、もう残っていないという話じゃない? 女性のあそこ、ファルスじゃなくて。@LitoSnowfield
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posted at 15:38:10
書くな読むな直感の方が正しいぞ、しかし瞑想(内省)するな、それは直感じゃないぞ、といった程度の日常的な教訓だけが、厳然とあるだけなのだが、書いたり読んだりが介在しちゃうから、エクリチュールとかね。だから聖書の民はだめなのだ。仏教徒はもっとだめだが。@LitoSnowfield
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posted at 15:36:19
そのあたりは、マルレーヌザラデル『ハイデガーとヘブライの遺産』のレヴィナス批判からデリダ批判で事足りるね。フーコディアンから批判があるみたいだが、取るに足らない。@LitoSnowfield あ〜(*^o^)> <旧訳由来
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posted at 15:34:14
ハイデガーが全集的に読まれ始めた70年代まではフランスあたりが大混乱してたわけだしね。脱構築なんてそうした混乱の異名みたいなとこあるんだろ。@LitoSnowfield まるで迷路の隠し扉のようです
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posted at 15:27:24
これがうまくいえないのだよー。まさに国語の問題だ。柄谷はわかってないっぽいが、東辺りうすうすきづいて、トリッキーな方に往くね。@LitoSnowfield これを説明しろと言われても困りますね〜
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posted at 15:25:53
そうなんじゃないの? 西田も前期で大混乱してるからね。それは何が問題なのか分からず苦闘しているのだから仕方がない。それが後期で払拭されているのだろうが、誰も相手にしない。あれは悲劇なんだろうね。@LitoSnowfield 最後の西田さんを省いた感じ?
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posted at 15:23:30
だから、書くな読むな、なのだ。そして書いたり読んだりするなら、ハイデガーやその読者のように、予め前提された直感に対して、相対的に、つまり分かっている地点から、分かっていない事柄を現象学しろ、ということにしかならない。@LitoSnowfield
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posted at 15:20:36
フロイトでは転移だけで治癒もさせられないだろう。独我論では治癒しないのだよ。ここで非独我論的というのは、神は観念ではなく、時間に身を委ねるような、そういう内省からの解放のことなので、まあ彼らは死んでも治らないだろう。@LitoSnowfield
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posted at 15:18:46
そうだろうと思う。あの二人にはフロイトの超自我もない気がする。単純にデカルト的神要請に退却していることになってしまう。つまり、深層心理学ではなく現象学だ、というのが表明できていない。@LitoSnowfield 最後の西田さんを省いた感じ?
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posted at 15:17:07
存在と時間がカント書で時間=歴史となり、転回する、というのは定説なのだが、そうではないところをホッ繰り返して、存在と時間が歴史とならなかった地点を探り当て、右往左往する。フロイトの神を神というために。あの二人はだめだ。@LitoSnowfield
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posted at 15:13:59
東は博論で後期までのハイデガーを散発的に引用するが、ハイデガーの転回までの前期の理路、つまり内的必然性という問題を捉えていない。ハイデガーを存在と時間で破綻したものと捉えている。それではカントの破綻が読めてないことになる。そういう堂々巡りに陥ってる。@LitoSnowfield
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posted at 15:12:21
内省(考えこむこと)か、直感かというと、柄谷は拾い読みの直感を内省にするから、トランスクリティークで、ハイデガーがカントの想像力なんていうから、ハイデガーが端的に斥けたフロイトの他者、つまり神が分からない、というカルト紛いな内省を披露する。瞑想するな。@LitoSnowfield
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posted at 15:09:58
ちなみに、みんなそこで蹴躓く。東が博論で躓いたのも権利問題のその一点。しかも後書きで破綻を認め、インタビューで表明的に追認しただけで、何もない。柄谷行人に至っては永遠とそれしかない。ハイデガーをいい加減に読むと、このようになるという手本のようなもの。@LitoSnowfield
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posted at 14:48:09
ハイデガーは新カント派に、いい加減な読み手というレッテルを、逃げ場のないほど貼り付けていく。妥当性とか権利問題と捉える彼らを馬鹿にしまくるよ。あれだけ馬鹿にされればヤケになるよ。@LitoSnowfield pic.twitter.com/QhUvjpjgDt
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posted at 14:42:00
そうそう、あんなかんじ。だいたい、音楽でも読解でも、できないとかよめないというのは、とりもなおさず、いい加減の別名だからね。(^-^)/ @LitoSnowfield 大本さんの耳コピ譜面のおそるべく厳密さを思い出しました
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posted at 14:40:31
しかし何があるかというと、みんないい加減に読んでしまうところを、これでもかと厳密に読み倒してるだけのこと。いい加減だからわかりづらいのだが、あまりにも読み倒すもので、あまりに端的に、おお、なんだそれか、というのが去来してしまう。あれは天才的読解だ。@LitoSnowfield
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posted at 14:35:30
講義だが、どんだけ準備するんだろうね。しかし処理能力ではなく直感だろうね。この問題、聴いてる側も予め解ってるでしょ? その解ってることに対して、分からないこととは何か?という話し方をしてるからね。@LitoSnowfield さすが語源で鍛えたハイデガーさん <パズルを解いた
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posted at 14:32:05
