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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2015年06月11日
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2015年06月11日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ヘーゲルだと自由は意識。フッサーリアンだと時間は自我と言いかねず、自己が時間だと断言するとカント書的ね。それが撞着に見えると、他者との無意識という柄谷さんみたいな言い方になるのだろうが、他者に時間はわからない。twitter.com/Hegelbot/statu... @J_J_Kant

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posted at 23:54:42

Hegel @Hegelbot

15年6月11日

精神が自己の自由を認識していない場合、精神は奴隷状態に満足している奴隷の立場にあり、自らの状態が相応しくない事を認識しない。精神はたとえ即自的かつ対自的に常に自由であるとはいえ、精神を自由にするのは自由の感覚(意識)である。

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posted at 23:45:20

非公開

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中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@BeTakada ぼくはハイデガーは全く読んでいないので、先程の議論はぼく自身が勝手に考えて勝手に納得したことで、ハイデガーについては大本さんに聞いてください。ただ、ぼくの理解では、時間というのはそのような四次元目の座標軸ではないようです。

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posted at 22:24:38

非公開

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

この印象継起では時間でなく写真も動画も事象ではないという話は、たとえばハイデガーが問題にするカントの3つの綜合の内、カントでは再生だけに時間が割り当てられているが実は違った、という程度の問題です。GA25-365 @J_J_Kant pic.twitter.com/UkU5zRBa3U

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posted at 18:35:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

それこそ、江戸儒学の素読吟味の方法で、現代文の素読を計測する、日本の国語入試では、印象派どころか写真も動画も事象ではないという評論文は、素読の測定に使いやすいですからね。@J_J_Kant 確かに入試にはよく出ますね。分かんなくても答えは出るけど(^^)

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posted at 18:31:37

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 確かに入試にはよく出ますね。分かんなくても答えは出るけど(^^)

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posted at 18:27:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そうですね。印象派は時間に対する最後の西欧的な足掻きですね。しかし、写真も動画も、時間という事象そのものではなかった。なんか入試国語頻出文みたいだな。@J_J_Kant 言葉ではないですが、印象派の画家が時間を一枚の絵に込めようとしたのは果敢な挑戦か、虚しい抵抗か

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posted at 18:23:58

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 確かに。言葉ではないですが、印象派の画家が時間を一枚の絵に込めようとしたのは果敢な挑戦か、虚しい抵抗か(^^)

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posted at 17:48:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そうなんですよ、鈍くさいからどんどん追い越されてます(^-^)/ @J_J_Kant それはそうでしょうね。アッ、と言葉を発してる間も世界は動きを止めないのだから。言葉は立ち去る世界にすがりつき引きとどめようとするけれど、言葉が発せられたときには世界はもう先へ行ってしまっている。

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posted at 17:43:56

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri それはそうでしょうね。アッ、と言葉を発してる間も世界は動きを止めないのだから。言葉は立ち去る世界にすがりつき引きとどめようとするけれど、言葉が発せられたときには世界はもう先へ行ってしまっている。

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posted at 17:42:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

今、外を見下ろしていたら、上空をつばめが横切っていったんですが、シャッターチャンス間に合わなかったんです。つばめさんと声をかけたらちょっと減速してくれたんですが。つまり動態には静態的な言語表現が追いつかない、そういう時間観なんでしょう。@J_J_Kant

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posted at 17:37:37

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri なるほどね。時間というとらえどころのないものが見えてきました。私にとっての時間というものは客観的・対象的に存在するのではなく、あくまで私の動きによってその都度生まれてその都度消えて行くものなのですね。それがカイロスですかね。

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posted at 17:32:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そうですね。静態的には捉えられない動態ですね。ハイデガーは言語は動態しか捉えられない、という言い方をしたいようですが。@J_J_Kant 気分というのは「動き」ですね。

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posted at 17:20:33

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 気分というのは「動き」ですね。

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posted at 17:19:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

時間の脱自性というのは、非時間的な反省(いわゆる近代的な自我観)では、自己を客体化するだけで、気分としての自己存在に忠実ではない、といったようなものなのでしょう。@J_J_Kant 時間というものが自己(の脱自態)というのはそういう意味かと

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posted at 17:17:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ギリシャにはクロノスとカイロスが包括的にあったのに、キリスト教がクロノロジックすぎた。それを転回するというのがハイデガーの時間論的転回のようですね。カイロスというのは瞬間とか臨機とか訳されるそうですが。単なる刹那とも思えない。@J_J_Kant

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posted at 17:16:03

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri そこから時間も生まれるのですね。時間というものが自己(の脱自態)というのはそういう意味かと理解します。

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posted at 17:10:27

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 分かってきました。我々は時間というと時計をイメージするので時間を動くもの流れるものと考えやすいが、時間は動きませんね。動くのは我々の方で我々が動くから時間が生じるのですね。もし我々が完全に動きを止めれば時間は消え手なくなります。宇宙は動いているので、

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posted at 17:07:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

たとえば、ロボットが高速処理で印象の時間的継起から、時間意識が芽生えたとする。しかしそれが本当に気分として自覚されてるかは、外部からは分からない。感情ならプログラムできるが、気分はプログラムできない、といったらよいか。気分は心理主義を批判する用語です。@J_J_Kant

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posted at 16:58:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ここから、ハイデガーより乱暴に付会すると、自己に気分があるのは、自己の外部に遷ろう時間があって、それが気分の原因になるのではなく、遷ろいも含め時間の全てが自己に本有されているからだ、という話になる。その気分を外部から覗きこむことができないんです。@J_J_Kant

