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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2015年09月22日
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2015年09月22日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

それで、触れられない他我の話をするんですね。先ほど twitter.com/J_J_Kant/statu... とあったが、ハイデガーはヘーゲルを、無限の今連続という非本来的な終末論(通俗時間)として退け、時間は規定された将来を持つ開かれた今の自由だ、と議論するんです。@J_J_Kant

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posted at 02:28:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

その点で、ハイデガーはカント~ヘーゲルの時間を、終末論や通俗的時間、人間に死が訪れない(つまり魂が不滅であるような)、非本来的な時間の無限性として退け(死んでからも時間があり続ける)、つねに将来から不可逆に今の自由を開闢するもの、として時間を規定し直すんです。@J_J_Kant

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posted at 02:30:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

ヘーゲルが語りえないものを饒舌に語るのは、時間が非本来的だから、というのがハイデガーのいう時間規定です。ヘーゲルの時間では、自我が死んでも時間は他我と共に永続するんです(霊魂の不滅)。しかしそうした非本来の時間の中に、自我にとっての今はないのです。@J_J_Kant

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posted at 02:36:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

このあたり、土屋さんのこれがかいつまんでいるかも。ハイデガーにとってはヘーゲルとは通俗的時間規定、つまり非本来的なお喋りなのです。www46.atpages.jp/mzprometheus/p... ハイデガーの『存在と時間』第82節の方が読みやすいはずですが。@J_J_Kant

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posted at 02:39:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

ハイデガーが主著でいう死の決意性というのは、死を前提にしければ、時間はいわば自我化せず、ハイデガーは世界時間というのだが、死後も世界は永続してしまうからです。カント書からメタ存在論への転回以後、決意性が削られるというのは、時間が規定され直したからでしょう。@J_J_Kant

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posted at 03:00:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

時間が自他に共通で永続的であるならば、それは魂の不滅のように非本来的な語りなのです。それでは時間は常に過ぎ去る決定された過去にすぎない。そうではなく時間が常に将来だと規定し直すと、それは死によって終わる有限な時間を常に先駆しながら今の自由を得ることになるのです。@J_J_Kant

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posted at 03:03:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

ヘーゲルの自然哲学が通俗的時間規定なのは、おそらくカントの時間規定が、動力学的には霊魂の不滅を語っているからです。しかしカントには時間という規定がある。ハイデガーはそれを純粋時間規定にしようとしている。だから他我という通俗的時間規定は問題外とされるのでしょう。@J_J_Kant

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posted at 03:07:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

死というのは、むしろ具体的に、時間が終わる有限な将来のことで、世界時間という永続的時間の終末を意味せず、また終末論から自由な今を保証する時間規定ということです。それによってはじめて現在が立ち現れるという。それが自由という、そんな話のようですよ。@J_J_Kant

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posted at 03:11:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

面白いことに、ハイデガーに倣って、こう規定しなおして、再読(存在と時間の81-82節)してみると、読みづらさではヘーゲルやカントの方が遥かに上で、また、このことを論じた注解より、ハイデガーの本文の方が極めて素直で読みやすい文体に思えてくるのが不思議なのです。@J_J_Kant

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posted at 03:17:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

日本語としてもごく自然な文が並んでるようにみてしまう。たまたまいまは高田訳でそこを再読して、逐語的だからか非常に読みづらい熊野訳で再読してませんが、おそらくそれでも日本語として自然に見えてくるのではないかと予感されるほどです。@J_J_Kant

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posted at 03:19:52

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年9月22日

@sunamajiri なるほど。その話を聞いて、ぼくは渋谷駅の埼京線ホームへ続く動く歩道(東京駅の京葉線ホームでもいいですが(^^;)を思い浮かべました。通俗的時間論は人は生まれると時間という動く歩道に乗って運ばれ、死ぬときにそこから降りるというイメージですね。自分が死んでも

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posted at 14:06:46

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年9月22日

@sunamajiri 動く歩道は永久に一定の速さで動き続ける。それは私という主体とは全く関係なく、私は動いているのではなく動かされているだけ。それに対してハイデガーの時間はその横を自分の足で歩いて進む人のようなイメージですね。止まるも進むも早くもゆっくりも自分で開くものである。

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posted at 14:12:37

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年9月22日

@sunamajiri ただ、過去へと後退だけは出来ない(退行はできるか)、厳密な意味で停止することも出来ない(それは死である)ということでしょうか。

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posted at 14:19:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

動く歩道の時間では、死後も変わりなく他我に時間が継承されるが、自我にとってはそんなことは知ったことではないという。永久時間では過去が決定的で、自分の足で歩こうにも、どの足から歩き始めていいのかもわからない。そういう仮象の停止が想定されている。よい喩えですね。@J_J_Kant

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posted at 14:20:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