ハイデガーがジグソーパズル全部うめちゃった状態ね。そうすると、神という最高の範疇がなくても、直感の形式である時間だけで、思考が完結することが証明されたことになってしまうのだ。つまりデカルトのコギト以来の問題、デカルト的問題はもうない。@LitoSnowfield
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posted at 14:28:23
つまり、純理前半のややこしい構成、それ自体をハイデガーはカントの動揺、転回からの退却として読解してしまうのだ。ヘーゲルだけが、こうした読みができていたのだが、これまた誤解されてしまう。それを誤解の余地無き読解に導く。そういうのはヘーゲルにはない。@LitoSnowfield
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posted at 14:24:42
ハイデガーが天才的に読解できるのも、カントがややこしい書き方をするからなのだが、カントも純理後半は、有名な二律背反の弁証論になる。しかし前半部が問題なので、いわゆる弁証法止揚の口当たりの良さはなく、荒削りな、往きつ戻りつする読みづらい文がある。@LitoSnowfield
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posted at 14:21:34
そうそう、ハイデガーは読解してるからね。天才的な読解。私など単に分かりづらい読解ぐらいしか与えられない。はっきりいって直球で要約した斎藤氏より、ハイデガーの語り自体のほうが万倍分かりやすく感じられるはず。@LitoSnowfield カント講義嫁嫁
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posted at 14:18:25
カントは範疇のいわば前提となる時間と空間をとりだすのだ。それを直感=超越論的感性論というのだよ。というか私の説明は撞着的。ハイデガーの方が遥かにわかりやすい。それ以外は糞みたいなもの。だから戦争になったりする。馬鹿なのだ。@LitoSnowfield
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posted at 14:14:55
そうそう。人間が内省してもわからないような、人間の思考能力という超越の話なのだが、カテゴリーだけなら最高の神が観念として要請されてしまう。つまり退却。内省では遡行ではなく退却になるんだろう。@LitoSnowfield 様相があるためにも先ず時間と空間
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posted at 14:12:54
乱暴に言ってあげれば、因果は単なるカテゴリーなのだ。しかしだからこそ時間と空間という一性が因果のような様相性と峻別できる。つまりあるのは因果と時間が違うということなのだ。様相があるためにも時間(時空)が前提されなければならない。因果は時空が生むのだ。@LitoSnowfield
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posted at 14:10:22
高峯訳の純粋理性批判、ハイデガーカント講義書後半がテクスト論となる、概念の分析論の第二章純粋悟性概念の演繹についての、第一版と第二版を比較している辺り @LitoSnowfield 先ほどのスキャンはどこからですか(*^o^)?
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posted at 14:06:28
それがハイデガー以降、学的存在論に唯一残された命題、内的必然性ということなのだ。端的に、カントが構想力は時間であるとか、時間は構想力である、と述定しなかったこと、それは必然的にできなかったことなのか、ということを見極めることを内的必然性の問題という。@LitoSnowfield
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posted at 14:01:56
カントは第二版で構想力をごっそり削除するのだが、ハイデガーが講義書で立論的なのは、ここに明確な、「構想力は時間である」という趣旨がなく、曖昧さがあるために、カントが削除せざるを得なくなった、つまり内的必然性としての時間の削除が起こった、という論証。@LitoSnowfield
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posted at 13:59:27
これでやっと、神という観念がなくても、思考が完結できるようになったのだ。これはおそらく歴史的にも人類初。カントが第二版で削除した第一版の叙述をよんでみればいい。これがいわばボツ原稿。@LitoSnowfield pic.twitter.com/NES2HleR0e
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posted at 13:54:53
問題なのは、第一版でカントはそれ(因果が前提する時間)を超越論的構想力(想像力)と言いそうになったのに、第二版でそこから退却してしまうのだ。それをはじめて退却として位置づけて、構想力の時間性に連れ戻したのがハイデガーなんだよ。@LitoSnowfield
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posted at 13:51:03
平たく言えばだが、カントの発見があるとすれば、それは一なる神が原因(カテゴリー)でなくても、一性を直感する内的必然性を垣間見た、ということなんだよ。観念ではなく、直感に一性が備わった(宿った)状態なのだ。超越論的感性論参照ね。それはカントまでない。@LitoSnowfield
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posted at 13:49:07
コギトエルゴスムだと神が観念的に要請されるだけ、という相対化がスピノザの通用問題だが、柄谷も執着するスピノザのエゴサムコギタンスでも、神が一なる原因だから、因果が前提する時間に言及できないんだよ。@LitoSnowfield pic.twitter.com/TDkvwFrQ2k
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posted at 13:38:02
結局、スピノザの方法で汎神論にいっただけなのだ、カント的な転回は、当然スピノザにはないからね。問題はカント的転回でもカント的に退却しちゃう。転回をカント的に取り出したのはカントではなくハイデガーなのだよ。フッサールありきだが、フッサールはできなかった。@LitoSnowfield
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posted at 13:29:53
ハイデガーを全集的に読まないと、内的必然性ということがとらえられないので、フッサールがわからないリアンどころか、カントが新カント派に退却してしまい、くらーーーくなるね。ハイデガーはそれを(カントの)暗さというのだが。みんな根暗が好きだからねー。@LitoSnowfield
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posted at 13:27:20
あれはドゥルージアン。というよりフーコーでハイデガーを回避してるね。フッサールがわからなくナリアンじゃない? だいたいスピノザレベルだから。ww(^-^)/ @LitoSnowfield 國分さんはフッサーリアンじゃないのですか(・o・)?