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posted at 16:54:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ハイデガーのように言い方を変えると、自己の気分は否定出来ない、という話です。他人が嫌がってるのかどうか、は独断しかできない。これがドグマです。だから気分は今まで語られたことがなかった。おそらく時間は気分の出処のことで、自己の気分は否定出来ない、という話です。@J_J_Kant

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posted at 16:51:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そうらしいです。私もうまく語れない。ハイデガーもうまく語れてるかどうかは疑わしい。ハイデガーが言えたのはせいぜい、自己はカントの言う自発性ではなく時間だ、ということぐらいですから。@J_J_Kant 進むのは時間ではないのか。

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posted at 16:33:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

それが日本人的で、それだと曇るんです。たしかに時間は絶対的だが、自己が時間であることで、いわば歴史が動くんです。それは外在的に歴史に支配されることとは全く異なる。主観が単なる自発性でなく時間的だという言表は、時間が人間の想像力の源だ、という話です。@J_J_Kant

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posted at 16:31:35

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 進むのは時間ではないのか。

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posted at 16:25:57

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri なるほど。つまり時間とは世界を成り立たせている与件であって、何一つ変わることなく、一様に自己を支配し続けるものだというように時間をとらえる、もっと簡単に言えば時間をあるがままにとらえる、ということですかね。泣いても笑っても時間(歴史)は進むと。

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posted at 16:23:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

もっと単純で、カントは神ではなく時間を絶対的(一性)と言えたのだが、ハイデガーはカントが時間を主観と言い切れず、神に退却していると批判しているのです。つまり、時間は自分の周りで遷ろう変状ではない、ということです。@J_J_Kant

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posted at 16:06:05

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 遷ろわない時間というのは、絶対的・直進的・不可逆的時間というように理解していいのですか? 丸山が指摘するのは東洋思想にはそのような時間と対峙する契機が欠けていると。

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posted at 15:58:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

おそらく、時間は遷ろわない(変状ではない)、だから因果からの解脱があるというのを、日本では「無時間的」と概念化している気がする。それに対して、いわば無因果的という概念が生じているということに気づけないと、いわば時間が遷ろってしまって、因果から解脱する前に死ぬ。@J_J_Kant

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posted at 14:57:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ブッディズムでは、こういう時間観は、時間の遷ろい・変化・変状ではなく、因果からの解脱でしょうが、時間が因果の前提だというテーゼが、中途半端な西欧化で混乱し覚束なくなっただけでしょう。因果の輪に囚えられた状態というか。しかし解脱が難しいとも思えない。@J_J_Kant

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posted at 14:40:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

いわば西欧から欠陥品を輸入して咀嚼が覚束いていない。そんな滞りでしょう。アメリカと親近感を抱くのも、アメリカも単純に、こうした時間概念の問題、イギリス経験論によるデカルト的な神観念の要請という問題を克服する知力が、芽生えなかっただけですから、似たもの同士です。@J_J_Kant

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posted at 14:24:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

というより、私達にはハイデガーの語り方に、むしろ拙さをみている。つまり問題意識は私達の方がよほど先鋭的なんです。しかしその実、昨日の丸山眞男のように、カントによる時間という問題提起を、ハイデガーのようには捉えていない。そこに日本独自の大きな問題があるんでしょう。@J_J_Kant

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posted at 14:14:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

私達は西欧化で魂を抜かれた式に被害妄想するのだが、昨日の丸山眞男の時間概念の話ではないが、やはり端的に時間概念、ハイデガーのようにカントを解釈できない何かが日本側に独自に蔓延っていた、という一点に尽きるでしょう。それをハイデガーのようにうまく語れないのだが。@J_J_Kant

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posted at 14:08:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

今日は廣松渉の仏教的な話から私ははじめて、丸山真男の非仏教的な話に帰結するまで、多岐にわたったので眠いですな。またぞろよく眠れそう(^-^)/ @J_J_Kant ハイデガーはまだ全然理解できていないので今後の課題です。丸山との繋がりは興味深いですね。まあ、今日はこの辺で(^^;

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posted at 02:55:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

おそらく、日本で時間を遷ろいにするものは、儒学という庶民をドグマから開放する教育の思想を、明治の江戸国学の権力化のような喧騒の中で喪失した時、人々が仏教的な儚さの生命観に救いを求めたからだと思っています。だから日本では歴史が問題化してしまうんでしょう。@J_J_Kant

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posted at 02:17:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

日本のポストモダンは単なるアンチハイデガーです。丸山眞男がいうような、時間を遷ろうものと捉え、偽史修正主義という本来SFの手法を、真に受けるものです。ハイデガーでは時間は概念の中心なので、遷ろうものは時間以外の全てなんですが、日本では時間が遷ろうんです。@J_J_Kant

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posted at 02:09:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

しかし、じつはこれも非常に端的な話で、ドイツ人は時間を歴史にできたのに対して、日本では丸山眞男が言うように、歴史化する時間概念が無いため、神話に回帰してしまう。これはそれこそ、ハイデガーが直接取り組んでいる現象学の主題そのものですね。@J_J_Kant

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posted at 02:00:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そんなことないですよ。ドグマからの脱却というのは、さっきたまたま丸山眞男
twitter.com/maruyama_note/... をRTしたが、ドイツ人にできて日本人にできなかった歴史の問題です。明治国学が江戸儒学を抑圧した結果、これが失われただけなら取り戻せばいい。@J_J_Kant

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posted at 01:41:54

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