大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年11月18日(水)
だから、丸山注20が示唆するように、二重化する前の同時性は、このようにどちらの前提(非本来的形而上学を前提とするか、本来的形而上学を前提するか)という問題なのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 01:57:11
この人類を未然として扱う、生起する確実な方法こそが、ハイデガーの徹底したカント批判です。それが、カントの私=主観と我々=客観という二重化、つまり全能でない全智の視点という欺瞞を退けることなのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 02:32:08
カント、 ヘーゲル、マルクス、ハイデッガー、それぞれ齧りつきました。が、歯が折れてしまいました。彼らの存在論、時間論を一言で言い切ってしまうこと、これは凄い。
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posted at 10:30:41
そう前提されるとお喋りがしづらくなりますが(笑)、問題は前提の仕方で、twitter.com/sunamajiri/sta... とコメントアウト(欄外)するように、日本的近代なるものは、いわば超克できないもの、というモラトリアムを前提とした語りの潜勢だっただけでしょう。@suz1273
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posted at 11:21:54
ハイデガーの言う非本来的形而上学というのも、形而上学が基礎づけられていない=方法化されていない、ということです。それが潜勢を現勢として語る、欄外の発生源ということなのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @suz1273
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posted at 11:27:51
このように、潜勢する葛藤ということに目を奪われると、本来的な方法に現勢できなくなる、というだけであるのに。twitter.com/sunamajiri/sta... @suz1273
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posted at 11:41:51
さて、丸山論文に戻る前に、GA20-209が引用する純理A38 bit.ly/1S1bAEx の「現象は二面的だ」。同時性は同一性だが、時間と延長という非本来的な関係では、カントがいうように、延長が仮象である誤謬を排除できない。@BeTakada
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posted at 11:48:40
タチ基地さん bit.ly/1QrVV3u は、「人類発祥は既成事実だ」という語り方が事象的な語り方と考えたようですが、これも未然を前提しない実在論の語り方です。転回とは預言のように未然性を語る方法です。@BeTakada
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posted at 12:29:22
ハイデガーのGA26-208-9は、カントが実在性は誤謬推論だ twitter.com/sunamajiri/sta... といっているが、にも拘らず根源的直観=擬似的な全智の視点である客観を前提としているので、同時性=未然性を語れない、と言っているのです。@BeTakada
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posted at 12:35:34
GA26-208は、実在性を誤謬推論とするカントの超越論では、第一原因と全智の視点=客観の差異しか明らかにできず、それと同時性=未然性の差異を明らかにすることのできない、即自的時間による語りだと語っているのです。@BeTakada pic.twitter.com/N1bbQ6nsgY
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posted at 12:43:38
整理すると、第一原因と客観の差異では、実在論に陥ってしまう。しかしそれによっては、同時性=未然性という事象性を語れない、ということです。これが丸山論文bit.ly/1Si0T06 の二重の前後関係からは見えない事象性(注20)なのです。@BeTakada
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posted at 12:48:59
丸山論文が解釈するGA26-199でいうと、カントのような二重性(第一原因との差異性)では、事実的自然(事象)が語れない。つまり事実的実存(基礎存在論)は、単に二重化された非事象的問いだ、ということなのです。@BeTakada pic.twitter.com/8mM1dV0nfu
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posted at 13:03:15
ハイデガーの場合、疎外論そのものを完全に払拭しようと目論んでいる。しかし事実的実存は疎外論であり、事象性を語る根源規定ではないというメタ存在論は、次節のフッサールの内的時間は脱自的ではない、という問題です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 13:35:51
コメントアウトすると、時間から見ると即自か脱自か、という二重性が語り方にとっては根源的だが、それゆえ丸山文隆氏が、被投と企投でカント書を企投する twitter.com/sunamajiri/sta... のも、十分に脱自的な語り方ではない、といえるのかも知れない。@BeTakada
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posted at 13:41:29
端的に、即自=潜勢的に疎外を語るか、脱自=語りを現勢化するか、という問題は、時間根源からは眼前性と手許性が差異化される、という問題です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 14:00:24
これを丸山は、企投から被投への転回の内的必然性としたのだが、それは手許性と眼前性の差異化が学的企投からは断念された、という
GA24『現象学の根本諸問題』論(東大哲学論集2011-160 www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf... )を踏まえた議論です。@BeTakada
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posted at 14:03:06
なお、GA24の学的存在論の断念とは、GA26では丸山GA26論で言及される、補論GA26-199メタ存在論の直前のGA26194-5の基礎存在論=4つの根本問題のことです。@BeTakada pic.twitter.com/eNiFYY9iTc
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posted at 14:35:37
基礎存在論=存在論的差異(26-195)では、実存が事実的なだけで、それは事象性からの疎外である、というのがメタ存在論(199)。しかしそれは手許と眼前の差異の脱自的根源時間(253~)を取り戻すことなのです。@BeTakada pic.twitter.com/TSW7PyoYIr
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posted at 14:44:04