大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年10月01日(木)
そういう関連の仕方というより、漱石を本名に戻して葬るシーンからはじめたかったドラマという感じ。あまちゃんが三島の潮騒を葬りたいみたいなオマージュね。video.fc2.com/movie_search.p... @estei_st
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posted at 21:12:55
内田樹が今年『反知性主義の日本』で、柄谷によるセム語とアーリア語へのデカルト的懐疑の還元が、ハイデガーが批判した無時間性という問題を隠蔽し、それが反知性主義となっていると書いて、twitter.com/sunamajiri/sta... 野党が反知性主義と言い始めたのだ。@inja650rr
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posted at 20:08:11
ハイデガーの場合、スコラ学=ラテン語をドイツ語で解体するだけでなく、ドイツ語からギリシャ語に逝き、そこからラテン語を完全に撃退することなのだ。柄谷はこれをセム語からアーリア語を批判することにして、それをデカルト的懐疑と名付けるのだ(トラクリ)。さらに~ @inja650rr
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posted at 20:04:49
そう、ラテン語で書くのが憚られる思想を著してますよね。@inja650rr ラテン語はキリスト教と密接でした。だからこそ、ガリレイの異端審問を目の当たりにしたデカルトはラテン語ではなくフランス語で方法序説を著した。と僕は推理をします。
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posted at 19:50:20
しかし、ハイデガーが言いたいことは、デカルトが言ったことと、寸分違わず同じだ。ただそのデカルト的方法による危険性を、具体的に喚起しているように読める。方法的懐疑はそれだけある種の危険性を孕んでいるのだ。@inja650rr
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posted at 16:16:04
私がもしキリストの弟子のようにハイデガーに使えるような語り方をしているのなら、それはかつて彼を拒否した反省が語らせているのだ。たとえば、フロイトや柄谷を読みハイデガーを読まなかった、その愚かさを。取り返しがつかない人生の過ちとすら感じている。@inja650rr
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posted at 16:13:35
私はアンビバレントだから、ハイデガーに対してもニュートラルだが、カントもそうだったのだが、それ以上にハイデガーがキリストになりたがっているのがよく分かるのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @inja650rr
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posted at 16:11:41
前から言っているように現代の柄谷をはじめ、戦前の西田に到るまで、ハイデガーを払拭する話しかしない。以前、ゼノンのパラドックスの話になったが、彼らがハイデガーを払拭したいのは、ハイデガーが弁証法を取り除こうとしているからだ。@inja650rr
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posted at 16:09:18
まとめ直すと、空間を時間化するような止揚という、弁証法的な記述では、虚点としての今時間という仮象が実体化するが、そこには自由はなく、自由を記述する方法的懐疑は、規定の問題を厳密化する以外にない、という問い方をしているのが、戦前のカント書までのハイデガーです。@doctor0621
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posted at 07:22:42
しかし、むしろカントの興味は、今日で言えば医学的なんです。外面的には分からないが、脳解剖学をすると霊魂などみえてこない。だから霊魂は非実体で不滅なのだ、というのが彼の執念です。晩年はそれをエーテルとか電気とかオカルトを口走り錯乱してると言われるのですが。@doctor0621
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posted at 07:21:21
カントが一体何が言いたかったのか、脳を解剖学しまくり、霊魂の非実体性と霊魂の不滅の存在証明という彼の執念が、どこにあったかは、三批判書には片鱗しか顕在的ではなく、カント全集を全部読まないと見えて来ない、と言われているますね。批判書はその暗号みたいなものです。@doctor0621
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posted at 07:20:32
カントが脳解剖学の話をするのは、三批判書ではなく、脳理論を形而上学という題名で語る生涯の講義録です。カントの言う形而上学とは脳解剖学のことです。ライプニッツの動力学が霊魂は実体の予定調和と語るのに対して、大反論をするのがカントの脳理論=動力学という問題です。@doctor0621
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posted at 07:19:39
ハイデガーはカントのように脳解剖学的な話どころか、身体論も捨象するが、非実体なのは自明なのであって、そんなものは証明できないという立場にたっているだけです。カントは非実体を存在証明しようとしていることになるのだが、ハイデガーはそれを退けているのです。@doctor0621
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posted at 07:17:56
カントが霊魂の不滅というのは、彼は脳の解剖学的研究ばかりやっているんですよ。かなり医学的です。そして霊魂は脳のどこにもないということばかりいうんです。つまり非実体的だからこそ不滅だというんです。ハイデガーはカントに批判的だが、その点を批判しているのではない。@doctor0621
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posted at 07:16:59
立花は常にデカルトの骨から語り始めるので、科学や実証というサブカテゴリーではなく、哲学という上位範疇を意識しているが語りきれていない。哲学的には非実体を実体化できない、というのは明証的なので、その実在性の実証という問題が生じない、というだけにも拘らず。@doctor0621
