大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年11月11日(水)
こちらで twitter.com/sunamajiri/sta... の続き。丸山文隆論文 bit.ly/1Si0T06 が解釈する「メタ存在論の内的必然性」という問題は、GA26-199のこの範囲。@BeTakada pic.twitter.com/CNnEtty1uS
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posted at 19:00:33
存在論とは方法的懐疑のことです。基礎存在論は事実的実存を分析する方法です。それに対してメタ存在論は、事実性を宙吊りにして、その中立性から、現存在の生起そのものを方法化することです。『存在と時間』は基礎存在論です。@BeTakada pic.twitter.com/1Hy5KdruO0
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posted at 19:09:00
領域存在論とは、学科を可能にする方法のことです。自己規定では無規定になる領域の学科のことです。たとえば物理学は物理学自体を自己言及的に規定できない。GA25より bit.ly/20LWSav @BeTakada pic.twitter.com/TnHKIQ2Ies
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posted at 19:31:07
自然に埋没すると生き生きとした現存在が生起する、といった被投的企投で「現存在の事実的実存は、自然の事実的眼前存在を前提する」GA26-166 というテーゼ。いってみれば必然的方法のことなのです。@BeTakada pic.twitter.com/1D4VE9js5x
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posted at 19:49:55
そうですね、twitter.com/sunamajiri/sta... のように、デカルトの時代では形而上学は存在証明で明証=方法ではないですからね。しかし非宗教的な時代になると認識論は形而上学的だが、存在論=方法は現存在を生起させるんでしょうね。@BeTakada
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posted at 20:19:55
ところで、この「直前存在(眼前性)」は、先日のGA26-226-229 カントの世界と自然bit.ly/1PuDaKR で鍵用語の「現実存在の様態」ですね。実在論も観念論も中立化させることですが。@BeTakada pic.twitter.com/VbsQ5vuKt8
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posted at 20:25:01
非公開
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ここ twitter.com/sunamajiri/sta... の末尾が世界とは無のことだ、ですものね、しかしそれは現象学的還元では様相しかカッコにくくれず、実在か観念かという存在論=方法自体のレベルをカッコにくくれない、という意味でしょう。@BeTakada
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posted at 20:36:00
いわば存在論的還元、それがどういうことかハイデガー自身が一番分かりやすい言い方をするのがGA26-172.一般的に「事実実存している人のことしか語れないが」存在が中立の現存在を孤立化=抽出が必要だ、という話。@BeTakada pic.twitter.com/8oc5vCV4pN
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posted at 21:05:11
メタ存在論でなければ倫理学は立てられない、領域存在論では倫理学とならない。それは存在論的還元でなければ他者と出会わないからだ、というこの部分?@BeTakada twitter.com/BeTakada/statu... 自由、倫理に入る前に pic.twitter.com/adj2vdx7Re
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posted at 23:50:53