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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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Favolog ホーム » @sunamajiri » 2015年09月05日
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2015年09月05日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

少なくとも、カントが証明したように、超越論性(時間を規定とする地平)だけが、こうした換喩の問題、真なる言葉は常に書き換えられる、という現象を明らかにしたために、その後の西欧人が太古の釈迦の言葉を模索してしまった弊害があるのかもしれない。あれは不幸だ。@LitoSnowfield

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posted at 11:57:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

ちょっと敷衍。このように何度やってもQEDになる、他者性がないという西欧文明の問題が、明治以来、日本では人間とは何かという他者問題になってしまう。聖書は常に換喩的に書き換えられることで真だが、釈迦の言葉は書き換えられると歪むからなのかは分からない。@LitoSnowfield

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posted at 11:53:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

これによってプリオリテート(アプリオリの他者性、つまり神)が、テンポラリテート(霊魂という時間規定の超越論性)に回収されて、心身問題のようなハードプロブレムは解決されたのだ。Q.E.D (^-^)/ @LitoSnowfield

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posted at 09:43:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

批判哲学や超越論は、誤謬を明らかにするための現象学的な純粋論理なのだが、ここで唯一誤謬とされるのは、他者性なのだ。他者という何らかな対象は、時間という非対象によって、アプリオリに超越されているのだ。それを他者の問題とする誤謬が、斥けられるのだ。@LitoSnowfield

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posted at 09:41:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

ちなみに、「純粋時間」といま言ったのは私の造語なのだが、いずれにせよ、カントの時間規定、デカルトのコギト、アリストテレスの規定としての霊魂を、自他性や他者の問題と誤謬することで、神は人の模造にすぎないという疎外論、あるいは無神論が派生してしまうのだ。@LitoSnowfield

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posted at 09:37:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

ハイデガーで言えば、時間規定とは、対象関係(対象化すること)の規則を規定する範疇であるだけなので、霊魂というアリストテレス的な規定は、デカルト的なコギトを対象化させない純粋時間ということになるのだ。だからこそ、これは自他性という問題を孕まないのだ。@LitoSnowfield

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posted at 09:31:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

カントが三種の綜合(想起、再認、概念)を図式論とする超越論的時間規定とは、ハイデガーが言うように、霊魂というアリストテレスの規定は自我のように眼前に対象化させる規定ではなく、単純に時間の規定であるということ。霊魂は自我を対象化させない概念の規定なのだ。@LitoSnowfield

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posted at 09:28:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

この死力=単純実体(モナド)として潜勢するのではない、活力としての超越論的統覚が霊魂である、というカントの言い方は、ハイデガーで言えば、霊魂としての自我は眼前の実体として対象化できない、という対象関係の時間関係への超越論性になるというだけなのだ。@LitoSnowfield

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posted at 09:07:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

菊池健三に戻ると、こうした規定としての霊魂=統覚の超越論性を、死力やモナドとして、霊魂を単純実体化するライプニッツ~ヴォルフによる形而上学の近代化を、ニュートン力学を比喩として扱うことで、魂の活力化とするのが、カントの動力学なる外延というもの。@LitoSnowfield

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posted at 09:07:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

隠者さんが超越論がわからない twitter.com/inja650rr/stat... という。それは霊魂は身体のような実体ではなく統覚のことだ、というカントの超越論を誤解した、霊魂は実体だというロマン主義から、その後の思想的バイアスの反照でしかない。@LitoSnowfield

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posted at 08:52:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月5日

神は人の模造だという疎外論の類も、霊魂という規定が身体のような実体だ、という誤解から派生しただけね。カントは生涯の形而上学講義で、脳の解剖学の話ばかりして、どこにも霊魂の実体なんかないじゃないか。だから超越論的統覚は霊魂だという。それが純粋理性批判。@LitoSnowfield

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posted at 08:47:35

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