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posted at 07:16:29
おもしろいのは、立花隆が、臨死体験のNスペで、霊魂の不滅や死後の意識がないことを、科学的に証明する話ばかりするでしょ? 彼は死後の世界の科学的証明を求めてるのではなく、全く逆で、死後の世界が存在しないことを科学的に証明できないか、という話ばかりする。@doctor0621
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posted at 07:15:09
ちなみに、一つ注釈しておくと、日本人は不用意に術語を使うが、現象というのは、対象や仮象などの反対語。規定というのは仮定や想定の反対語です。彼らがいう観念論というのは、こうしたコトバのルールの策定のことで、唯心論のことではない。@doctor0621
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posted at 06:33:28
ところで、問題は、twitter.com/doctor0621/sta... ですね。これはメルロ=ポンティが身体一元論、つまり随意の問題として語るだけでも不十分なのでしょう。メルロはハイデガーに批判的でもあるが、やはりそれも誤解に思えてくる。@doctor0621
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posted at 06:32:02
心身問題は二元論的であるより、身体一元論としてしか語ることができない、という現象学の問題は、ハイデガーをも批判したメルロ=ポンティの知覚の現象学を始めとした記述が、もっとも正確といわれていますね。ところで、@doctor0621
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posted at 06:29:51
そうではなく、弁証法的止揚を仮象として捉えることといってよい現象学では、範疇的直感、意識を志向と記述すること、具体的には身体論の問題です。なぜ身体には随意と不随意があるのか、などという問題です。つまり、心身二元論という措定が間違っているという。@doctor0621
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posted at 06:27:27
DNAに関して言えば、生活上DNAは生殖か、医学的な疾患の問題となった時、記述の問題として浮上するのであって、日常生活でDNA、つまり遺伝を意識したら、それは政治的偏見や差別という、非科学的な記述や意識の問題になるに過ぎません。そうではなく、@doctor0621
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posted at 06:25:20
日本では、竹谷三段階法はじめ大森荘蔵まで、科学は弁証法的に記述するという思想に傾倒しますが、たとえば、素粒子は弁証法的に空間と時間をヘーゲル的に止揚した虚点では、カントが批判した死力という仮象になるから、現象的な本質はヒモである、等々。@doctor0621
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posted at 06:25:06
@sunamajiri 承前。我々の宇宙は無数にある宇宙の一つとの学説が真であるならば他の宇宙では人間の有する悟性は無意味かもしれない。神がこれらすべての宇宙を統括するのであれば我々の議論は成立しない。だが我々の神も神々のone of themかも知れない。無明の闇へ・・・?
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posted at 06:22:29
@sunamajiri あくまでも「私の感想」です。また「神」ですがそれは別次元の問題であり、我々が存在を議論する程度の「存在」から超越しているのではないでしょうか?ホーキング博士も言葉を濁していますね。物理学を推し進めれば神は否定される?だがそれとは別種の次元の問題では?続
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posted at 06:13:54
@sunamajiri 承前。とすれば我々は存在したのだろうという疑問も残るのでしょうか?生命は宇宙の中での一つ現象に過ぎないかもしれない。ただ人間としての極く短い時間では親しい人の思い出は明らかに継続するので、これは何だろうと問いかけたのです。議論がかみ合わないのは承知です。続
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posted at 06:07:03
@sunamajiri 確かに人間を含めて生物はDNAの管理下に生命体を営んでいます。ですから種としてのDNAが滅びぬ限り(人類としてのDNAの死)個は存続するのかどうか疑問に感じたのです。また更に肉体を素粒子レベルに分解すれば誕生と死では最早それは入れ替わってしまっている。続
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posted at 06:01:52
@sunamajiri ウヘ~こりゃまたすごいことになってますね(笑い)私は教養としての哲学程度のごく浅い知識しか持ち合わせていませんのでとても貴女と議論はできません。ですから私の感想程度に補足してください。
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posted at 05:56:28
ツイートまとめ(^-^)/ 人間中心主義やめます、宇宙ですというと被造物に戻ってしまう。そこで存在論的転回という彼らの話題があるのです。m.facebook.com/story.php?stor... @doctor0621
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posted at 05:54:16
このように、彼らの言う存在論というのは転回させると、我々のいう素朴実在論とさほど変わらない感慨のことなのだが、しかしそれによってしか厳密に他人との関係一つ、あるいは契約の自由原則一つ記述する根拠がないということになりかねず、大問題であるのは事実なのでしょう。@doctor0621
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posted at 05:38:19
被造物の分際は神の存在証明をしない、というのがデカルトが要請した規約であるとすれば、その規約を純粋に遂行すると、カントの言う一的時間(純粋感性)ではなく、ハイデガーの言う有限時間による純粋一性のほうが、すこしは正しいように思えてくるものなのです。@doctor0621
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posted at 05:32:28
