大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年07月07日(火)
その前頁までは、非対象性とは無、想念ではなく、物のアプリオリが空間で、現象のアプリオリが時間だ、という箇所。物なのか価値なのかで言うとしたら、物は時間を根源規定とすれば価値になる、ということでしょうかね。bit.ly/1LNYNV7 @yasuhirochiba
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posted at 00:43:43
価値形態が手許性から時間として解明される様は興味深いのだが、安冨さんのフレーム問題の話題では、ちょうどその節が、形式とは規定であり、それがフレームだが、根源的には時間が現象の規定となる、という箇所でしたね。@yasuhirochiba pic.twitter.com/32ljic63tH
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posted at 01:11:32
補うと、ここで重要なのが、無と非の違いなのかもしれませんね。カントではさして問題にならないことが、ハイデガーの邦訳では、無なのか非なのか、規定や地平は対象の無性なのか非性なのか、というのが枢軸になる。twitter.com/sunamajiri/sta... @yasuhirochiba
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posted at 12:58:16
カントの三種の綜合(演繹論)に時間の規定性を認め、続くカントの図式論の超越論的時間規定に地平性(非眼前的時間)を取り戻すことが語られるのだが、この地平性が対象性(自然)の無なのか非なのか、といった。@yasuhirochiba pic.twitter.com/wOT1gnksI4
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posted at 13:00:42
冒頭の twitter.com/sunamajiri/sta... にある、ニヒリズムの克服の問題、自分はいずれ死ぬが自然は存続する、という極当たり前だが、カントが語れなかったことというのは、仰るような価値形態論とどう関係しているのか、興味深いところですね。@yasuhirochiba
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posted at 13:05:09
不滅の話をされてるからね。カントのように時間を眼前の不滅性としてしまうと、時間を地平とする脱自が抑止される。それで眼前の自然が歪むと、おそらく価値も最大化しない、といった話をしてるんでしょうからね。twitter.com/sunamajiri/sta... @yasuhirochiba
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posted at 14:16:33