大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年11月20日(金)
本来はデカルト以後なるものは、要請=規約であることの自覚性なのよね。ところが、それが要請=規約であるということを、人は簡単に忘れてしまう、という。twitter.com/Novalis_bot/st...
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posted at 23:48:51
ちなみに、疎外 twitter.com/sunamajiri/sta... というのは、現世利益ではなく来世利益のように欺く語り方のことなのだが、文学ではそれはサブジャンルというだけだが、一般社会的にはそれを宗教というのだ。@BeTakada
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posted at 22:37:09
というように、ハイデガーの転回を、論理学の始原諸根拠から文学の規定論への始原諸根拠への転回という積極性で読んでしまう私の順序 twitter.com/sunamajiri/sta... の方がメタレベルなのです。@BeTakada
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posted at 22:26:57
しかし、丸山論文の順序が解明しているように、端的に日常性=先存在論的存在了解=デカルトは、存在了解=方法ではない=ハイデガー、という図式から話題にしないと、事象性とは何のことだかわからなくなりますよ。@BeTakada pic.twitter.com/c3iDj2Iv8T
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posted at 21:58:38
しかし、なぜ時間は即自できないのか、という順序=方法が内的必然的に問題です。それが丸山論文の順序である、先存在論的存在了解=日常性ではデカルトの漠然とした我あり=実在論 twitter.com/sunamajiri/sta... だが、それは方法ではない、という意味です。@BeTakada
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posted at 21:49:47
私達が、どうしても別の順序で語れると錯綜するのは、非本来的形而上学を依然として前提 twitter.com/sunamajiri/sta... しているから、というだけでしょう。ハイデガーのように本来的形而上学を前提すると、ある順序が内的必然化するという話なのですから。@BeTakada
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posted at 20:31:37
しかし、世界=方法は無なのです。「自由と世界」bit.ly/1MIQDcO は、方法=世界は方法論ではない、世界とは無だという次節の脱自的時間根源への示唆です。順序が方法なのも、方法は実践以上に遂行自体で、それ自体で方法論として意識化されない、ということです。
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posted at 19:59:00
あえて哲学学的に付言すると、ハイデガーの野暮ったい語り方は、メタ存在論という地平創造を宣言するための作業的な語りで、本来的な根源的語である端的な語り方ではないのです。しかしそれによってしか、人間とは何かという旧来の形而上学から、人間とは如何にか、という順序=方法を語れないのです。
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posted at 19:24:39
タカ基地さんが twitter.com/BeTakada/statu... と約言した「自由と世界」bit.ly/1MIQDcO はキルケゴール的実存を批判するブーバー的我と汝は独我論であり、自由の規定(孤立化)を語らない、という作業箇所です。@BeTakada
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posted at 19:05:55
しかし、次節「自由と世界」bit.ly/1MIQDcO を twitter.com/BeTakada/statu... 不自由が第一次的で、それが順序性の内的必然性だ、と約言するのは秀逸です。これで透明化した世界が次の節でいよいよ、内的時間性の解体になっていくのですが。
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posted at 08:03:59
それが、フォアゾクラティカーは、世界をコスモスといい、それは自然(万物)ではなく人間のことであった、という前の節「世界という現象」twitter.com/sunamajiri/sta... 。にも拘らず、デカルト以後、カントが自然を二重化させ、万物を語ろうとしてしまった。@BeTakada
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posted at 08:02:50
それが、フォアゾクラティカーは、世界をコスモスといい、それは自然(万物)ではなく人間のことあった、という前の節「世界という現象」twitter.com/sunamajiri/sta... 。にも拘らず、デカルト以後、カントが自然を二重化させ、万物を語ろうとしてしまった。@BeTakada
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posted at 07:29:10
注意すべきは、「存在一般の意味への問い」は、宇宙論でも神学でもない(特殊形而上学に二重化する非本来的形而上学ではない)。全体における存在者 twitter.com/sunamajiri/sta... が、人間の方法自体であるように、人間の意味という本来的形而上学を問うている。
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posted at 04:54:14
それが、『存在と時間』では、現存在(性)が既成の人間の日常、つまり先存在論が語られたが、『ライプニッツ講義』GA26では、人間が未だ現存在になっていない未然性、として語られるということでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 04:40:50
ハイデガーの本来的形而上学への順序は、方法そのものですね。順序として略図にしてみました。形而上学は葬られるもの、などと安易に短絡すると、方法自体が凡て存在忘却されるのだから、怖ろしいです。@BeTakada pic.twitter.com/vw6fRj8uXz
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posted at 03:58:40