このことで、カントでは時間が一性=永続する無限の時間だったのが、時間が霊魂の現勢的な有限と規定され直したことで、一性が時間ではなく、何か別の純粋な一性に昇格した、という一点にあるのだと思います。もちろんハイデガーはそれを神と名指してはいないのでしょうが。@doctor0621
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posted at 05:30:23
おもしろいのは、カントではそれでも霊魂の不滅なのです。それが永続的時間という根拠律の矛盾の問題です。霊魂というのはアリストテレスの根源規定ですが、カントが潜勢(身体に宿るもの)とした霊魂を、ハイデガーが現勢=有限時間と規定しなおした点です。@doctor0621
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posted at 05:28:26
あくまでも、被造物の分際で創造のことである存在証明を遂行しない、というデカルトが設けた規約の要請に応じる、という話なわけで、それを遂行すると、カントの言う時間の一性が、より厳密に根拠率の問題として純粋化されなければならなかった、というだけのことなのでしょう。@doctor0621
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posted at 05:25:45
非常に平たく言うと、人間をやめます、動物や生命や宇宙です、というだけでは、彼らから見ると神の自由意志、つまり我々は被造物になってしまう。それではデカルトが規約として要請した、存在証明の問題、つまり神学の問題に逆行し、存在論が消滅してしまうのです。@doctor0621
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posted at 05:22:20
日本では彼らの現代思想を転倒して、人間中心主義からの脱却と読み替えてしまう。しかしそれでは彼らから見ると、被造物であること、つまり神だけが自由意志であることへの逆行になってしまう。ハイデガーが存在論的に転回するのは、正にその点です。@doctor0621
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posted at 05:18:36
いってよければ、これは「存在論的転回」なのです。うまくいえないが、被造物のように捉えているからこそ、そこからの脱却が存在論されているのです。生命や宇宙というだけでは、単に被造物にすぎず、人間であることができないという彼らの議論は、だから傾聴に値するのです。@doctor0621
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posted at 05:17:30
冒頭の、死によって終わる時間は生物学的で、遺された他人とともに思いが永続する時間が語れない、ということはないのです。ハイデガーではそれはおそらく時間ではなく歴史として真正に語られるというだけなのでしょう。@doctor0621 twitter.com/doctor0621/sta...
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posted at 05:11:53
翻って現代思想は、根拠律の根源論からの脱却を思弁しますが、しかしライプニッツの矛盾律では、死力と虚点という永続時間という規定の矛盾は解消できない。そのため根拠律である時間の規定を厳密化することで、カントにおける時間の一性を解決したという流れなのでしょう。@doctor0621
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posted at 05:11:02
なぜ眼前時間(空間を時間に止揚する虚点の今)という仮象が生じるかというと、それはハイデガーによれば、カントが時間を一性と解釈し、限界のない時間、つまり他者が無際限に継承していくような、永続する時間として規定してしまったからです。@doctor0621
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posted at 05:10:43
ハイデガーが『存在と時間』で批判するヘーゲルでは、この今という虚構の点を想定した時間を、止揚というのです。空間を時間に止揚しているにすぎない。これは時間の根源規定ではなく、ハイデガーから見れば仮象の今です。眼前時間であるに過ぎない。@doctor0621
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posted at 05:10:24
しかし、ハイデガーではこの混乱がない。時間規定の有限化という根拠律(根源論)に収斂できている。霊魂の不滅では時間は潜勢的永遠時間です、これではニュートン力学の死力の問題が、その後の物理学のように解消しない。質点といった虚点が仮象として想定されている。@doctor0621
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posted at 05:10:00
日本人は、カントが霊魂の不滅を生涯に渡りまさに明証しようとした、とは読まないのと同じように(ふつうそれはカントの晩年の痴呆症のように読まれる)、ハイデガーがそれを打ち消そうとした、と読まないことに、その混乱の原因がるとみないとならない。@doctor0621
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posted at 05:09:39
ハイデガーの有限時間は、当人の死後に遺族が継承するような、いわば永続的な時間を否定する積極性で読むべきではない。むしろ神を想定しない素朴な日本人から見ると、それを肯定する積極性にみえるほどです。@doctor0621 他人には故人に対する思い出という時間の継承も
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posted at 05:09:23
日本人は素朴に個人とか他人とかいうが、人と人の契約まで神が介在する彼らにとって、それを払拭するのは、日本人が素朴に捉える無神論では、まったく刃が立たない、ということに尽きますね。ハイデガーの時間は~、@doctor0621 また他人には故人に対する思い出という時間の継承も
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posted at 05:08:43
うーむ。個人も他人も神も存在証明で語るなかれという話なわけで、人が死ぬ生命であるのはニュートン力学と矛盾しない、というような話でないことだけは確かですしね。@doctor0621 個人にとっての死という限界に於ける時間の終了はややニュートン力学的見地の死という感じ
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posted at 05:08:25