今は常に過去で、将来は常に今だ(未だ)という時間の不可逆を、永遠時間と誤解すると、過去に決定された因果律になってしまう。そこで、今は停止ではなく、今とは将来のことだというのがハイデガー。これは~ @J_J_Kant

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posted at 14:32:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

これは、デカルトの解析学に対して、ライプニッツが自由運動を死力を前提に積分するのに対して、カントが動力学的に活力を前提した、形而上学的な問題なのです。そのあたりは、菊池健三『カントと動力学の問題』の冒頭の自然哲学(反自由)の問題です。@J_J_Kant

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posted at 14:33:45

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年9月22日

@sunamajiri そうですね。ただ、将来人間の知がさらに進んで宇宙の全物理化学的組成や機序が解明されたらすべては因果律に拘束されてしまうかもしれない。その日が来ないことを願うばかりです(^^)

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posted at 14:37:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

ハイデガーの主著の破綻は、カントを永久時間(無限時間)として読むヘーゲルの批判が、十分に規定の問題を純粋化できていない、というその後のカント書で解消する問題なのです。これで存在論はメタ化する。語りえないものをヘーゲル以上に正当に語れるようになるのです。@J_J_Kant

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posted at 14:40:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

ハイデガーのようなヘーゲル批判 twitter.com/sunamajiri/sta... (永久時間としての他我ということに対する超越論的批判)というのは、まさにそうした決定論的な未来を排除して、自由な未来という現象を規定しているのです。@J_J_Kant

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posted at 14:43:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

ちょっと霊感注解しておくと、これでヘーゲルのような疎外論の神の問題(神は人間の似姿だ)という問題が一蹴されているのでしょう。カントではトヘン(一性)は永久時間なのですが、時間は将来のことだという(超越論の)再規定によって、むしろ純粋な神性が出現してるのです。@J_J_Kant

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posted at 15:07:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

カント~ヘーゲルも、デカルトの要請を受けて、そのように決定論を排除する自由が則る規定を模索しているが、神を人の似姿にしてしまっている。twitter.com/sunamajiri/sta... それは自由の規定の誤謬推論だというのが、ハイデガーのメタ存在論なんだと思います。@J_J_Kant

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posted at 15:11:08

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年9月22日

@sunamajiri やはり西洋人はそこまでしても神を否定できなかったんですね。我々には及びもつかない(^^;

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posted at 15:19:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

表音文字ではバベルの塔になるから神を殺せない。漢字は音声の異なる民族を統一する神殺しの文字、人治の道具です。日本人は漢民族ではないので、西欧の神も、神殺しをする表意文字も使い分けられるので、端的に自由なのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant

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posted at 15:29:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

ここで声と文字という現代の問題になるのだが、漢民族は音声の差異を、表意文字で統治するので、神を殺すんです。そらく音声の差異が殺される神です。対する西欧人が音声をどう統一したかというと、ドイツ哲学以来音楽なんです。@J_J_Kant twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 15:39:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

それゆえ、このハイデガーの永遠という過去の決定論が時間の規定ではなく、将来への自由が時間の規定だという話を、音楽家はすぐに理解するんです。昨夜のやりとりをみて、リトさんがLINEに次のように書いているんです。@J_J_Kant

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posted at 15:40:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

LINE RT @LitoSnowfield 以前にお話ししたジャズのラインで未来が原因で今があり自由である…ということですね〜(*^o^)/ @J_J_Kant

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posted at 15:41:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

これはどういうことかというと、音楽は終止形のように、将来から到来する動機だ、ということなんです。これが調性音楽という統一感のことなのだけれど、以前からお話しているように、日本では反調性音楽を目指すのが権威主義的音楽であるのが興味深いのです。@J_J_Kant

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posted at 15:42:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

文字と音声のどちらかを差異にして、どちらかに一性のような統一を布置しなければ、現象が起こらない。そこで、西欧人は音声の統一を音楽というのですが、日本では差異の戯れが音声的なのです。文字が表意・表音の両方を備えていると、戯れる自由が他になくなるのかもしれません。@J_J_Kant

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posted at 15:45:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

しかし、この無軌道な戯れによって、決定的に、将来というハイデガーの時間規定、つまり有限な死の決意性ということが保留され、非本来的な頽落した語りの戯れしかなくなり、結局は自由を謳歌できなくなっている。そういうこと(だけ)なのかもしれません。@J_J_Kant

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posted at 15:49:06

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年9月22日

@sunamajiri なるほど。音楽のいわゆるアドリブimprovisationというのは「予め用意されていない」という意味ですもんね。それは未来から今が逆規定されるんですね。それに対して日本の音楽はすでにprovideされたものの再現を目指すということなのでしょうか。

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posted at 16:09:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月22日

先行してあるのは未来(終止形のような着地先)で、過去が先行してあるのではない、というのがインプロビゼーションですよね。@J_J_Kant improvisationというのは「予め用意されていない」という意味ですもんね。それは未来から今が逆規定されるんですね。

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posted at 16:27:56

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