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posted at 13:24:04
なぜか、國分さんがそれするタイプではある。しかし、斎藤氏はハイデガーという喉元をおさえてるから、虚勢が全く感じられない。いかにハイデガーが現代の原典になっているか、というのを如実に示している。@LitoSnowfield まぁ…ファンの末席ということで
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posted at 13:22:07
ヘビー読者だからね。いやそういうことをする人ではない。読者を大切にするというばかりか、たっぷりしている。そこが重要。@LitoSnowfield メッセージを添えましたが華麗にスルーされたりして〜(*^o^)>あはは
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posted at 13:19:38
以下、昨日のLINEチャット転載は、リトさんのはRT、私のはナマのツイートにする。RT @LitoSnowfield 斎藤さんへ友達申請しちゃいました(*^o^)>あはは
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posted at 13:18:14
LINE 友人限定をシェアして全員向けに投稿すると非公開扱いになるね。再投稿しといたよ。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @LitoSnowfield
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posted at 13:16:17
LINEより、RT 2015.05.26 15:53 @LitoSnowfield FBでの斎藤さんの紹介記事削除なさいましたか(・o・)? www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 13:15:07
新カント派やフロイディアンの言うような「心的」では抵抗のような否認しか内省できず、柄谷のいい加減なアンチハイデガーでは、フロイト的な昇華も起こらない。では以下、非心的漫才の転載。@LitoSnowfield
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posted at 13:13:33
そのとおり、カント書へ至る道というのは、新カント派~フロイト的な我汝関係を独我論として斥ける道なので、我汝関係を内省の延長としたり、心的と言われる無意識の機序を問題にすること自体が、世界入場を妨害してしまう。あるのは言挙げする漫才ぐらいだ。@LitoSnowfield
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posted at 13:03:30
ハイデガーは新カント派の「権利問題」も「コペルニクス的転回」も単なるスローガンに過ぎないと繰り返すのだが、GA25読解の漫才の転載の前によいスローガンを思いついた。曰く、内省で遡行するな。そんな飛躍では売れてしまうぞ。売れる前に超越しろ! @LitoSnowfield
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posted at 12:56:10
全部再アップしたよ。一文字違いでエライことになる。だから聖書に頼る連中はだめだ。バグで生きてるようなものだ。ちなみにさっきアップしたカント講義書は342-3ページだが、以下世界標準の独語全集ページ数にする。創文社版は上部にある。GA25-338-9.@LitoSnowfield
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posted at 12:39:49
つまり単純に省察するな、独りで考えるな、独白するな、ということなのだが、それでリトさんとの最近のLINEチャットではこうした漫才になる。言い当てられた現象がまた非常に的確なのも、クローズドだからというより漫才だからだろう。また抜粋して転載してみるか。@LitoSnowfield
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posted at 12:33:01
内省(省察)で言い当てられない現象が、漫才なら言い当てられる、という半田さんは面白い。言挙げによる眼前化が、現象の眼前化を追い抜くこと。この超越が言挙げ自体の能力に備わること。現象が言い当てられること。たしかに、漫才の方が好都合なのかもしれない。@LitoSnowfield
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posted at 12:32:29
企投というのは、現象という眼前的でないものを眼前化すること、つまり現象の言挙げ。ハイデガーのカント講義書~カント書で、ハイデガーがカントを読解できるのは、誰でも被投していることを企投しようとしているから。@LitoSnowfield pic.twitter.com/IdvdUXA8ER
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posted at 12:31:41
半田さん、いいなー。ボケとツッコミといっている。うまい漫才なのかという趣味判断はよくわからないが、漫才でしか言えないことがある。問題は表明=企投できるかだから、被投は漫才的にしか企投できない。twitter.com/kohsen/status/... @LitoSnowfield
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posted at 12:30:18
ね、半田さんもいっている、肉体ではないと。眼が肉眼でないのは、時空の中ではなく、因果が前提とする時間というように、神が一者ではなくなることだから、世界の中に留まることで、当然、物質的な心のことでもないね。twitter.com/kohsen/status/... @LitoSnowfield
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posted at 12:29:36
おっと、根本的なタイポをしてしまったので、もう一度連投し直す。「因果を前提とする時間」ではなく、因果のような様相が前提とする時間だった、タイポ一つで正反対になってしまう。聖書など書くものではい。読み書きはバグだらけ。書くな、読むな! pic.twitter.com/15DIZBr4QX
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posted at 12:28:03